第38話 花婿の来ない式
カタリナ様は、二十四におなりでございます。
「明後日なんです。式が」
「はい」
「相手は、対岸の港の人で。荷を積んで、二日前に出たはずなんですけど」
「船は、いま」
「沖にいるそうです。入れないんです。風が北から回ってるので」
港の鐘は、三度続けて鳴っておりました。船が入れない鐘でございます。三度鳴りましたら、次の潮まで待つ決まりでございます。
「いつ入れるのでございましょう」
「分かりません。二日か、五日か」
カタリナ様は、指で卓の縁をなぞっておられました。同じところを何度もなぞっておられます。木の目に沿って、行って、戻って、また行かれます。
「うちの親は、日を延ばせと言うんです。でも、延ばすと」
「延ばすと」
「聖堂が空いてないんです。次は、四十日後で」
カタリナ様は、そこまで仰ってから、水を一口お飲みになりました。飲むまでに、少し間がございました。
「四十日後だと、何かご不都合が」
「相手の船が、次に来るのが半年後なんです」
式次第を拝見しました。街の宴方が組まれたものではなく、ご家族が寄って作られたものでございます。字が三種類ございました。それでも、順は間違っておりません。
——鐘。入場。誓い。指輪。退場。膳。
「カタリナ様。この式で、変えられないものはいくつございますか」
「変えられないもの」
「はい」
「……全部です。聖堂の日も、鐘も、順番も」
「では、数えさせてくださいませ」
わたくしは、書き出しました。聖堂の日。鐘の数。入場の順。誓いの言葉。指輪。退場。膳の数。客。衣装。九つでございます。
「九つのうち、花婿が居りませんとできませんものは、いくつでございましょう」
カタリナ様が、書き出しをご覧になりました。上から順に、指で押さえてまいります。
「……誓いと、指輪」
「二つでございます」
「二つだけ」
「はい。残る七つは、花婿がいらっしゃらなくてもできます」
カタリナ様は、しばらく黙っておられました。
「でも、それは式じゃないです」
「はい。式ではございません。式は、二人おそろいでなければ成りません」
「じゃあ」
「成らないものを成らせるのではなく、成るまでの時間を、式次第に書き入れます」
書き入れましたのは、一行でございます。
——鐘の後、花嫁は聖堂にて花婿を待つものとする。待つ刻は、これを定めず。
「待つ、って」
「はい」
「それ、条にする意味あります?」
「ございます」
わたくしは、二枚目をお見せしました。
「待つと書いてございませんと、待っている間、カタリナ様は『式が始まっていない人』でございます。始まっておりませんので、聖堂におられる理由がございません。ご家族は、いったんお帰りなさい、と仰います。客も帰ります。花が萎れます。五日目に船が入りましたときには、もう誰も残っておりません」
カタリナ様が、顔を上げられました。
「書いてございますと、待っている間、カタリナ様は『式の途中の花嫁』でございます。途中でございますので、客は席を立てません。花は替えます。膳は、待つあいだの分を出します。聖堂は、途中の式に次を入れられません」
「……聖堂、次を入れられないんですか」
「入れられません。始まった式の途中に、別の式は入りません」
カタリナ様は、口を押さえられました。押さえてから、少し笑われました。
「それ、ずるくないですか」
「ずるうございます」
「怒られませんか」
「怒られます。ただ、怒られますのはわたくしでございまして、カタリナ様ではございません」
「なんで、そこまで」
「花嫁の側にしかつきませんので」
カタリナ様は、しばらく黙っておられました。
「……その看板、ほんとに看板なんですね」
「板でございます。ニナさんが書きました」
「字、上手いんですか」
「上手くはございません。ただ、八文字とも同じ大きさでございます」
◇
式は、明後日の朝に始まりました。
低い鐘が二つ鳴りまして、カタリナ様が入場されました。花婿の席は空でございます。誓いは読み上げられません。読み上げられませんので、式は途中で止まりました。
止まったまま、一日目が終わりました。
二日目、客が十四名残りました。三日目、九名。膳は、待つあいだの分として、朝に粥、昼に麦の菓子。花は、二日目に一度替えました。替えました花は、街の花市で買い直したものではございません。二日目の朝に、客のうちのお一人が畑から抱えてこられたものでございます。
ニナは、三日とも客の数を数えておりました。
「十四、九。減ってる」
「減ります」
「あんた、減るの分かってた?」
「三日目で十を切ると見ておりました」
「あたし、二日目で三人になると思ってた」
ニナは、聖堂の隅で膝を抱えておりました。
「ねえ。これ、来なかったらどうすんの」
「そのときは、待ったことが式次第に残ります」
「残っても、来ないじゃん」
「来なかったということが残ります。カタリナ様は、四日待った花嫁でございます。四日待たなかった花嫁ではございません」
ニナは、しばらく何も申しませんでした。
「——で? それ、慰めになるの」
「なりません。ただ、残ります」
三日目の午後、聖堂の方がおいでになりました。
「宴方さん。次の式の家が、日を貸してくれと」
「途中でございますので、お貸しできません」
「……そう書いてありますな」
「書いてございます」
聖堂の方は、書付を三度お読みになりました。
「これ、どなたが書かれた」
「花嫁ご自身の御定めでございます。わたくしは書き取っただけでございます」
その方は、四度目をお読みになってから、お帰りになりました。四度目のときだけ、声に出しておられました。
◇
船が入りましたのは、四日目の朝でございました。
港の鐘が一度だけ鳴りました。入る鐘でございます。花婿は、荷を降ろさずに坂を駆け上がってこられました。外套は濡れたままでございます。
聖堂の扉が開きまして、内陣まで走ってこられて、それから、席に残っておられた九名にお気づきになりました。
「……待ってたのか」
カタリナ様は、四日ぶんの花に囲まれてお立ちでございました。
「途中だったから」
「途中」
「式が。途中で止まってたの。書いてあったから」
誓いは、その日の昼に読み上げられました。式は、四日と半日かかりまして、成りました。
膳は、四日ぶんの粥と麦の菓子のあとに出ましたので、客の方は、みなあまり召し上がりませんでした。
◇
式の翌日、カタリナ様が銀貨五枚をお持ちくださいました。ご自分の手からでございます。
「一点でしたよね。待つって書いただけ」
「一点でございます」
「四日も止まってたのに、一点」
「はい。四日は、海がお決めになりました」
カタリナ様がお帰りになりましたあと、宿の戸口に、見慣れない方が立っておられました。
黒い上着に、細い眼鏡。手に、綴りを一冊。上着は上等でございますが、袖口だけが擦れております。紙をこすり続けた袖口でございました。
「カルヴァン公宮、典礼監のラウフでございます」
「アデルでございます」
その方は、綴りをお開きになりました。開いたところに、わたくしの受任の書面の写しがございました。
指で、三度なぞられました。
「家名の欄が、空いておりますな」
式というのは、始めれば終わるまで止められないものでございます。止められないというのは不便に見えますが、止められないからこそ、途中で追い出されることもございません。
次回、公女殿下が三つ目をお決めになります。決めた翌日、その条が綴りから消えております。




