↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「真実の愛と結婚する」と仰るので、王太子殿下の結婚式はご自分でどうぞ 〜式典をすべて整えていた元婚約者は、隣国で花嫁専門の祝宴師になります〜  作者: 晴海このみ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
36/41

第36話 踏まれない一段

「二百七十四」


 わたくしは、覚書を開いて読み上げました。


 ——輿は、上の門を出て、白き石を三十六段下るものとする。


 ヴィオレッタ殿下は、窓のない部屋の椅子にお掛けでございます。膝の上に、印を十一つけた写しがございました。印は墨の濃いものと薄いものがございます。濃いほうが先に、薄いほうが後についたものでございましょう。迷いながらつけますと、墨が薄くなります。


「この条に、印がついておりました」


「はい」


「なぜ、この条でございましょう」


 殿下は、しばらく黙っておられました。


「数が、合わないから」


 ——この方は、数えておられました。


「白い石の階段は、三十七段あります。子どものころ、庭から見ていて数えました。何度数えても三十七段でした。でも、この条には三十六と書いてあります」


「はい」


「間違いなんでしょうか」


「間違いではございません。数え直してまいりました。三十七段ございます」


「じゃあ、一段はどこへ行ったの」


 わたくしは、覚書を閉じませんでした。閉じませんでしたのは、答えを持ち合わせていなかったからでございます。


 その足で、式部方の間へ上がりました。


「二百七十四の条でございますが、三十六段と書いてございます。階段は三十七段でございます」


「いちばん下は、段ではございません」


「段では」


「地でございます。地面のことでございます。あれは、階段の下の縁でございまして、段には数えぬ習わしで」


「では、輿は三十六段目で止まりまして、そこから地へは」


「担ぎ手が、持ち上げたまま渡ります」


「渡る」


「はい。輿を傾けずに、そのまま。三代前の大公の御代からそうしております」


「三代のあいだ、その一段は」


「誰も踏んでおりません」


 わたくしは、登ってまいりましたときのことを思い出しました。三十六段目までは、石の中央が浅く窪んでおります。人の足が三代ぶん通った跡でございます。最下段だけが、平らでございました。


 わたくしは、書き入れました。——最下段、渡る。誰も踏まぬ。


「ハウザー様。その一段は、条のどこかに書いてございますか」


 ハウザー様は、綴りを繰られました。かなり長く繰られました。繰りながら、指を三度、舐めておられます。三度目で、手が止まりました。


「……書いてございませんな」


「はい」


「書いてございません。段に数えぬものですから、書きようがございません」


「では、どなたもお決めになっていないのでございますね」


 ハウザー様が、綴りから目を上げられました。この方は、頭のよい方でございます。頭のよい方は、こちらの言いたいことに先に着かれます。


「アデル殿」


「はい」


「あなたは、その一段のことを、公女殿下に申し上げるおつもりですな」


「もう、申し上げてございます」


    ◇


 殿下は、その日のうちに階段へお出になりました。


 女官の方が二人、慌てて外套をお持ちになりました。公女殿下が昼日中に外の階段へお出になるのは、条には無い行いだそうでございます。無い行いは、止める条もございません。


 殿下は、上の門のところにお立ちになりました。


「ここから」


「はい」


「三十六」


 殿下は、下りながら数えられました。声には出されません。唇だけが動いております。


 女官のお二人は、三段うしろを付いてこられました。付いてこられながら、こちらを二度ご覧になりました。止めてよいかどうかを、こちらに伺っておられるのだと思います。止める条はございませんので、頭を下げるだけにいたしました。


 三十六段目で、お止まりになりました。


 足の下に、あと一段ございます。


「ここが、書いてない一段」


「はい」


「輿だと、ここで持ち上げられて、そのまま下まで運ばれるのですね」


「はい」


「……わたし、輿に乗っていたら、三十七段のどれも踏まないのですね」


 殿下は、そこでお気づきになりました。気づかれた方の顔は、みなよく似ておられます。目が動かなくなり、少し下がります。


「一段も踏まないで、この階段を下りて、この国を出るのですね」


「はい」


 風がございました。坂の下から上がってくる風でございます。港のにおいがいたします。殿下の外套の裾が、少し動きました。


「決めます」


「はい」


「三十六段目で輿を止めます。最後の一段は、自分の足で下ります」


 わたくしは、覚書を開きました。


「条は、二百七十四のあとに置きます。二百七十四の次は二百七十五でございますので、番号は二百七十四の二といたします。書きようは、こうでございます。——輿は、上の門を出て、白き石を三十六段下るものとする。三十六段の後、花嫁は輿を降り、自らの足にて最下の一段を下るものとする」


「取り消されませんか」


 殿下が、初めて、そういうことをお聞きになりました。


「二百七十四には触れておりません。輿は三十六段下ります。そのとおりでございます。触れておりませんものは、二百七十四を根拠に取り消せません」


「ほかの条を根拠にされたら」


「そのときは、根拠になった条の番号を控えます。控えましたら、次はそこを避けて書きます」


「避けて書ける条が、無くなったら」


「そのときは、無くなったと書きます」


 殿下は、最下段をご覧になっておりました。白い石でございます。ほかの三十六段と、少し色が違います。踏まれておりませんので、擦れておりません。縁のところに、雨の垢だけが線になって残っております。


「アデル」


 初めて、名でお呼びになりました。


「はい」


「二つ目です」


「二つ目でございます」


    ◇


 書面は、その日のうちに式部方へ回しました。


 三日後、綴りが戻ってまいりました。二百七十四の二は、消されておりませんでした。朱で、式部方の印が入っております。


 ハウザー様が、書付を一枚くださいました。


「アデル殿。持ち場でございます」


「持ち場」


「花嫁付きの割り当てを、一つ作りました。——公女殿下御自ら定めたまう条の、書き取りと管理。以上」


「どなたが、お決めになりましたか」


「私でございます。割り当ての紙は式部方が書きます。式部方が書いたものは、式部方の朱で通ります」


「通らぬこともございましょう」


「ございます。通らぬときは、私の名で戻ってまいります」


 書付は、たいへん短うございました。一行と、日付と、印。それだけでございます。


「条の数は、いくつまででございましょう」


「書いてございません」


 ハウザー様は、そう仰ってから、初めて笑われました。笑われますと、目のあたりが、いつか誰かに似ておりました。どなたに似ているのかは、そのときは思い出せませんでした。


    ◇


 坂を下りますと、聖堂の壁に紙が貼ってございました。


 ニナが街の掲示から写してきた、あの条でございます。写しではございません。今度は、商会の朱印の入った正のほうでございます。


 ——宴方の心得、第十九条。宴方は、花嫁に代わりて語るべからず。


 その下に、一行、足してございました。


 ——本条は、当商会に属さぬ宴方にも、これを求む。


 ニナが、壁の前に立っておりました。筒を降ろして、足元に立てております。


「これ、あたしが写したやつと違う」


「一行、増えております」


「なんて」


「商会に入っていない宴方にも守らせる、という一行でございます」


「入ってない人に、守れって言えるの」


「言えます。求めておりますのは街だ、と書いてございますので」


 ニナは、しばらく壁を見上げておりました。


「——で? 今日はいいことあった?」


「殿下が、二つ目をお決めになりました」


「ふうん」


 ニナは筒を担ぎ直しました。


「じゃあ、勝ちのほうが多いじゃん。今日は」

書いていない一段の話でございました。誰も決めていない場所というのは、たいてい、数に入っていない場所にございます。数に入っておりませんので、誰も守ってもおりません。


次回、その第十九条が街で効きはじめます。宴方は花嫁に代わって語ってはならない——では、言い出せない花嫁の言い分は、どこへ行くのか、という話でございます。


ブックマークと評価をいただけましたなら、白い石の最下段——三代ぶり初めて踏まれる一段の、磨き代に充てさせていただきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。