第34話 森の国の使節
港に船が入りましたのは、朝の早うございました。
ヴァルト王国は、海を渡って北へ行きました先の、森の国でございます。カルヴァンから船で九日。使節団は十四名。旗は緑に白の枝でございます。
坂を登ってこられる列を、宿の二階から見ておりました。ニナが窓枠に肘を乗せております。
「荷、多くない」
「二十七箱でございます」
「数えたの」
「はい」
「中身なに」
「たぶん、紙でございます」
箱は、二人で一つを担いでおられました。担ぎ方が浅うございます。重いものではございません。重くないものを二十七箱も運んでこられる用件は、この街ではあまり多くございません。
◇
式部方の間に通されましたのは、昼過ぎでございました。
ドルン卿は五十七におなりの、肩幅の広い方でございます。椅子にお掛けになりますと、椅子のほうが小そうございました。
「長らくお待たせいたしました。海が荒れましてな」
「お疲れさまでございます」
「さて。ご挨拶が済みましたので、本題に入らせていただきたい」
ドルン卿は、書付の束を卓へお置きになりました。厚みは、指二本ぶんでございます。
「わが国の慣いを、三十二ほど加えさせていただきたい」
部屋が、静かになりました。ハウザー様が、ゆっくりと梁のほうをご覧になりました。
「……三十二」
「三十二でございます。少のうございましょう」
「少ない」
「本来は八十一ございます。四十九は、こちらの慣いと重なりますので取り下げました。残りが三十二」
ドルン卿は、悪びれておられません。悪びれておられないところが、この方の強みでございます。
ハウザー様が筆をお取りになりました。取られてから、一度、こちらをご覧になりました。何か仰りたそうでございましたが、何も仰いませんでした。
読み上げが始まりました。
——一。花嫁の輿には、樅の枝を一本立てるものとする。
——二。樅の枝は、輿が出る朝に、花婿の家の者が伐るものとする。
——三。伐る者は、斧を三度振るものとする。二度でも四度でもならぬ。
ニナが、わたくしの袖を引きました。
「なんで三度なの」
「書いてございません」
「二度じゃ駄目なの」
「駄目だと書いてございます。理由は書いてございません」
ニナは、しばらく口を尖らせておりました。
「あんたの国も、そういうのあった?」
「ございました。鐘を鳴らす前に、縄を三度たわませる決まりがございました」
「なんで」
「書いてございませんでした」
読み上げは、一条ごとに間が入ります。書き写す者が追いつくのを待つ間でございました。わたくしは、追いつきましたら筆を上げてお知らせいたします。三十二のうち、上げた回数は三十二でございました。
——十四。婚礼の前夜、両家は火を焚くものとする。
——十五。火は、夜明けまで絶やしてはならぬ。
——十六。火の番は、両家からひとりずつ出すものとする。
わたくしは、写しながら、隣の列に「何を禁じているか」を書き入れました。樅——形。斧の三度——数。火——時。番——人。
二度目でございます。同じ列を、三日のうちに二度書きました。二度書きますと、書き方が速くなります。速くなりますと、条のほうが遅れて見えてまいります。
——二十八。花嫁は、式の前夜、髪を洗ってはならぬ。
——二十九。式の朝、花嫁は水に触れてはならぬ。
ハウザー様の筆が止まりました。
「ドルン卿。当国の慣いでは、花嫁は式の朝、額を清めることになっております」
「ほう。それは困りましたな」
「困りました」
「では、どちらかを取り下げねばなりませんな」
「……どちらを」
「どちらでもよろしゅうございますよ。私は、決める立場ではございませんので」
ハウザー様が、筆を持ったまま動かれませんでした。持ってこられた方が決める立場になく、受ける側も決める立場にない。それでも条は増えます。増えたものは、当日、誰かがどちらかに決めなければなりません。
——決める者の名が、どこにも書いてございません。
わたくしは、その一行を、隣の列に書き入れました。
◇
読み上げが終わりましたのは、日の落ちるころでございました。
三百八十に三十二を足しまして、四百十二。
ハウザー様が、束を三度お揃えになりました。三度揃えても厚みは変わりません。
「アデル殿」
「はい」
「百十は、いかがなりますかな」
「百十のままでございます」
「増えた三十二は」
「三十が先方の御意向、二つが写しでございます。御意向のあるものは、殿下がお決めになれません」
「では、増えたぶんは全部、決められぬ側に積まれたわけですな」
「はい」
ハウザー様が、書付の端をお押さえになりました。困ると上を見られるはずのこの方が、今日は卓をご覧になっております。
「アデル殿。……申し訳ないが、あなたの持ち場は、増えておりません」
「持ち場は増えておりません。ただ、突き当たりが三つ増えました」
「突き当たり」
「先ほどの、額を清める条と、水に触れてはならぬ条でございます。ああいうものが、三つございました。二十八と二十九のほかに、火の番の条と当国の夜番の条。それから、樅の枝の条と、輿に飾りを載せてはならぬ当国の条」
ハウザー様が、目を上げられました。
「……三つとも、私は気づいておりませんでした」
「両方の束を並べて写しませんと、見えませんので」
「その三つは、どうなりますかな」
「どちらかを取り下げるか、どちらも残して、当日どちらに従うかをどなたかがお決めになるか。二つに一つでございます」
「決めるのは、どなたが」
「書いてございません」
ハウザー様は、束の上に手を置かれました。置いたまま、しばらくお動きになりませんでした。
「……四十年、この間で書付を揃えてまいりましたが」
「はい」
「揃えるほど、決める者がいなくなりますな」
◇
帰りしなに、ドルン卿が廊下でわたくしをお呼び止めになりました。
「祝宴師どの、と伺いました」
「はい」
「花嫁専門と看板に出しておられるとか。面白い商いですな」
「ありがとうございます」
「わが国では、宴を組むのは花婿の家の仕事でしてな。花嫁は、当日、連れてこられるだけでございます」
ドルン卿は、そう仰って笑われました。悪気は一つもございません。悪気が無いところが、いちばん厄介でございます。
「ドルン卿。三十二の条は、どなたがお決めになりましたか」
「わが国の慣いでございますよ。誰が決めたものでもございません」
「では、四十九を取り下げると決められたのは」
「コンラート殿下の御意向により、でございます」
「二十八と二十九を残すと決められたのは」
「コンラート殿下の御意向により」
「輿に樅を立てると決められたのは」
「コンラート殿下の御意向により、でございますな」
わたくしは、指を三本折りました。同じ言い回しが三度。三度とも、間が同じでございました。人が自分で決めたことを申しますときは、三度のうち一度は言い方が崩れます。崩れませんでしたので、三度とも同じ棚から取り出しておられます。
——覚えて仰っている言い方でございます。
坂を下りますと、ニナが石段に座って待っておりました。
「四百十二だって?」
「四百十二でございます」
「増えたじゃん」
「増えました」
「あんた、今日ちょっと機嫌よくない?」
「三つ、突き当たりが見つかりましたので」
「意味わかんない」
ニナは立ち上がって、筒を担ぎ直しました。
「あ、そうだ。宿に来てるよ。十九の子。喋らないの」
「お口が不自由な方でございますか」
「喋らないんじゃなくて、喋れないんだって。誓いの言葉が言えないから、式ができないって泣いてた」
条が増えるのは、宴方にとって悪い話ばかりではございません。条と条は、増えれば増えるほど突き当たります。突き当たったところには、誰も決めていない場所ができます。
次回、誓いの言葉が口で言えない花嫁でございます。声の出ない方に「はい」と仰っていただく方法を、鐘で一つだけ考えました。




