第32話 二度目の花嫁
グレーテ様は、決まりをご自分で数えてこられました。
「十七あるんです」
「はい」
卓の上に、紙が一枚。角が折れております。何度も畳んで、何度も広げた紙でございます。折り目のところだけ、字が薄くなっておりました。
「二度目の式は、鐘を鳴らさない。花を飾らない。客は身内だけ。披露の膳は出さない。白は着ない。冠はつけない。輿は使わない。……全部で十七」
「よく調べておいででございますね」
「街の人に、順番に聞きました」
ニナが横から紙を覗き込みました。
「これ、書いたの誰」
「わたしです」
「字、上手いね」
「代書をしてますから」
ニナが顔を上げました。
「代書ってさ、人の手紙を書くやつでしょ。じゃあ、自分の式の決まりも自分で書いたんだ」
グレーテ様は、紙の角をもう一度折られました。
「書いても、変わらないですけど」
◇
二度目の婚礼を簡素にするのは、カルヴァン公国の慣いでございます。一度目の祝いを二度使ってはならない、という考え方でございまして、理由を書いた条はどこにもございません。
街の慣いには、理由が書いてございません。理由の書いてありませんものは、変えるのが難しゅうございます。誰も決めていないのではなく、皆が決めているからでございます。
わたくしは十七を書き写しまして、隣に列を一つ足しました。何を禁じているか、という列でございます。
鐘——音を禁じております。花——色を禁じております。白——色でございます。冠——形。輿——道行き。膳——数。客——人。
十七を最後まで書き出しますのに、半刻かかりました。書き出しますと、同じ列に同じ言葉が並びます。音。色。色。形。道行き。数。人。音。色。人。形。数。
禁じられておりますのは、七つでございました。十七の条は、七つのことを言い換えて並べたものでございます。
「グレーテ様。一度目の式で、着たかったものはございますか」
グレーテ様は、しばらく黙っておられました。
「緑です」
「緑」
「母が織った帯が、緑で。一度目のときに締めたかったんですけど、家の決まりで白と灰しか駄目でした。十七のときです」
「その帯は、いまお手元に」
「あります。使ったことはないです」
「一度も」
「一度も。締めようとしたことは、二回あります」
グレーテ様は、そこで指を二本立てられました。立ててから、すぐ下ろされました。
「一回目は、一度目の式の朝です。二回目は、離縁の日です。どっちも、締めませんでした」
「なぜでございましょう」
「一回目は、家の決まりだったからです。二回目は」
グレーテ様は、卓の紙をもう一度お畳みになりました。
「……締めたら、なんか、負けた気がして」
わたくしは、書き取りました。
——緑。母上の織。二度、締めそこねている。
書きましてから、隣の列をもう一度見ました。音。色。形。道行き。数。人。
色は、二度出てまいります。花の色と、白でございます。花は飾ってはならぬ。白は着てはならぬ。
——帯の色を禁じた条が、十七のどこにもございません。
その日は、それだけ伺って帰りました。帰りましてから、公宮へ持ってまいります束を数えました。
夕方、公宮へ写しを届けました。二百六十一から三百八十まで、百二十枚。ハウザー様は束を受け取られて、厚みを指で測られました。
「これは」
「書き手の名の入っていない条でございます。写しました」
「……写して、どうなさる」
「殿下にお渡しいたします。殿下がお決めになれる条を、殿下が見えるところに置いておきませんと、決めようがございませんので」
ハウザー様は、束の端を揃えられました。揃え終わってから、一度だけ、梁のほうをご覧になりました。この方は、困ると上を見られます。
「アデル殿。花嫁付きに割り当てる条は無い、と申し上げたはずでございます」
「はい。ですので、割り当てのある条には一つも触れておりません。触れておりますのは、どなたの割り当てにも入っていない百二十でございます」
「……それは、屁理屈と申します」
「はい」
わたくしは頭を下げました。
「屁理屈でございます」
ハウザー様は、束をお持ちになって奥へ行かれました。返してはこられませんでした。返してこられませんでしたので、届いたということでございます。
控えの間で、ヴィオレッタ殿下が写しをお開きになりました。一枚ずつ、指で追っておられます。指の止まる条と、止まらない条がございました。半刻ほどして、殿下が顔を上げられました。
「印をつけていいですか」
「はい」
「決めるんじゃなくて。気になったところに、印だけ」
「印は、決めることの半分でございます」
殿下は墨をお取りになりました。その日、印は十一つきました。
◇
三日後が、グレーテ様の式でございました。
控えの間で、わたくしは緑の帯を卓に広げました。幅は狭うございます。織りは目が細こうございまして、緑は一色ではございませんでした。緯糸に薄い黄が入っております。日の当たるところでは黄が勝ち、陰では緑が勝ちます。
「グレーテ様。この帯を、お締めくださいませ」
グレーテ様は、手をお出しになりませんでした。
「……十七に、引っかかりますよね」
「引っかかりません」
「でも」
「十七を、一つずつ数えてまいりました」
わたくしは、書き出しの紙をお見せしました。二列ございます。左が条、右が何を禁じているか。
「鐘は音。花は色。白は色。冠は形。輿は道行き。膳は数。客は人。十七のどれもが、この七つのどれかでございます」
「はい」
「花の色は、飾る花のことでございます。白は、衣のことでございます。この十七のうちに、帯の色を禁じた条は、一つもございません」
グレーテ様は、書き出しの紙を目でお追いになりました。上から下まで、二度追われました。
「……ほんとだ」
「ございません」
「誰も、駄目って言ってないんですか」
「言っておられません。二度目の式で緑の帯を締めた方が、この街にこれまで一人もおられなかっただけでございます」
グレーテ様は、帯に手をお伸ばしになりました。伸ばしてから、一度お止めになりました。
「見えますよね。これ」
「見えます」
「隠さないんですか」
「隠しますと、十七を守ったことになりません」
グレーテ様が、顔を上げられました。
「守ってないんですか、これ」
「守っております。守っておりますので、隠す必要がございません。隠しますのは、破ったときでございます」
グレーテ様は、帯をお取りになりました。締めるまでに、四半刻かかりました。四半刻かかりましたのは、結びが二度ほどけたからでございます。使ったことのない帯は、はじめの一度が硬うございます。
式は、そのあと、四半刻で終わりました。
鐘は鳴らず、花は無く、客は八名。膳は出ません。白い衣は着ておられません。灰の衣でございます。十七の決まりは、一つも変わっておりません。
灰の衣の上に、緑の帯が一本ございました。
誰も、何も仰いませんでした。聖堂の方は、一度だけ帯のあたりをご覧になって、それから式次第の紙へお戻りになりました。紙には書いてございません。書いてございませんので、止める根拠がございません。
八名のうち三名は、途中で外へ出られました。二度目の式で客が途中で出るのは、失礼にあたらない慣いだそうでございます。慣いには、やはり理由が書いてございません。
三名は、戸口のところで一度、お止まりになりました。
止まってから、振り返られました。三名とも、振り返られました。
通路を歩かれますとき、日が窓から入りまして、帯の黄のほうが勝ちました。歩かれるにつれて、陰に入り、緑に戻ります。緑になり、黄になり、また緑になりまして、扉のところで見えなくなりました。
グレーテ様は、一度も帯へお手をやりませんでした。
やる必要がございません。見えておりますので、確かめずに済みます。
◇
宿へ戻りますと、マルタが戸口に立っておりました。
「商会の人が来たよ」
「はい」
「元締め、また替わったって」
「先月替わったばかりでございますが」
「その先月の人が、もう替わったの。二人目」
マルタは、指を二本立てました。
「今度は女の人。明日、坂を下りてくるって。あんたに用があるって言ってた」
「用でございますか」
「値の話だって」
ニナが筒を担ぎ直しました。
「——で? やっと給金の話になるってこと」
「わたくしの値の話でございます」
「あんたの値の話は、あたしの給金の話じゃん」
ニナはそう申しまして、筒を降ろさずに階段を上っていきました。筒は、この子が寝るときにも枕元にございます。
街の慣いというものは、条が書いてございません。書いてありませんものは変えにくいのですが、書いてありませんので、外側もまた書いてございません。十七を七つに畳みますと、余ったところが一つだけございました。
次回、新しい元締めが坂を下りてまいります。開口一番、アデルの値づけ——銀貨五枚は安すぎる、という話でございます。




