第31話 五名のうちの一名
答えは、申し上げませんでした。
クレムが「で、お前の宴は、誰が作るんだ」と仰いましたのは、三日前の晩でございます。わたくしはそのとき器を片づけておりまして、片づけ終わりましたら、もうお帰りでございました。答えをお待ちになるつもりのない訊き方でございました。
——そういう訊き方をなさる方は、答えを聞くのが少し怖い方でございます。
翌朝から、公宮通いが始まりました。宿の戸口を出まして、坂を七つ目の辻で折れますと、そこから先はずっと上りでございます。朝のうちに登りますと、港の荷を下ろす音が、だんだん背中のほうへ落ちてまいります。
◇
白い石の階段は、三十七段ございます。
登り切ったところに、宴方が五名並んでおりました。わたくしを入れて五名でございます。四名のうち三名は宴商会の推挙、一名は公宮の推挙。どなたも坂の上でお生まれになった方でございます。四名とも、履物が乾いておりました。乾いた履物で階段の上に立てる方は、馬車でお越しになった方でございます。
いちばん背の高い方が、わたくしの草履をご覧になりました。
「坂を毎日登られるので」
「はい」
「馬車をお使いにならないのですか」
「三十七段は、馬車では登れませんので」
その方は何か仰りかけて、やめられました。やめられるまでに、間が二つございました。一つ目は言葉を選ぶ間、二つ目は、言っても始まらないと決められた間でございます。
式部方の間へ通されますと、ハウザー様が書付を三つ、卓の上に並べられました。並べる順に意味がございます。左から、当日の刻限。列の順。装束。
「職掌を割り振ります。刻限は宴商会のタウベ殿、列はケルツ殿、装束はブリムラ殿。控えの間の差配はジーモン殿」
四名が頭を下げられました。名を呼ばれた順に、半歩ずつ前へお出になります。呼ばれた者が前へ出るのは、この国の式部方の作法でございました。
「アデル殿は、花嫁付きでございます」
「はい」
「以上でございます」
卓の上の書付は、三つとも埋まりました。わたくしのぶんは、ございません。
「わたくしの書付は」
「花嫁付きに割り当てる条は、ございません」
ハウザー様は、そう仰るときに卓の木目をご覧になっておりました。この方は、言いにくいことを仰るとき、必ず卓をご覧になります。第一に、目を伏せているようには見えません。第二に、卓は何も言い返しません。
「百十の条は、いかがなさいますか」
ハウザー様が、目を上げられました。
「百十」
「先日、公女殿下の御定めとする条を、除外のうえで百十とお伝えいたしました。式次第の全体は三百八十でございます。両国の使節の合意を要する条を除き、当日の刻限に触れる条を除き、列の順に触れる条を除きまして、百十」
「……よく憶えておいでですな」
「書いてございますので」
ハウザー様は、しばらく書付の端を指でお押さえになっておりました。押さえたところの紙が、少しだけ波打ちます。この方は、考えるときに紙を押さえられます。
「その百十を、どなたがお回しになるのでございましょう」
「回っておりません」
「はい。存じております。伺っておりますのは、回すか回さないかを、どなたがお決めになるかでございます」
答えは、ございませんでした。四名は、もう部屋を出ておられました。出ていかれる足音が四つ、廊下の先で二つに分かれました。
◇
昼を過ぎまして、控えの間へ通されました。
ヴィオレッタ殿下は、前と同じ窓のない部屋で、前と同じ椅子にお掛けでございます。壁に燭台が二つ、卓に灯が一つ。灯の油は、新しいものではございませんでした。手元に覚書がございます。ご自分でお写しになった、あの三百八十の写しでございました。
「一枚目に、名前を書きました」
「はい」
「あれから、二つ目は決めていません」
「はい」
「決めていいと言われたきり、誰も何も持ってきません」
殿下は、覚書の束を膝の上に置いておられました。束の厚みは、指一本ぶんでございます。七年前にわたくしが卓へ置きました巻紙は、指四本ぶんございました。厚みは、その仕事に何人が関わったかの目安になります。
「殿下。決まりを、もう一度数えてもよろしゅうございますか」
「また」
「はい」
「この前、日が落ちるまでかかりました」
「今日は、途中から数えます。二百六十一からでございます」
殿下は、覚書をお開きになりました。開くときに、紙の端で指をお切りになりかけました。写しの紙は、裁ってから日が浅うございます。
「……なぜ、二百六十一から」
「二百六十までは、誰かがお決めになった条でございます。二百六十一から先は、書き手の名が入っておりません」
殿下の指が、覚書の紙の上で止まりました。
「名が、入っていない」
「はい。両国の使節がお決めになった条には、双方の印がございます。式部方がお決めになった条には、式部方の朱がございます。二百六十一から三百八十までは、どちらもございません。書き写しただけの条でございます」
「誰かが写しただけ」
「はい。写された元がどこかにございます。ただ、この式のために誰かがお決めになった条ではございません」
窓がございませんので、日の傾きは分かりません。灯を持ってこられた女官の方が、二度、部屋を覗いて帰られました。二度とも、殿下ではなくこちらをご覧になりました。まだ帰らないのか、というお顔でございます。
「二百六十一。輿の前を歩く者は、六名とする」
「六名」
「はい」
「……なぜ六名なの」
「書いてございません」
殿下は、覚書の余白を指でお触れになりました。一枚目のときと同じ触り方でございます。紙を撫でるのではなく、押して離す触り方でございました。
「六名じゃなくてもいいの」
「どなたもお決めになっておりませんので、殿下がお決めになれば、それが決まりになります」
殿下は何も仰いませんでした。ただ、覚書を閉じずに膝の上へ置いたままにしておられました。閉じない方は、まだ考えておられる方でございます。
◇
階段を下りますとき、輿の条を思い出しました。
輿は上の門から出て、白い石の階段を下ります。条にはこうございます。——輿は、上より三十六段を下るものとする。
階段は、三十七段ございます。
わたくしは、下りながら数えました。三十七段。何度数えても三十七段でございます。輿が使いますのは三十六段。ですから、この階段には、誰も踏まない段が一段だけございます。どの段かは、条に書いてございません。
坂の下でニナが待っておりました。巻紙の筒を肩に担いだままでございます。
「どうだった」
「職掌は四つに割られまして、わたくしのぶんはございませんでした」
「は」
「花嫁付きに割り当てる条は無いそうでございます」
「それ、来なくていいって意味じゃん」
「そうとも読めます」
「読めますって、あんた」
ニナは筒を担ぎ直しました。担ぎ直すときに、筒の底が石畳に一度当たりました。硬い音でございました。空の筒の音ではございません。
「——で? どうすんの」
「二百六十一から三百八十までを、書き写してまいります」
「百二十枚くらいあるじゃん」
「百二十でございます」
「あんた、ほんと」
ニナは何か仰りかけて、やめられました。今日、やめられた方は二人目でございます。
宿へ戻りますと、食堂の卓に女の方が座っておられました。三十をいくつか越えておいででしょうか。上着の肩に、雨の跡が乾いた輪が二つございます。ここへ来るまでに、どこかで一度、雨宿りをなさったのでございましょう。マルタが水を運びながら、わたくしに小さく申しました。
「二度目なんだって」
「はい」
「二度目の式って、簡単にするのが決まりなんでしょ。だから頼むところが無いって」
その方は、卓の上で両手を重ねておられました。重ねた手の甲に、指の輪の跡がございます。前の輪を外してから、まだ日が浅うございます。
「祝宴師さん」
「はい」
「二度目なんですけど。……いいんですか」
わたくしは、覚書の束を卓の端に置きました。百二十枚を写す仕事は、明日からでもできます。今日のうちにしかできない仕事のほうが、いつも先でございます。
「二度目の決まりは、何と何が変えられないのでございましょう。数えさせてくださいませ」
第二部が始まりました。第一部は「手を引く」話でしたので、第二部は「積み上げる」話にいたします。零から数えて、九つまで。
次回、二度目の花嫁でございます。二度目の式は簡素にするのが決まりで、変えられないものが十七ございました。その十七が何を禁じているかを、隣の列に一つずつ書き出します。
ブックマークと評価をいただけましたなら、白い石の階段の三十八段目——どこにも無い一段の、石代に充てさせていただきます。




