第28話 控えは、正確でございます
三日後、王城の書記の方が二人、坂を登ってこられました。侯爵閣下のようには歩かれません。二人とも、革の鞄を胸に抱えて、坂の途中で二度休まれました。荷が重いのではなく、坂が急なのでございます。卓は、寄せずにおきました。今度は水も出しました。
「王室評定の照会でございます。ご返答は書面で承ります」
「はい」
「まず、こちらを」
鞄から出てまいりましたのは、写しの数葉でございました。十四冊のうち、四冊目と、九冊目と、十三冊目。それぞれ数枚ずつ、書き写したものでございます。わたくしは一枚ずつ、上から下まで目を通しました。
写しの手は丁寧でございます。ただ、件名の下に引いた横線を、この方は罫線だと思って引き直しておられます。あれは罫線ではなく、その件が一度閉じたという印でございます。それでも、字は間違っておりませんでした。
「照会は二点でございます。第一点。これらの控えは、貴殿の手によるものか」
「わたくしの手でございます」
「第二点。記載の内容は、正確か」
書記の方が、筆を構えられました。わたくしは、写しを揃えて、卓の上に戻しました。
「控えは、正確でございます」
◇
書記の方は、それを書き留めて、顔を上げられました。
「……それだけでございますか」
「はい」
「その、失礼ながら。貴殿には、申し添えたいことがおありではないかと」
「ございません」
「布告の件など」
「布告は、王都のものでございます」
二人が顔を見合わせました。若いほうの方が、鞄の紐を握り直されました。
「あの、これは私見でございますが。この控えを読み合わせますと、その、いくつか、あの——」
「お読みになれましたか」
「三日かかりました。件名順に綴じてございましたので、はじめは頁が飛んでいるものと」
「飛んではおりません。件ごとに縦でございます」
「はい。三日目に分かりました」
若いほうの方は、そこで少し言葉を切られました。
「分かりましたら、その、早うございました。一つの件を上から下まで読みますと、いつ、誰が、何を変えたかが、一続きに」
「はい」
「……はい」
わたくしは、写しの一葉を指しました。九冊目の分でございます。
「こちらの、三十一頁を」
「三十一頁」
「楽師の件でございます。兄弟二人が同じ卓に入り、卓を挟んで殴り合いました。日付は去年の秋。その下に、わたくしの名がございます」
「ございますな」
「名簿の欄外に印をつけましたのは、その翌日でございます。殴り合いの前ではございません」
書記の方が、筆を止められました。
「これは、わたくしの落ち度でございます。先に印をつけておくべきでございました」
「……それを、わざわざ」
「照会は、内容が正確かでございました」
わたくしは、頭を下げました。
「三十一頁も、正確でございます」
書面は、その場で書きました。照会が二点でございますので、返答も二点でございます。第一点、わたくしの手によるものであること。第二点、記載は正確であること。書きませんでしたことが、いくつかございます。どの件を誰が通したか。布告のこと。閣下が三日前にこの卓においでになったこと。一筆を求められたこと。支度金の袋のこと。
これらは、照会されておりません。照会されていないことを書き添えますと、それは控えではなく、訴えになります。訴えは、書いた者の都合で長さが変わります。わたくしは、末に名を書きました。アデル、と三字だけでございます。書記の方が、家名の欄をお示しになりました。
「こちらは」
「ございません」
「……では、空欄で」
「はい。空欄も、正確でございます」
◇
二人が坂を下りていかれたあと、ニナが卓を拭きにまいりました。
「あの人たち、なんか泣きそうな顔してたけど」
「坂が急でございますので」
「そうかなあ」
ニナは布を絞って、それから、手を止めました。
「ねえ。あんた、自分が悪かったとこ、自分で言ったよね」
「はい」
「なんで」
「言わずにおきますと、そこだけ正確でなくなりますので」
「……一冊だけ嘘があると、全部嘘に見えるってこと」
「はい」
この子は、字が読めません。それでも、そういうことは一度で分かります。
◇
八日後、船が三隻着きました。王都の話が坂の上まで届くのに三日かかりますので、わたくしが聞きましたのは十一日目でございます。王室評定は、十四冊を件名順のまま読み合わせたそうでございます。大聖堂の破綻に直に繋がった変更は、七件ございました。
一件目。三年目の春。南門から時間差でお通しする手順を取りやめる決裁。二重に手間だから、という理由でございます。
二件目。一年目の冬。大聖堂の鐘の順を一つ入れ替える決裁。そのほうが荘厳だから、という理由でございます。行列の半分が、鐘の下を通ることになりました。あのとき、誰の指図でこうなったと仰った閣下がおいででした。
三件目。六年目。大聖堂の日取りを二つ押さえたまま、片方を落とさなかった決裁。
四件目。七年目の先月。外交席次の綴じを一枚ずらしたままお通しになった決裁。
五件目。北廊の意匠三案を、追って沙汰するとして留め置かれた決裁。花が足りなくなったのは、このためでございます。
六件目。仕立ての期日を、本当の期日に書き換えられた決裁。
七件目。引き継ぎ文書の請求を、追って文書でと仰ったまま、一度もお出しにならなかったこと。これは決裁ではございませんので、印はございません。印が無いことが、そのまま書いてございます。
七件のうち、印のある六件は、すべて同じ印でございました。麻の葉を三つ組んだ形でございます。
布告は、十三日目に剥がされたそうでございます。貼り替えではなく、剥がして、後に何も貼らなかったと聞きました。誰の落ち度でもない破綻というものは王家では成り立たん、と閣下は仰いました。成り立たせるおつもりだったのは、七件のほうでございましょう。
儀典長の職は解かれました。七年ぶんの決裁の再点検が始まったそうでございます。二千三百四十七ございますので、しばらくかかります。クレムが、港からの帰りに寄ってまいりました。
「あんた、何もしてないぞ」
「はい」
「一筆も書いてないし、告げ口もしてない。坂も下りてない」
「はい」
「二行書いただけだ」
「一行でございます」
クレムは椅子に腰を下ろして、しばらく黙っておりました。この方が黙るのは、宴の席と、それから、たまにこういうときでございます。
「……気分はどうだ」
わたくしは、卓の上を片づけておりました。水の器が二つ。書記の方がお使いになったものでございます。二つとも、半分残っておりました。急な坂を登ってこられたのに、半分残しておいででした。
「明日、公宮へ返事を出しませんと」
「答えになってないぞ」
「はい」
クレムは、卓の木目を指でなぞっておりました。
「七年だぞ」
「はい」
「七年、あんたの名前で貼られてたんだ。何か言うことはないのか」
わたくしは、器を二つ、水に沈めました。一つ目。二つ目。それから、指を折りました。花。衣装。席次。順序。客名簿。警備。楽師。折る指がなくなりましたので、もう一方の手に移りました。
もう返すものは、ございません。
「クレム様」
「なんだ」
「北廊の図案は、三案とも出来ておりました」
クレムは、それきり何も仰いませんでした。器を二つ、湯で洗いました。洗いながら、外の音を聞いておりました。その晩、港のほうが少し騒がしゅうございました。マルタが井戸端から戻ってまいりまして、戸口のところで申しました。
「お客さん。下の宿に、王都の人が入ったって」
「はい」
「侯爵様じゃないって。もっと若い人。供が二人だけで、旗も立ててないって」
わたくしは、器を布巾で拭いておりました。二つ拭き終わりましたので、あとは棚に戻すだけでございます。
「マルタさん」
「うん」
「その方は、宿帳に何とお書きになりましたか」
「聞いてない。でも、宿の人が言ってた。名前を書くのに、ずいぶん時間がかかってたって」
アデルは、何もしておりません。七年、日付と名前を書いていただけでございます。決裁の印を押したのは、全部あちらでございました。
次回、坂の下の宿に、宿帳へ名前を書くのにずいぶん時間のかかった方がお泊まりでございます。ご用向きは、「もう一度、作ってくれないか」。
評価の☆は、控え帳の墨代に充てさせていただきます。




