第23話 祝勝の宴
祝勝の宴は、翌日の夕でございました。カルヴァン公国は、どの国とも戦をいたしません。それが商いでございますので。ただ、三十年前に一度だけ、関を守ったことがあるそうでございます。隣国の敗走の兵が越えてまいりまして、港の倉を焼きかけた。それを止めた日を、年に一度、祝います。
卓が四本。客が四十六名。椅子が四十七脚。
「食べていいの、これ」
ニナが皿を抱えたまま申しました。
「本日は客として招かれておりますので」
「うそ。あんた、名簿に載ってなかったよ」
「クレム様が、下見に立ち会った者は末席に入れる決まりだと仰いました」
「そんな決まりある?」
「今年からできたのだと存じます」
ニナは肉を口に押し込みながら、頷いておりました。わたくしは、卓の並びを見ておりました。上座は北。日は西から入りますが、昨日、九度だけ回してございますので、正面から陽を受ける席はございません。
上座に公宮の侍従の方が二人。その下に関の兵の古参、それから港の商いの方々。末のほうに、よそから来た商人が四人ばかり混じっております。うち一人が、リンデンの徽章をつけておられました。
灯が十二。樽が五つ。楽師は三人で、広場の南の隅。弦の音がいちばん通る位置でございます。それから、卓を挟んで顔を合わせている組が、二つ。片方は同じ荷を扱う商いの方どうし、もう片方は、片方が片方の隣家でございます。塀の高さで揉めておいでだと、昼にマルタから伺いました。
「またやってる」
ニナが、こちらを覗き込みました。
「何を、でございますか」
「数えてる。祝いの席で数えるの、やめなよ」
「宴の席で数えないほうが、どうかしております」
「あんた、招かれた側でしょ」
「招かれた側でも、灯の数は減りません」
ニナは呆れた顔をして、また皿へ戻りました。
クレムは、壁際に立っておりました。杯を持たず、皿にも手をつけず、卓のほうを見ております。人が笑うたびに、少しだけ首を動かして、笑った者の手元をご覧になります。初めてこの街に着いた夜、通りの宴で見た姿と同じでございました。
ニナが皿を持ったまま近づいてまいります。
「ねえ。食べないの」
「……」
「肉、まだあるよ」
「……」
「無視しないでよ」
クレムは、答えませんでした。ニナは肩をすくめて戻ってまいりました。
「宴のときのあの人、いっつもあれ。関のときは減らず口なのに」
「そうでございますね」
「ぜんぶ壊れてる」
わたくしは、卓のほうへ目を戻しました。宴警固頭は、宴の主催ではございません。ですが、この街では宴の卓に一つ席が用意されます。名簿にも載っております。
クレムの席は、上座から三つ目でございました。
空いております。
◇
宴が半ばを過ぎまして、古参の兵が立ち上がりました。ヘニング様と仰る、五十を過ぎたお方だそうでございます。杯を三つほど重ねておいででした。
「クレム。座れ」
「……」
「毎年言ってるだろうが。座れ。お前の席だ」
クレムは壁から動きません。
「ドラゴーの家の者が壁に立ってると、こっちが飲みにくいんだよ」
卓のあたりが、少し静かになりました。静かになったのは、ヘニング様が声を張られたからではございません。近くの三人が、目を伏せたからでございます。目を伏せる速さが、三人とも同じでございました。何度も同じ場面を通った方々の速さでございます。
「兄貴だったら座ってた」
クレムが、初めて動きました。壁から背を離して、卓のあいだを通り、そのまま広場の外の階段のほうへ歩いていかれます。
止める方はおりませんでした。ヘニング様は杯を持ったまま立っておられましたが、やがて腰を下ろされました。
「……毎年やっちまう」
誰も答えませんでした。楽師が弦を鳴らし始めまして、卓はまた元の音に戻りました。
わたくしは、上座から三つ目の席を見ておりました。皿が置いてございます。杯も、匙も、布巾も、揃えて置いてございます。宴方が毎年そこに一人分を並べて、毎年、誰も座らないのでございましょう。
ニナが、小声で申しました。
「あそこ、あの人の席だよね」
「はい」
「なんで座んないの」
「存じません」
◇
末席のほうから、話し声が聞こえてまいります。リンデンの徽章の方が、隣の商人に何か仰っておられました。
「——だから、荷が動かんのですよ。王都は今、儀典の判が止まっておりまして」
「まだ式は組めんのか」
「組めません。そのうえ、先月おかしなことがございましてね」
その方は杯を置かれました。
「ヴェルスハイム侯爵家の屋敷から、帳面が運び出されたそうです」
ニナが、肉を噛むのをやめました。
「帳面?」
「十四冊。荷馬車が一台。儀典長閣下のお指図だと聞いております。前の婚約者殿が置いていかれた控えだそうで」
「そんなもん、何に使うんです」
「引き継ぎの不備を証すのだと。……もっとも、あちらのお屋敷の者は、一冊も開いたことがないそうですが」
「開いてないのに、不備が分かるんですか」
「分かりませんでしょうな。だから運んだのでございましょう。読める者のところへ」
「読める者がおるんですか」
「さて。それが、今のところ見つからんそうで」
二人が笑われました。よそ事の笑い方でございます。ニナが、こちらを見ました。
「ねえ。それ、あんたの?」
「わたくしのではございません。王家のものでございます」
「でも、あんたが書いたんでしょ」
「書きました」
「何が書いてあんの」
わたくしは、皿の縁を見ておりました。十四冊。年に二冊。誰が、いつ、何を通したか。日付と、印の主。
「日付でございます」
「日付?」
「日付と、印でございます」
ニナは、それでは足りないという顔をいたしました。足りないのは承知しております。わたくしは、控えを置いてまいりました。持ち出せば、いつか誰かが「あの女が持ち出した」と申しますので。棚に置いてまいりましたのは、そのためでございます。
運び出されました。誰が読むのかは、存じません。読める方がおいでかどうかも、存じません。
◇
宴は、日が変わる前に終わりました。卓を片付ける段になりまして、兵が椅子を運び始めました。
クレムが戻ってこられたのは、そのころでございます。何事もなかったような顔で、兵に指示を出し、灯を落とさせ、広場の隅の樽の数を確かめておられました。
椅子が、一つだけ残っております。いちばん端の卓の、その端。列から半分ほど外れた一脚でございます。
兵が手を伸ばしました。
「そのままでいい」
クレムはそれだけ仰いました。兵は頷いて、別の卓へ行ってしまわれます。クレムは椅子を見もせずに、広場を出ていかれました。
ニナが、その椅子の前に立っております。
「毎年こうなの?」
ヘニング様が、荷を担ぎながら通りかかられました。
「毎年だ」
「誰の席なの」
ヘニング様は、荷を持ち直されました。
「十年前までは、人が座ってたよ」
「だから、誰」
「……ヨルグさんだ」
ニナが、首をかしげました。
「誰?」
「クレムの、兄貴だ」
ヘニング様は、それきり何も仰いませんでした。
広場の灯が一つずつ落ちてまいります。最後に残った一つが、その椅子の脚のあたりを照らしておりました。
余った椅子を列に戻すか、そのままにしておくか。宴方としては、戻すのが正しゅうございます。アデルは、戻しませんでした。
次回、その椅子の主のお名前が出ます。十年前までは、人が座っておりました。




