第22話 値段の話
「九枚」
ニナが書付を卓に叩きつけました。
「銀貨九枚だよ。文句書いただけで九枚。あんた、今いくら持ってんの」
「六枚と、銅貨が十四でございます」
「足りないじゃん」
「足りません」
マルタが、朝の卓を拭きながら振り返りました。
「お客さん、うちの宿代、まだ半分しかもらってないですよ」
「割り引いていただいておりますので」
「割り引いてません。父さんが受け取らないだけです」
ニナが指を折り始めました。
「マルタさんとこ、ただ。名前消された花嫁のとこ、銅貨二十。喪中のとこ、菓子の箱。年の差のとこ、銅貨三十。代理のとこ、なし。ドリスさんとこ、銀貨一枚と、樽」
「樽は、たいへん良いものでございました」
「樽じゃ商会に払えないでしょ」
ニナは折った指を全部開いて、こちらへ突き出しました。
「あんた、十七組やって、銀貨に直すと三枚と少しだよ。——で? これ、仕事?」
わたくしは、しばらく黙っておりました。黙っておりましたのは、数えていたからでございます。十七組。三枚と少し。一組あたり、銅貨で二枚に届きません。
王都では、値のことを一度も考えたことがございませんでした。予算の欄はございましたが、あれは王家の金でございます。わたくしの手間には、欄がございませんでした。
「値をつけたことが、ございませんでした」
「知ってる」
ニナが、椅子にどさりと腰を下ろしました。
「みんな知ってる。だから六枚のほうに行くんだよ。あっちは値がついてるから」
ニナは椅子の背に顎を載せました。
「あとさ」
「はい」
「あたしの給金の話、いつすんの」
「本日いたします」
「……うそ」
「いくらご希望でございますか」
ニナは口を開けて、それから閉じました。指を二本立てて、また下ろします。
「……知らない」
「はい」
「あたし、自分の値、つけたことないもん」
マルタが卓布をたたむ手を止めました。わたくしは、湯を注ぎました。注ぐよりほかに、いたしようがございません。
◇
昼に、クレムが食堂へ寄りました。卓の上の書付を、立ったまま覗き込んで、鼻を鳴らします。
「値切られてんぞ」
「値切られてはおりません。まだ値がございませんので」
「同じことだ。黙ってると一生その値だ」
クレムは杯も取らずに、壁に肩を預けました。
「関の話をしてやる。昨日、リンデンの荷が三つ通った」
「はい」
「王都の大聖堂は、まだ空いてる。半年、誰も式を組めてない」
わたくしは、卓布の端を見ておりました。
「花市が、王家への出入りを止めた。白薔薇の代金が半年ぶん払われてないそうだ。……九百本だったか」
「温室から上がるのが九百でございます。市から三百」
「その三百の払いだ。三百本ぶんの銅貨で、王家の門が閉まってる」
ニナが口笛を吹きました。
「三百本っていくら?」
「本数ではございません。誰が印を押すかでございます」
押す者がおりません。花の払いは儀典の欄でございますので、儀典長が押します。押しますと、その花が誰の式のものかを書かねばなりません。書けば、式が組めていないことが帳に残ります。
「……つまり」
クレムが、こちらを見ました。
「あっちは、払えないんじゃなくて、書けないのか」
「存じません。わたくしは、もう控えを見ておりませんので」
「そうかい」
クレムは戸口へ歩きながら、思い出したように申しました。
「三日後、公国の祝勝の宴だ。俺が卓を組む。下見に付き合え」
「宴方をお雇いになりませんか」
「宴方は商会が寄越す。商会の卓は毎年、日の入りを勘定に入れん」
◇
その日の夕方、ゾルド様が宿までおいでになりました。帳付けを一人連れて、外套も脱がずに卓の前に立たれます。
「新しい値でございます」
紙を一枚、置かれました。
——婚礼一式、銀貨四枚。三日より。
「六枚ではございませんでしたか」
「今日から四枚でございます。街の看板は、明日には全部書き換わります」
「七枚の板を、また削られるのでございますね」
ゾルド様は、そこは笑われませんでした。
「アデル様。四枚には勝てません。うちの取次に入っていただければ、と申し上げたのは、そういう意味でございます」
わたくしは、その紙を見ておりました。卓、花、楽師、司祭への取次、控えの間の借り賃。一式でございます。四枚は、正直に申しまして、安うございます。原価を割っております。割った分は、崩れる二組から取り戻す仕組みでございましょう。
「ゾルド様。一式でしたら、そちらのほうがお安うございます」
「……は」
「花も卓も楽師も、うちより早くお集めになれます。一式をお求めの方には、そちらをお勧めいたします」
帳付けの手が止まりました。
「では、あんたは何を売る」
「一点でございます」
わたくしは、卓の上に指を一本置きました。
「一点につき、銀貨五枚。花も卓も楽師も付きません。何も付きません」
「一式より高いではありませんか」
「高うございます」
「誰が買います」
「花嫁が買います」
ゾルド様は、しばらく黙っておられました。
「……二点なら、九枚にでもなさるおつもりで」
「二点は承っておりません」
「なぜ」
「二点変えますと、変えたことに気づかれますので」
ニナが横で、げらげら笑い始めました。マルタが袖を引いております。
「それから、お代は式の翌日、花嫁ご本人の手からいただきます。ご家族からも、貸主からも、商会からもいただきません」
「翌日では、逃げられますな」
「逃げられました分は、帳に書いておきます」
ゾルド様は、外套の襟を直されました。
「看板の文句の九枚は」
「今月末までに、お納めいたします」
「払われるので」
「はい。領収を、書面でいただけますか」
ゾルド様の指が、一度だけ卓の上で止まりました。
「……書面」
「日付と、判と、通算の枚数を。うちも、帳に控えを取りますので」
「妙なことをなさる」
「控えは、いつでも取ってまいりました」
◇
三日後、公宮の下の広場で、祝勝の宴の下見がございました。卓が長いのが四本。上座は北。日は西から入ります。クレムは兵を四人使って、卓を九度だけ回させました。わたくしは何も申しておりません。
「去年、上座の爺さんが半刻ぶん陽を浴びて、途中で倒れた」
「さようでございましたか」
「今年は倒れん。倒れたら俺の落ち度になる」
椅子が運ばれてまいりました。ニナが数えております。
「四十、四十一……四十六。うん、四十六」
クレムは最後の一脚を自分で受け取って、いちばん端の卓の、その端に置きました。列から半分ほど外れております。
「四十七」
ニナが顔を上げました。
「ねえ。一個多いよ」
「そうか」
「客、四十六でしょ。名簿見た」
「見たのか。読めないだろ」
「マルタに読んでもらったの。四十六」
クレムは椅子の背を一度、手のひらで押さえました。それだけでございます。
「数えるな」
そう申しまして、卓のあいだを歩いていってしまわれました。ニナは口を尖らせて、椅子を列に戻そうといたしました。
わたくしは、その手を止めました。
「そのままで」
「え。だって、四十七あったら、宴のとき一個余るじゃん。余ると、みっともないって、あんた言ってなかった?」
申しました。余った椅子は、その席の主が来なかったように見えますので。広場の石に、椅子の脚が四つ、影を落としております。
わたくしは、その端の一脚を、しばらく見ておりました。
安く請けますと、次に来た誰かも安く請けさせられます。値をつけますのは、そのためでございます。……というのは半分建前で、単純にアデルは宿代を払っております。
次回、祝勝の宴です。毎年、椅子が一脚だけ余ります。




