第20話 壊れた式を、拾う
ドリス様の婚礼は、三日後の昼でございました。二日かけて、動かせるものを動かしました。動きませんでした。
卓を貸す家は、この街に十一軒ございます。十一軒とも、その日は先約が入っておりました。楽師の宿は四軒。四軒とも同じでございます。花屋は、白は出せるが黄は出せないと仰いました。どこも、断り方が同じでございました。
——その日は、商会のお仕事が入っておりますので。
「押さえられてるじゃん」
ニナが宿の卓に頬杖をついて申しました。
「その日に三組売って、人手は一組ぶんしか出さない。残り二つは崩れる。崩れても銀貨六枚は返らない。——うまいね、あれ」
「うまくはございません」
「え?」
「三組ぶんの請け書を、一つの頁に並べて書いておりました。同じ頁に書きますと、後で言い逃れができません」
ニナが、口を開けたまま、しばらくこちらを見ておりました。
「……いつ見たの、そんなの」
「頁を一度、めくらせていただきました」
ニナは頬杖を戻して、卓を指で二度叩きました。
「じゃあさ、それ、あたしの給金の話といっしょに、あとで聞く」
「本日はいたしません」
「いっつもそれ」
◇
当日の朝、新郎のヴィム様の家へ参りました。樽をお作りになる方だそうでございます。家は狭く、土間に樽が九つ積んでございました。ここへ卓を三つ入れる算段だったのでございましょう。入りません。三つどころか、一つも入りません。
ドリス様は、その土間の隅に立っておられました。
「すみません」
「はい」
「わたし、簡単でいいって言ったんです。二度目だし。だから安いのにして」
「はい」
「花も、白だけでいいって言ったんです。ほんとに。だから、これは、わたしが」
朝から、この方はずっと謝っておられました。樽屋の親方に謝り、隣家に謝り、来てくださった老人に謝り、それからわたくしにも謝られます。
二度目の婚礼の決まりを、司祭様に伺ってまいりました。聖堂は使わない。誓いは家の戸口で立てる。鐘は鳴らさない。花は白と黄。客は招かず、来た者だけを入れる。新婦は家の中で待ち、新郎が戸口で客を迎える。
変えられないものが、十七ございました。変えられるものは、ございませんでした。いつものことでございます。
宿へ戻りますと、ニナが食堂で待っておりました。昼前でございます。肩の巻紙を卓に叩きつけるように置いて、指を折り始めました。
「客、来るって言ってる人が十四。ヴィムさんの親方と、樽の職人が五人。ドリスさんの前の旦那さんの船の人が六人。隣の二人。あと、あたし」
「十五でございますね」
「あたしは客じゃなくて働くほう。——で、聞いて。宿の梁、八本」
わたくしは、顔を上げました。
「卓を並べ替えると、十六人」
「入るね」
「入りますね」
「マルタに言ってきた。今日、昼から食堂は閉めるって。あの子、もう椅子出してる」
ニナは巻紙を広げました。字は書いてございません。絵でございました。四角が三つと、丸が十六。戸口のところに、小さな人が一つ。矢印が二本。
「あたし、字は読めないから。マルタに読んでもらう」
「読めます」
「読めるでしょ」
ニナは絵の、戸口の人を指で押さえました。
「でもさ。一個だけ、どうにもなんないのがある」
「はい」
「宿は、ヴィムさんの家じゃない」
そのとおりでございました。誓いは、新郎の家の戸口で立てる決まりでございます。宿は誰の家でもございません。借りた場所でございます。借りた場所で挙げますと、ドリス様は今日一日、宿に謝ることになります。朝からずっとそうしておられるように。
「ねえ」
ニナが、絵から目を離さずに申しました。
「決まりって、『新郎の家の戸口』って言ってるんでしょ。じゃあさ、今日一日だけ、あそこをドリスさんちってことにしたら、駄目なの」
わたくしは、その絵を見ておりました。
「宿の戸を、ドリス様が開けることになりますね」
「うん」
「客をお入れになるのも、ドリス様でございますね」
「決まりだと、それはヴィムさんの役」
「新郎が戸口で迎える、でございます。中でお待ちになるのが新婦。——両方が戸口におられてはいけないとは、伺っておりません」
ニナが、こちらを見ました。それから、にやりといたしました。悪い顔でございます。
「屁理屈じゃん」
「仕来りは、たいてい屁理屈でできております。動かしましたのは、戸口の内と外の線一本でございますので」
◇
昼を過ぎて、銀の梯子亭の卓が並び替わりました。運びましたのは、公国の兵が三人でございます。クレムが表に立って、腕を組んでおりました。
「宴警固の下見だ」
「婚礼の卓を運ぶのは、下見に入りますか」
「卓の脚がぐらついてると、揉めたときに人が転ぶ。下見だ」
「さようでございますか」
「文句があるなら、書面で出せ」
楽師は、一人だけ参りました。テオ様と仰る、六十九のお方でございます。宿の階段に腰かけて、弦を合わせ始められました。
「商会のほうへは、何と」
「言っとらん。あそこには義理がない」
白の花が届きました。黄は、ございません。ドリス様が、また謝りかけました。ニナが横から申しました。
「黄色のは、あたしのリボン。ほどいて挟むから、それで足りる」
戸が開きました。ドリス様が、外に立っておられます。
十四人が坂を上がってまいりまして、その一人ずつに、ドリス様が「ようこそ」と仰いました。樽の職人が入り、隣の夫婦が入り、前の旦那様の船の仲間が六人、帽子を脱いで入ってまいりました。
最後の一人が入りましたとき、ドリス様が戸口の柱に手をつかれました。それから、ヴィム様のほうを向いて、誓いを立てられました。戸口でございます。決まりのとおりでございます。
鐘は鳴りません。二度目の婚礼では鳴らさない決まりでございますので。テオ様の弦だけが鳴っておりました。
わたくしは、卓の端でそれを見ておりました。今日の式次第を書きましたのは、わたくしではございません。絵で描いた者が、勝手口のところで背伸びをしております。
宴のあいだ、ドリス様は一度も謝られませんでした。その代わりに、六度、人を席へ案内なさいました。数えておりました。
船の仲間のうち、いちばん年嵩の方が、途中でこちらへ杯を持ってこられました。
「あんたか。壊れたやつを拾うってのは」
「拾えたものだけでございます」
「うちの甥のとこも、来月やられそうでな。商会に六枚払っとる」
その方は、卓のほうへ戻っていかれました。戻りながら、隣の席の方に何か仰っておりました。同じことを、三つ先の卓でも仰っておられます。
◇
片付けは日が落ちてからでございます。外で、ニナがマルタと椅子を数えておりました。数えながら、戸口から顔を出します。
「ねえ。あんたの式が壊れたら、誰が拾うの」
「壊れる予定がございません」
「そういうことじゃなくて」
ニナは椅子を一つ抱えたまま、少しのあいだ黙っておりました。
「……まあ、いいや。——で? あの絵、取っといていい?」
どうぞ、と申し上げました。テオ様が、弦を布に包みながら、こちらをご覧になっております。
「あんた、卓の向きを変えたな」
「はい」
「西日が入るほうを、空けた」
「上座の方が、半刻ほど正面から陽を受けますので」
テオ様は、しばらく手を止めておられました。
「昔、そういう直し方をする女がいた」
「……はい」
「この街だ。二十年ばかり前になる。卓を九度だけ回して、それきり何も言わん。妙な女だった」
弦の入った布が、卓に置かれました。
「その方は、どうなさいましたか」
「死んだよ。よそへ嫁いで、それきりだ」
テオ様は立ち上がられました。戸口で一度振り返って、こう仰いました。
「最後に一つ、受けていた仕事があってな。あれだけは、書き上がらんまま、いなくなった」
卓を九度だけ回して、それきり何も言わない女が、二十年前にもこの街にいたそうでございます。テオ様の話は、そこで終わりました。書き上がらないまま消えた式次第が、一つあるそうです。
次回、その一枚がアデルの手に渡ります。二十年前の宴方が、どなたであったのか。




