第18話 二人でどうぞ
その日、この街には婚礼が二つございました。一つは坂の上の聖堂で、朝のうちに。もう一つは丘の客館で、昼から。わたくしは呼ばれておりません。
坂の上の花嫁は、エルケ様と仰います。十九におなりで、三年前にこの街へ来られました。川を四つ越えた先の生まれだそうでございます。このたび、石切りのフーゴ様と一緒になられます。よその国から来た者の婚礼には、決まりがございます。
「灯は四つだ。この街の者同士なら六つだが、片方がよそから来たときは四つ」
司祭様は、そう仰いました。
「鐘は鳴らさぬ。二度目の婚礼と同じだ。花は置かぬ。それから、招く数は両家で揃える」
「揃わぬときは」
「少ないほうに合わせる」
「エルケ様のお身内は、この街に一人でございます」
「では、一人だ」
「フーゴ様のお家は」
「二十三人おる。だが、一人だ」
「灯を増やすことは」
「できん」
わたくしは、四と書き、その下に一と一を書きました。
エルケ様は控えの間で、膝の上に手を揃えて座っておられました。白の絹でございます。袖の縫い目が内側へ折り込んでございました。ご自分で詰められたのだと思います。
「あの」
「はい」
「フーゴさんのお父さんだけ、ということで、いいんですよね」
「決まりでは、そうなります」
「はい」
エルケ様は、袖を直されました。それから、同じところをもう一度直されました。
「フーゴさんのお母さんが、昨日、いいのよって仰って」
「はい」
「三度、仰いました」
この方も、数えておられます。
「エルケ様。灯は四つでございます。増やせません」
「はい」
「どこに置くかは、決まっておりません」
エルケ様が顔を上げられました。
◇
聖堂は暗うございました。冬の朝で、窓が小そうございますので、四つの灯では奥まで届きません。長椅子は、片側に三列ずつございます。座っておられるのは、二人でございました。右の列の端に、エルケ様の大叔母のヒルデ様。七十四におなりで、杖をお持ちでございます。左の列の端に、フーゴ様のお父上。残りは、空でございます。
わたくしは、その四つを、祭壇の一段下へ下ろしました。通路の両脇ではございません。お二人がお立ちになる場所の、足元でございます。四つで囲みます。灯を床へ置いてはならぬとは、司祭様に伺っておりません。伺っておりませんので、置きました。
火が入りますと、明かりが床から立ち上がりました。人の顔は、下から照らしますと輪郭だけが浮きます。柱も、祭壇も、六つの長椅子も、そこから外れました。エルケ様が通路を歩いてこられました。歩いておいでのあいだ、この方は一度も後ろをご覧になりません。振り返れば、空の席が見えますので。
四つの中へ入られたところで、エルケ様が顔を上げられました。明かりの外は、暗うございます。長椅子も、空の席も、見えません。見えますのは、正面のフーゴ様だけでございます。エルケ様は、そこで目を細められました。眩しいからでございます。それだけでございます。
式は決まりどおりに進みました。灯は四つ。鐘は鳴らさず。花は一輪もございません。招いたのは、両家から一人ずつ。誓いのあいだに、杖の音が三度いたしました。ヒルデ様が、一列ずつ前へお移りになったのでございます。三度目で、灯の端に杖の先が入りました。
式が終わりまして、エルケ様が外套を受け取りに戻ってこられました。
「あの」
「はい」
「聖堂って、あんなに小さかったですっけ」
「同じでございます」
「そうですか」
エルケ様は、袖を直されませんでした。
◇
昼を過ぎて、ニナが表から駆け込んでまいりました。外套の前が開いております。走ってきたようで、息が上がっておりました。
「見てきた。見てきたよ」
「お掛けなさい」
「掛けてらんない。あのね、椅子がね」
ニナは卓に手をついて、それから一息に申しました。
「椅子が、並んでるの。八十くらい。ちゃんと並んでる。名札も置いてある。紙にちゃんと名前が書いてあるの。あたし字は読めないけど、書いてあるのは分かる」
「はい」
「で、誰も座ってないの」
ニナは、両手で卓の上に四角を描きました。
「一人もいないの。八十ぜんぶ空いてるの。公国の人が三人立ってて、リンデンの人が二十一人いて、それだけ。だから椅子のほうが、人より多いの」
「客はどうなさいましたか」
「来ないの。誰も来ないの。呼ばれてないんだって。ううん、呼ばれてるんだけど、名札の名前と、来てる人の名前が、ぜんぜん違うんだって」
ニナは、そこで一度言葉を切りました。
「……あの女の人ね」
「はい」
「白いの着てた。ずっと、椅子のとこに立ってた。座らないの。座る椅子に、自分の名前が無いから」
わたくしは、湯を一杯出しました。ニナは杯を両手で持って、少し黙って、それから飲みました。
「殿下って人が、始めろって言ったんだよ。何回も言った。でも誰も動かないの。二十一人ぜんぶ、立ってるだけ」
「はい」
「なんで動かないの、あれ」
「存じません」
「うそだ。あんた、知ってる顔してる」
◇
クレム様が来られましたのは、日が落ちてからでございます。警固で立っておられたはずでございます。掛けずに、卓の端に手を置かれました。
「終わった」
「はい」
「式は挙がらん。誓いだけ、二人で言って終いだ」
「さようでございますか」
クレム様は、外套の内から折り畳んだ紙を一枚出して、卓に置かれました。
「公国の儀典官が、椅子を並べるのに使った図だ。リンデンから正式に届いたものの写しだと言っていた」
わたくしは、それを開きました。外交席次の図でございます。頁が四枚。上から順に、卓、上座、席、名。三枚目と四枚目のあいだで、綴じが一枚ずれておりました。名の頁が、この式のものではございません。四年前の、通商使節の饗宴のものでございます。
招待状は、この頁の名で出たのだと思います。四年前に招いた方々のところへ、四年後の婚礼の案内が届いたのでございましょう。届いた側は、何かの間違いだと思って、来られなかったのだと思います。図の裏に、決裁の印がございました。ヘルヴィク侯爵のものでございます。
「見覚えがあるか」
「ございます」
「いつだ」
「四か月前でございます。白の間で、この図を一度、儀典長にお見せいたしました」
「なんと言った」
「綴じが一枚ずれております、と申し上げました」
「それで」
「それだけでございます」
クレム様は、しばらくわたくしを見ておられました。
「それだけか」
「はい。それ以上申し上げますと、直すのはわたくしの仕事になります。あの日、わたくしの仕事は終わっておりました」
クレム様は、卓を指の背で一度叩かれました。
「もう一つある。あんた、巻紙の写しの話をしたな」
「侍従の方が、膝に載せておられました」
「あれを開いた。今日、あの場で開いた」
「はい」
「開いて、しばらく見て、閉じた」
クレム様は、外の暗くなった坂のほうへ顎を向けられました。
「あいつら、命令が無くて動かなかったんじゃない。殿下は五回言った。動けと言った。だが、あの二十一人は、何をどうやれば式になるのかを、誰一人読めなかった。読めないから動けなかった。それだけだ」
「はい」
「あんたが七年やってたのは、あれか」
「あれでございます」
クレム様は、そこで初めて椅子を引いて、掛けられました。
「結局、二人でやったわけだ」
わたくしは、図を畳んで、クレム様のほうへ戻しました。
「明日、一行は発つそうだ。王都へ帰る」
「さようでございますか」
「言伝は無い。詫びも礼も無い。俺が立っていたところには、何も来なかった」
「はい」
「大聖堂は、まだ空のままだそうだ。リンデンの王太子の結婚式は、四か月経って、まだ一度も挙がっとらん」
窓の下で、鐘が鳴りました。低いのが二つ、高いのが三つ。この街の婚礼の鐘でございます。丘の客館では、今日は鳴りませんでした。二度目の婚礼でもございませんのに、鳴りませんでした。鳴らす手続きを、誰も踏まなかったのだと思います。ニナが階段のところに座って、こちらを見ておりました。
「ねえ」
「はい」
「あんた、あの人たちのこと、何もしないの」
「いたしません」
「なんで」
「頼まれておりませんので」
ニナは膝を抱えて、しばらく黙っておりました。それから、思い出したように立ち上がりました。
「あ。そうだ。忘れてた」
「はい」
「南の宿場でさ。祝宴師って名乗ってる人がいるって。花嫁専門って看板出してるって」
ニナは、階段の手すりに手を掛けました。
「三つ、壊れてるって。式が三つ」
アデルは何もしておりません。頼まれておりませんので。王都の大聖堂は、四か月、空のままでございます。
第三章「追ってくる」は、ここまで。次回、南の宿場に「祝宴師」を名乗る者が出ます。壊れた式が、三つ。呼びつけてくるのは、宴商会の元締めでございます。
ブックマークと評価は、鳴らしそびれた鐘の代わりに受け取っております。




