第12話 代理の花嫁
書付には「ハーゲン家の娘」とだけ書いてございました。北のハーゲン家と、南のメルツ家の縁組でございます。どちらもこの国の外の家でございますので、婚礼はカルヴァンで組まれます。
ハーゲン家の娘御はヴィルマ様と仰います。ご病気で、発たれませんでした。代わりにお見えになったのが、レナ様でございます。十九。ハーゲン家の遠縁で、去年まで家の帳場にいらしたそうでございます。
「両家とも承知の上なんだ」
使いの方が仰いました。
「書付には『ハーゲン家の娘』としか書いてない。だから、書付は直さなくていい」
「はい」
「先方も、それでいいと。……顔を検める必要も無いということで、ヴェールは上げないことになった」
「上げない」
「式でも、宴でも。そういう話がついた」
ニナが、口を開けました。
「じゃあ、誰も顔見ないの」
「そういう縁組もある」
使いの方は、卓の上に銀を並べられました。
「値は聞いてる。八だろう。……よその宴方は四だと言ってきたが、うちの家はあんたに頼めと言われている」
「どなたに」
「知らん。北の道で、あんたの名を聞いた者が一人いたそうだ」
レナ様には、その日のうちにお目にかかりました。背の高い方でございます。宿の窓辺で、髪をご自分で結っておられました。
「あたし、帳場にいたんです。だから字は書けます。数も合わせられます」
「はい」
「ヴィルマ様のこと、悪く言わないでくださいね。あの人は本当に具合が悪いので」
「はい」
「……で、あたしは何をすればいいんですか」
「立って、歩いて、誓っていただきます。それだけでございます」
レナ様は、少しお笑いになりました。
「それだけなら、誰でもいいですよね」
◇
仕来りの写しを、両家からいただきました。メルツ家の写しは古いもので、四十七条ございます。誓いの言葉。花。灯。席。楽師。返礼。わたくしは、端から読んでまいりました。
ヴェールを下ろす条がございます。聖堂へ入る前に、新婦の家の者が下ろす。ヴェールを上げる条は、ございませんでした。
書いてあるのは「下ろす」だけでございます。上げるのは仕来りではなく、その日の家の都合でございました。ですから、上げないと決めれば、上げないままになります。
——上げてはならない、とは書いていない。
書いてはございませんが、上げれば話が違うことになります。両家が承知でお決めになったことを動かすのは、この仕事ではございません。
もう一度、写しを端から読みました。四十七条のどこにも書いていないものが、一つございます。聖堂の扉のことでございます。
前の日の午後、坂の上の聖堂へまいりました。扉を開けて、閉めて、また開けて、三度いたしました。
この街の風は港から上がってまいりますので、午後は下から吹き上げます。扉を開けますと、身廊の敷石の上を通って、祭壇の手前で少し上を向きます。
ヴェールは、乱れます。どの家の式でも、ヴェールを直す者が一人つきます。それは仕来りではございません。誰がやるとも書いてございません。たいてい、家の女中がいたします。
「ニナさん」
「なに」
「明日、ヴェールを直していただけますか」
「あたし、そんなの触ったことないよ」
「両手で押さえて、下ろすだけでございます」
「……それ、仕事なの」
「本日の一点でございます」
◇
式は、メルツ家の仕来りどおりに進みました。四十七条、一つも破られておりません。花は白。灯は蝋。誓いの言葉は新郎から。
名は、書付のとおりに読み上げられました。ハーゲン家の娘、と。レナ様というお名前は、その日、一度も声になっておりません。
誓いの言葉の前に、後ろの扉が開きました。遅れて入る客がございますので、そのように組んでございます。
風が入りました。ヴェールが、下から持ち上がりました。
ニナが、両手で押さえました。押さえるときには、布の内側へ手を入れます。そうしなければ、戻りませんので。
顔と顔のあいだが、一尺ほどでございました。ニナが、小さく申しました。
「レナさん。ずれてる」
布が下ろされ、式はそのまま続きました。どなたも気づいておりません。見習いがヴェールを直しただけでございますので。
——一人だけ、見た。
宴が終わりまして、着替えの間の外でレナ様にお会いいたしました。
「ねえ。風、来るって知ってた」
「はい」
「じゃあ、わざとだ」
わたくしは、頭を下げました。
「……ずるいなあ」
レナ様は、髪の留めを一つずつ外しておられました。
「あたし、明日からヴィルマの名前で暮らすんだけど」
「はい」
「顔は、あたしの顔だから」
それだけ仰って、中へお入りになりました。坂を下ります。ニナは、巻紙の筒を担ぎませんでした。わたくしが渡しても、受け取りません。
三度目で、ニナが立ち止まりました。
「……あたし、あれ、やだな」
「はい」
「あたしんちも、売ったんだ。あたしの。銀で十二」
「はい」
「十七になったら。相手、もう決まってる。名前も知らない」
ニナは笑おうとして、やめました。
「ずっと、笑い話にしてたのに」
「はい」
「今日、あの人の顔、近くで見ちゃったんだよ。あたし、あんな顔で立ってるのやだ」
わたくしは、巻紙の筒をもう一度差し出しました。
「ニナさん」
「なに」
「担いでいただけますか。坂が急でございますので」
ニナは、それを受け取って肩に載せました。
◇
宿へ戻りますと、食堂の卓に老人が座っておりました。宴商会の書記の、オトー様でございます。七十一。帳を一冊、卓に置いておいででした。
「ハーゲンとメルツから、礼状が来た。両方とも、宴方の名を書いてある」
「さようでございますか」
「よその国から名指しの礼が来たら、帳に書く。八十年、そういう決まりでやってきた」
「王都の布告のことは」
「あれは王都の帳のことだろう。うちの帳は、この国で組んだ婚礼のことしか書かん」
オトー様は帳をお開きになりました。宴方の帳には、職の区分の欄がございます。宴。卓。花。楽。四つでございます。
オトー様は、その下に一行、新しく線をお引きになりました。そして、こうお書きになりました。
——宴方 アデル 花嫁。
「区分が無いんでな。作った」
「ゾルド様は」
「反対した。二対一だ。……八十年やっとると、たまには行が増える」
老人は帳を閉じて、脇にお抱えになりました。
オトー様がお帰りになったあと、ニナが写しを覗き込みました。
「あんた、名前入ったよ」
「はい」
「読めないけど、いちばん下の行でしょ。分かるもん」
「はい」
帳には、宴方の名の横に、その者が受けた婚礼の数を書く欄がございました。わたくしの欄にも、数が書いてございます。両手には、まだ余りがございました。
この街で、わたくしの名で組まれた婚礼が、その数でございます。わたくしの名で組まれていない婚礼が、一つございます。鞄の、いちばん底に。
戸口の外で、クレム様の声がいたしました。
「アデル。港に報せが来てる」
「はい」
「リンデンの紋の船が、三日後に入る」
クレム様は、そこで一度、間を置かれました。
「婚礼の荷は、積んでないそうだ」
坂の下で、鐘が鳴りました。低いのが二つ、高いのが三つ。どこかで婚礼が始まったのでございます。
三日後に入る船には、婚礼の荷が積んでおりません。
宴方の帳に、名前が入りました。受けた婚礼の数を書く欄には、まだ両手で足りるだけしか並んでおりません。組まれていない婚礼が一つ、鞄の底にございます。
第二章「一点だけ」は、ここまで。次回、戦をしていた国同士が同じ卓につきます。動かすのは、塩壺を一つ。
ブックマークは、その帳の数の欄に書き足させていただきます。




