第10話 破綻の名前
布告は、こう書いてございました。
——リンデン王国儀典局よりの布告。
——大聖堂における王家の結婚式につき、日取りの重複ならびに諸般の不備が生じた。当該の式典は、日を改めるものとする。
——右の不備は、前婚約者ヴェルスハイム家アデライドよりの引き継ぎに不備があったことによるものと、当局は記録している。
——リンデン王国儀典長 ヘルヴィク
紙は一枚でございます。字が大きく、余白が広うございました。掲示に貼る紙は、遠くから読めるように大きく書きます。誰に読ませるための紙かは、字の大きさで分かります。
人垣の中に、婚礼の受付の看板を出しておられる方が何人かおいででした。この街には、宴で食べている者が年に四百組ぶんおります。どなたも、わたくしのほうをご覧になりません。見ないようにしておいででした。
読み上げていた男が、二度目を読み始めました。この街の習いでございます。二度目は、みな最後の一行だけを聞いております。
二度目が終わりますと、人垣の前のほうにいた方が二人、こちらを振り返らずに離れていかれました。花屋の主人と、楽師の取りまとめの方でございます。どちらも、先日ご挨拶にうかがった方でございました。
ニナが、袖を引きました。
「帰ろ」
「はい」
「あんた、あの紙、全部読んだ」
「三度読みました」
「三度」
「一度目は文の意味を、二度目は誰に読ませたいかを、三度目は書き方を読みます」
「……なにそれ」
「布告の書き方には決まりがございます。儀典局の布告は、頭に日を書きます」
ニナが、掲示のほうを見上げました。わたくしは、坂を上がりました。
◇
宿へ戻りますと、卓の上に手紙が二通ございました。一通は、南街道の花市の商人からでございます。七年、白薔薇を頼んでまいりました相手でございます。
——十四日前の朝、大聖堂の扉を開けましたところ、荷が二組入っておりました。
——一方は王家の花、一方はレンハルト伯家の花でございます。伯家は三年前に、その日を大聖堂へお納めになっておいででした。帳の頁が違っていたのだそうでございます。
——どちらの荷車も、身廊のまんなかで止まりました。どちらも道を譲りません。譲れば、その日を譲ったことになりますので。
——どちらの車にも、白薔薇が積んでございました。
——どちらも、足りておりませんでした。
わたくしは、そこで一度、手紙を置きました。
一二〇〇本。温室から九百。市の入荷は例年の七掛け。
——最初から、足りていない。
足りないぶんは北廊の意匠を替えて蔓の緑で埋めるつもりでございました。図案は三案まで詰めて、巻紙の六十一枚目から六十三枚目に綴じてございます。手紙には、続きがございました。
——殿下の礼装は期日どおりに上がりました。ただし寸法は、三度目の直しの前のものでございました。肩が、二分。
——外交席次は、綴じのままお使いになりました。北方の使節の卓と、東方の使節の卓が、同じ通路で向かい合いました。北方の使節は、その日のうちにお発ちになりました。
——客名簿は、頁の端が折れておりましたので、伸ばして綴じ直したそうでございます。それで正面から千二百四十名を一度にお通しになりました。門の前で二刻、列が動かなかったと伺っております。
——楽師は、兄弟のお二人が同じ卓に入りました。欄外の三角の印が何を指すのか、どなたにも分からなかったそうでございます。
——厨房は鶏を四百羽そのまま焼きました。二割の鴨は、蔵で傷んでおりました。
——白の間の卓の上に、巻紙が置いたままになっております。紐が、解かれておりません。
——どなたも、動かなかったのでございます。
もう一通は、王都の屋敷の乳母からでございました。三行だけの短いものでございます。
——街では、王城の者が誰も動かなかったと申しております。
——薄情な連中だと申す者もおります。
——お体を、おいといくださいませ。
わたくしは、二通を重ねて、封の側を揃えました。三角の印の意味を知っているのは、今も、わたくしだけでございます。名簿の頁の端を折った意味も、赤い印の意味も、同じでございます。
書いてはございます。巻紙の、どの頁に何を書いたかまで、目次を一枚つけてございます。目次は、いちばん外側に巻いてございました。紐を解けば、最初に出てまいります。
ニナが、手紙を覗き込みました。
「読んで」
わたくしは、二通とも読み上げました。ニナは、鶏のところで顔をしかめました。
「その鴨、どうなったの」
「傷んだと書いてございます」
「もったいな」
もったいのうございます。二割で八十羽でございました。
◇
その晩、食堂に人が集まりました。ニナが布告の写しを卓に広げております。どこで手に入れたのかは伺いませんでした。
「これ、嘘じゃん」
「はい」
「嘘じゃん。あんた、全部書いて置いてきたんでしょ。紐も解いてないって、そこに書いてあるじゃん」
「はい」
「じゃあ言いなよ。あたし、字は読めないけど、口はきけるよ」
クレム様が、壁際の柱に背をつけて立っておいででした。
「アデル」
「はい」
「なんで黙ってる」
マルタ様が、卓を拭く手を止めておいででした。宿の主人も、階段の途中で止まっております。わたくしは、布告の紙を持ち上げました。
こういう紙は、日を置きますと効きが弱まります。二日で人の口に上らなくなり、七日で誰も憶えておりません。言い返しますと、その七日が七十日になります。言い返した側の名も、一緒に残ります。——七年、そうしてきた。
「ニナさん」
「なに」
「明日、ハーゲン家の使いの方がお見えになります。卓を出しておいていただけますか」
「……そうじゃなくて」
「卓は、窓際で」
ニナは、しばらくわたくしを見ておりました。それから布告の写しを丸めて、巻紙の筒に突っ込みました。
「言っとくけど、あたし納得してないから」
「はい」
マルタ様が、卓を拭き終えて、布を絞られました。
「お客さん。うちの婚礼のとき、あんた、十二歩のこと誰にも言わなかったよね」
「はい」
「そういう人が、こういうときに言い返さないの、あたし、なんとなく分かる。……でも、腹は立つ」
「マルタ様」
「なに」
「明日の朝、卓布を替えられますか」
「替えるけど」
「白の、糊の効いたものがよろしゅうございます。掲示を見た方が、この食堂へ様子を見にいらっしゃいます。三日ほど続きます」
マルタ様が、布を絞る手を止められました。
「……あんた、そういうことばっかり考えてるの」
「はい」
「腹、立てないの」
わたくしは、卓の上の紙を見ておりました。腹の立て方は、七年のあいだに二通り覚えました。一つは、その場で言うこと。もう一つは、書いて残すこと。前者は一度もいたしませんでした。
クレム様は、柱から背をお離しになりません。
「言い返さねえのは、あんたの勝手だ。だがな」
「はい」
「あの紙は、うちの公の掲示に貼ってある。うちの街の連中が、毎日その前を通る」
「存じております」
わたくしは、布告の紙の下の端を見ておりました。
日付が、書いてございませんでした。
布告に、名前が載りました。アデルは言い返しません。腹の立て方を二通り覚えていて、七年、後のほうしか使っていないからでございます。書いて、残すほうです。
次回、その書いて残したものが、どこにあるのかを初めて口にいたします。——置いてまいりました、と。
評価の☆は、足りなかった白薔薇の本数に数えさせていただきます。




