栞はもう……まともじゃないんだね
「栞……?」
私ーー嬉野文は学校の帰り道、公園のベンチで座っている栞の姿を発見する。
これは私の中学生の頃の記憶。今でもずっと消えない心に残った嫌な記憶だった。
中学の頃の私はいかに愚かで同時に栞という存在の事を何も分かっていなかった。
「文……ちゃん」
公園で栞を見つけて声を掛けると栞は落ち込んだ表情で私を見た。
そんな彼女の手にはくしゃくしゃのテスト用紙があってそこには七十点という点数が書かれている。
「どうしたのー? ベンチで落ち込んでたりしてさ」
私と栞は幼馴染みで実のところ密かに栞に対して恋心を抱いていた。
だから栞が落ち込んでいるのを見て助けたいと思った。
栞は普段悩みとかあんまり話してくれないから頼って欲しいと思ったのだ。
「悪い点数取っちゃって……お母さんに怒られるのが怖くて」
文は体を震わせながら小さく呟いた。それを聞いた時、私はなんだそんなことかと思った。
テストの点数が悪くて怒られるなんていうのはよくある話。
私だってたまに低い点数を取って親に怒られたりする。
それに栞の点数は七十点。私からすればあまり悪いようには見えないし怒られると言ってもちょっと注意される程度のことだと思っていた。
「だったらさ。私が栞を助けるよ。栞が怒られたりしないように側にいてあげる。だから大丈夫だよ!」
「……本当?」
「……勿論!」
そう私は約束した。栞を助けるってだから大丈夫だって。
でも私は楽観的な人間で臆病な人間だった。家で待っていた栞の母親に……それに手を引っぱられる栞を前に私は何も出来なかった。
「いいから来なさい!」
「や、やめて! 痛いっ! 文ちゃん……文ちゃん……怖いの……文ちゃん助けて……」
「栞……」
私は目の前で助けを求める栞に何も出来なかった。
栞は助けを求めていた。手を伸ばしてくれていた。
怖いって痛いってちゃんと自分が辛いことを苦しい思いをしていることを私に伝えてくれた。
なのに私はその手を掴めなかった。
栞のお母さんが怖くて私は立ち尽くすことしか出来なかったのだ。
ーーー
「栞……私は栞のことを愛しているから」
今日は栞と恋人にいられる一週間の最後の日。私はずっと栞の部屋で彼女を抱き締めていた。
私は栞のことが大好きだ。愛している。でも同時にこの気持ちが一方的なものであることも理解していた。
でもそれでも良かった。だって今まではこうして栞に愛していると口にすることすら出来なかった。
でも今は恋人未満の関係であってもこうして愛していると好きだと言うことが出来る。
栞を抱き締めていられるそれだけで十分だったのだ。
「文ちゃん……文ちゃんは私のことが好きなんだよね?」
「当たり前じゃん! 私は栞のこと大好きだよ」
「だったらどうして椿ちゃんと付き合ったの?」
栞は純粋な疑問を私にぶつけてくる。確かに私は栞を好きだとあれだけ言っておいて椿と付き合うのは栞からすれば不思議に思えるだろう。
だけども違う。私にとっては不思議ではなく当たり前のことだった。
「栞が好きだから……栞が好きだから私は椿と付き合ったんだよ」
「えっと……」
「椿は栞のお母さんに似ていた。すぐに栞が椿に惚れていることに気がついたよ。でもきっと栞と椿が付き合えば不幸になる。栞は椿のこと母親としか見ないだろうから」
椿が私に告白してきた時。私は正直その告白を断ろうと考えていた。
でも栞が椿のことが好きなのを知っていたから断ることが出来なかった。
万が一にも栞と椿が恋人同士になることは避けたかったのだ。
きっと栞が椿のことを好きなのは椿がお母さんと瓜二つの見た目をしているから。
だからきっと栞は椿をお母さんだと思って接するし椿は椿で栞のことが好きになれば後でその事実を知って傷つくと思ったのだ。
いや……違う。今のは全部嘘。本当は栞に恋人が出来るのが嫌だっただけ。
自分は栞に告白する勇気も恋人になる勇気もないくせに独占欲だけはあるから椿を恋人にしておいて栞を取られないようにしたんだと思う。
結局柚が来て栞と付き合ったわけだけど、正直柚に興味なさそうなのは栞の態度を見ていれば分かったのでそこまで不安にはならなかった。
「文ちゃんは優しいね」
「優しくなんて……私はだってあの時だって何も……何もしてやれなかったんだから」
「文ちゃん……?」
「な、なんでもない」
「私は文ちゃんのこと好きだよ。優しい文ちゃんが大好き……実は私、椿ちゃんや柚ちゃんよりも文ちゃんの方が一番好きなんだよね」
栞は優しい言葉でそんな嘘を呟く。きっと椿や柚はその言葉を疑いもせずに受け入れるだろう。
だけども私は栞の言葉が嘘だとすぐに分かった。
栞がこんな嘘を付くのは愛されるためだ。お母さんに愛されないと分かった栞は他人にひたすら愛を求めるようになってしまったのだ。
「私のことが一番好きか……そんなことを言うなんて栞はもう……まともじゃないんだね」
私が寂しそうにそう口にすると栞は嘘がバレたと気づいたのに特に何も弁解することなく私の耳元で優しく冷たく囁いた。
「私がまともな時なんて……なかったよ」
あの時ーー私が栞の手を取ることが出来れば栞のお母さんに立ち向かえていれば栞と私はまともな恋をすることが出来たのだろうか。
でももう今はまともでない方がいい。きっと栞が正気を取り戻せば私は真っ先に振られるから。
栞が愛してくれているのは今の不安定な精神状態だからと私は理解しているから。
だからこのまま、まともじゃないままでいて欲しいとそう願いながら私は栞を抱き締め続けた。




