39. 光の果てに
騎士団長ロルフ視点です
足元から突き上がる土の杭を跳んで避けながら、私は内心舌を巻いた。
先ほど合流した元教え子は最低限の動きで攻撃を避け、さらに一振りで大木を切り倒して敵の進行を妨害するほどの余裕を見せていた。
さすがにここまで動けるとは、想像できなかった。
作戦を開始してどれほど走破しただろう。
長く対応していた分、敵の攻撃には慣れてはきたものの、その分体力の限界が見えてきていた。
なかなか息が整わなくなって久しい。
だけど今さらここで諦めるわけにはいかない。
この作戦は未知の脅威を封じ、また魔物の氾濫を防ぐために重要なものだからだ。
何度も冒険者と交代しながら繋いできた道のりは、ついに最後のエリアに到着した。
あと少し、本当にもう少しで目標地点に到着する。
けれどもう騎士は私を含め、2人しか残っていない。
それも、片方は臨時監察官……正規の騎士ではない王族だ。
まさか私と彼が、こんな森の奥で共闘する日がくるとは思わなかった。
私は10年以上前は、王都に住んでいた。
これでも武門の侯爵家の出で、王族や要人警護にあたる第1騎士団に所属していたのだ。
その流れで、幼少時の王子の剣術指南を行った時期がある。
第一王子……エリオスは覚えが早く、その代わりに人の話を聞かない性分が強く出ていた。
とはいえ才に恵まれた者にありがちなことだ。
度々たしなめる機会はあったが、相手の身分と当時の自分に許された権限を越えるため、強く諫めることはできなかった。
しかも、必ず前のめりに立ち向かおうとする悪癖もあった。
王子である以上、求められるのは一兵卒の動きではなく護身もかねた純粋な戦闘技術であり、指導者としての姿勢だ。
だというのに、小さな王子は自分で何もかも倒そうとしているように見えた。
いつかトラブルになりそうな兆候は、その頃からすでに垣間見えていた。
案の定、私が第1騎士団から異動となり、王都を離れてから聞こえる彼の話は頭を抱えるものばかりだった。
個人訓練でも集団演習でも先頭に立つ。
平気で身を挺して部下を庇い、撤退では殿につく。
周囲は肝を冷やすばかりで評価は極端に分かれているようだ。
心酔するものと、不満を抱くもの。
まあそれはそうだろう、と遠い地で嘆息するしか私にできることはなかった。
立場を考えろ、と諭すのが正しいことはわかっている。
──だが内心では、まっすぐ前を向いて、誰よりも力強く戦いに挑む姿が、私は嫌いではなかったのだ。
だから深い悔恨を抱えた目をして、第3騎士団に配属されてきたエリオスを見た時は驚いた。
同時にどこまでもストイックに訓練をこなし、学び、力を磨こうとする姿は、かつての彼が失われたわけではないことも分かった。
ついでに咄嗟に前に出ようとする癖も抜けていなかった。
腐って落ちた果実ではない、と理解したので、私はごく当たり前の騎士の一員として扱うことにした。
その過程で現在の戦力も大体測れている。
もともと標準よりも高い素質があり、視察の間に不足していた経験も補われた。
しかし騎士団長クラスにはまだ及ばない。
第3騎士団内で言うなら上位五本の指には届かない。
そういう位置付けだ。
だが──今のエリオスの動きは、そんな次元ではなかった。
攻撃を避けるために左に揺れたかと思えば、次の瞬間には右に抜けて、岩の雨の中を縫うように進んでいく。
続けざまに大きな岩の槍が飛ぶも、1本はかがんで避け、次は飛び上がって避ける。
間髪入れず襲う3本目は一振りで地面に叩き落としていた。
思わず生唾を飲み込んでいた。
今の大槍は、下手に受ければ骨が折れる代物だ。
実際に今日は何人も治癒師の元へ走る羽目になっている。
それを、あんな簡単にいなすなんて尋常じゃない。
かつて英雄じみた強さだと言われていた元王太子の戦い方。
それが今の彼の姿なのだろう。
王家の強さには特別な秘密があると聞いたことがある。
これはその類の力なのかもしれない。
「団長、右」
「──おっと」
短い声に従って身を捻ると、頭のあった場所を土塊が抜けていった。
視野の広さも冷静さも、本当に頼りになる。
そもそも理由が何であろうと我々が今やるべきことに変わりはない。
なんとしても、あと少しの距離を誘導しきるだけだ。
敵の真下の部分が蓋のように開き、何か部品のようなものがパラパラと零れ落ちた。
それが何かを認識する前にふわりと宙に浮かんだそれらの正体に、心底うんざりしたのは仕方ないだろう。
それは鋭利に尖った、無数の針状の金属の棒だ。
本体の両脇にあった金属片を失ったため、新しく補充された投擲武器というわけだ。
重量が軽い分だけ先ほどの金属片より総合的な威力は弱いとしても、小さいため弾き返すなら正確さが必要となる。
そして何より数が多い……20は超えている。
手足なら貫通すれば耐えられるかもしれないが、頭部と心臓付近だけはきっちり守らないと、死ぬ。
本能的に感じ、反射的にエリオスの様子を伺った。
けれどそこにあったのは、どこまでも静かな顔だった。
恐怖も、緊張も、気負いも、覚悟も見えない。
ただただ静かにこの先だけを見ている。
ほんの一瞬の静寂の後、金属針が一斉に空を切った。
魔導ゴーグルのお陰で魔素の動きを感じるため、木や岩の陰を利用しながら走り回っても細い針を見失うことはない。
けれど時に貫通しながら襲い来る大量の針は難題だった。
思わず敵から距離を取るように移動し──エリオスがまったく動いてないことに気が付く。
驚愕しながら素早く視線を走らせて、もっと驚愕した。
──あいつ、全部弾き返してやがる!!
針と言うには手の指ほど太くて大きいが、剣で正確に捉えるには小さすぎる。
そんな凶器が四方八方から飛来するのを全て把握し、時に地面に、時に敵本体に打ち返していた。
とんでもない反射速度と剣速だった。
ほぼ全ての金属棒を無効化してから、エリオスはさらに本体に向かって猛然と向かって行く。
思わずといったように振り下ろした剣を避けた敵に、息つく暇もなく追撃を重ねる。
再び土の杭や塊を飛ばす相手に恐れることなく立ち向かう姿は、勇猛ながらあの頃の面影を残しているように思えた。
いつの間にか追う側と追われる側が逆転していることに気が付いて、そんな場合じゃないのに思わず笑ってしまった。
状況に見合わぬ笑いが漏れたことで、張りつめていた緊張感が良い具合に抜けた。
私は慎重さより勇敢さで成り上がったタイプだ。
正直、エリオス同様押せ押せの方が向いてるんだよなあ、と口の端が獰猛に吊り上がっていくのがわかった。
ところで──そうやって土や石を飛ばすのは、お前さんの専売特許じゃないんだぜ。
エリオスの横に回りながら、敵の足元に石の槍を作る。
こちらが魔素を感知するように、向こうも魔力を感知したのか直前で高速後退したが、まあ問題ない。
用事があるのは、お前の向かった方なんでな。
私の様子が変わったのに気付いたのだろう。
エリオスも少しだけ口の端を上げ、心なしか楽しそうに敵に攻撃を始めた。
息つく間もない攻撃が2倍だ。
はたして私たちの思惑から逃げ切れるかな?
全力で追い詰めることしばし、視界の先に、不自然に大きくひらけた空間が見えた。
術者たちが木々を伐り開いて作った、指定地点だ。
私は攻撃を緩めないまま、首に下げていた笛を咥えた。
思い切り息を吹き込むと、本日2度目のピューイ、という高い音が森に響き渡る。
間髪おかずに広場の奥の方からヒュルルル、と返事の笛が響いた。
魔法班の準備は完了した。
同時に、こちらにもタイムリミットが設けられた。
とどめの魔法は、一度組み上げた後は保持できない。
術者たちの全力をもってしても、押さえ込んでいられるのはせいぜい5分もない。
それを過ぎれば、術者ごと魔法は壊れる。
なんとしても時間内に相手を指定位置に押し込むべく、限界まで体力も魔力も使い切るつもりで猛攻を繰り返した。
ほどなく敵が広場の外縁部に差し掛かった。
その瞬間、広場の違和感を感じ取ったのか、何かを予感したのか──唐突に目のような赤い光が激しく明滅した。
さらに再び開いた本体下部から現れた太い杭が地面に突き刺さり、どんな攻撃を受けようとも微塵も動かなくなった。
やはり向こうも何らかの感知方法があるのだろう。
今、後ろの広場の上空には魔力が集まっている。
叩かれて凹むことより、あそこへ入る方が危険だと判断したらしい。
足元の地面を隆起させて杭ごと押し上げようとしたが、浮き上がりかけた瞬間に突然固まって動かなくなった。
相手の魔法のような能力によって、同等かそれ以上の土への干渉を受けた結果、どうやら競り負けたようだ。
さらにエリオスが金属杭へ全力で剣を振るう。
金属音が響き、火花が散って、けれどかすり傷しかついていない。
ゴーグル越しに敵内部の濃い魔素が大量に杭へ流れていくのが見えて、体表を強化していることに気付いた。
絶望的なほど判断力も魔素の操作能力まで優れていた。
その間にも、頭上の圧は増していく。
もういつでも発動できる段階まで来ているのがわかった。
……本気でまずい。今から発動地点を動かすことはできない。
何としても広場に押し込まなくては。
少しだけ焦りが湧いたと同時、敵の放つ赤い光が一気に強くなった。
脳裏に調査隊から何度も聞いた話が蘇る。
調査隊壊滅の最大要因となった、強烈な雷撃の予備動作だ。
反射的に距離を取った。
身体が勝手に下がってから──失敗したことに気付いた。
雷撃の範囲は広く、少し下がったていどではかわせない。
むしろ相手に逃走のチャンスを与えるだけだ。
急いで急停止して再び見据えた視線の中、エリオスはまだ敵の目の前にいた。
一歩も下がるどころか──剣を振りかぶっていた。
……そうだ、多分それ以外の方法がない。
ここであれから離れれば、押し込む機会は失われる。
これ以上は術式は待ってくれない。
だからきっとあの男は、恐ろしい雷撃を、受けると決めたのだろう。
「──エリオス!!」
思わず呼んだ声が届いたかはわからない。
鼓舞だったのか、祈りだったのか、それすらわからない。
爆発するように雷光が放たれた。
白がすべてを塗り潰し、遅れて音が来て、私は目を庇いながら地に伏せた。
砂埃が舞う中を必死に目を凝らした。
──エリオスは、まだそこに立っていた。
苦痛に顔を歪ませながら、黄金色に髪を輝かせ、蒼い瞳に虹色の輝きを宿して。
誰もが膝をついたと聞いた雷撃を、至近距離で最大威力だっただろう攻撃を受けて。
それでもなお剣を握って、決して退かなかった。
不意に、英雄と呼ばれた王族のことを思い出した。
特に有名なのがこの国を興した初代国王、周辺を平定し国土を整えた2代目国王、そして紛争時代に聖女と共に自国を守り抜いた9代目国王。
きっと英雄たちの姿は、今の彼のようだったのではないか。
そう思わせるほど強い威圧を放ちながら、エリオスは雷をまとう剣を全力で振り抜いた。
「ぅ、おおおおおおおおおおお!!」
地面に刺さった金属棒がへし折れて、ものすごい衝撃音とともに敵は胴体部をへこませながら空を飛んだ。
それはせいぜい二十メルほどだった。
だがそこはもう、広場の中だ。
我に返って笛を2回連続で鳴らし──直後、明らかに空気が変わった。
風が止まったとか、音が消えたとかだけではない、肌がひりつくような息苦しさが漂っている。
ぞわり、と全身をなめるように悪寒が走る。
頭上に集まっている魔力が多すぎて、圧迫感すら感じる。
駄目だここは近すぎる、と反射的に考えてさらに距離を取ろうとして……膝をついたエリオスが目に入る。
衣類から煙を上げ、体も剣も、もう光を残していない。
慌てて駆け寄ってエリオスを抱え上げ、再び後ろに下がる。
その後すぐ、樹海の高い木々の天蓋のさらに上から。
──渦巻く雲から、光が落ちた。
最初に見えたのは、一本の光の柱だった。
太さは大木の幹ほどもない、頼りなくすら思える白い光が、空から地へまっすぐ降りてくる。
その光は地面に触れた瞬間、森が震えた。
衝撃が波になって走り、光は太く大きく広がっていく。
ざっくり伐採されただけの木々の根が粉塵と化していくのがかろうじて見えたが、すぐに光に飲まれた。
音は、遅れて届いた。
空が割れたような音だった。
鼓膜が痛み、腹の底が震え、立っていられなくなった私はエリオスを抱えたまま地に膝をついた。
広がり続けていた光の柱は、作戦通り広場の外縁部ギリギリで止まっている。
けれどまだ魔法は収束していない。
範囲指定に失敗していたら、自分たちも塵すら残らなかっただろう。
──複数人で発動させる、大規模戦術魔法。
何重にも厳しい制約を課された、騎士団の秘匿技術だった。
実際に発動する機会はほとんどない。
認知すらほぼされていない。
やがて、光が細くなった。
消えるのではなく、大地に吸い込まれるように。
最後の一筋が小さな瞬きを残して消えると、あとには何も残らなかった。
光の名残も、そして地面も。
広場であった場所を覗き込むと、直径にして100メル、深さは30メルはあるだろう、ナイフで綺麗にくり抜かれたような大きな窪みが残っているだけだった。
いや……よく見ると何か光るものがある。
位置からして、もしかしなくてもさっきの敵の一部ではないだろうか。
そう想像して顔が引きつるのがわかった。
あれだけの魔法が直撃して、完全に破壊しきれないなど信じられない。
外装は完全に消滅しているようなので、とりあえず危険はないと信じたいが──念のために見張っておこうか。
そろそろ自分も体力の限界を感じているので、回収は駆け付けた他の騎士たちに任せたいな、と嘆息する。
なかなか終わりが見えないが、とりあえずは一段落と見てもいいはずだ。
さすがに疲れた。
後は素直に帰りたいものだ、と内心でぼやきながら休んでいるエリオスを振り返る。
木にもたれかかって、右手で目元を押さえて項垂れていた。
気絶してはいなかったものの、やはり雷撃のダメージは大きそうだ。
先に下がらせるか、と迷ったところで、苦悩に満ちた小さな声が聞こえた。
「まずい、壊れた……絶対、怒られる……」
え、なに、どういうことだ、と訝しんで、エリオスがことさら丁寧に左手で抱えるゴーグルが目についた。
そう言えば、彼の分は配布されていなかったはず。
自分たちが使っているものとは少しデザインが違うように見えるので、もしかして借り物か? と気付いて苦笑した。
自分の身体より、借り物の魔導具の方が気になっているようなら意外と大丈夫そうだ。
──そして彼は、ゴーグルの持ち主には、とても弱いようだ。




