30. 聞いてくれる人
訓練場で待たせていた2人に会って、今日と、できれば明日も休みにしてほしいことを伝えたら、ジオンが「何かあったのか」って身を乗り出してきた。
ギルドから指名依頼の話があったから少し考える時間がほしいって謝って、自主練習をお願いしておく。
リズにも言ったけど休憩はちゃんと取るように! って、なるべくいつものノリで念押ししたつもりだけど、うまくできていたかはわからない。
明後日以降については明日中に連絡するねって約束して、あたしはそのまま神殿へ足を向けた。
顔見知りの神官に取り次いでもらって、案内された小部屋で待つ。
たまたま手が空いていたのか、それとも強引に作業を切り上げてきてくれたのか、さして待たずにジルさまは扉から顔を出した。
「おお、セシル。久しぶりじゃのう」
「うん、久しぶり。……なんか痩せた?」
「ほっほっ、そう見えるか? この時期は暑さで食が細るからかもしれんな」
嘘だ。
この顔は、絶対働きすぎてる人のやつだ。
でも今日はそれを追及しに来たわけじゃないから、あたしは大人しくジルさまが向かいの席につくのを見守った。
ジルさまは持ってきた籠からポットを取り出してお茶を淹れてくれて、それからゆっくり椅子に座る。
その動作を眺めているうちに、ぎゅっと縮こまってた気持ちが少しだけゆるんだ気がした。
言いたいことも、気持ちもまとまってない。
だけど今なら外に出すことができる気がした。
「……あのね、ジルさま」
「うむ」
「別に、答えとか要らないんだけどね」
「うむ」
「話だけ聞いてくれない?」
「よいぞ」
……即答された。
なんかもう、それだけで泣きそうになるんだけど。
あたしってばいつからこんなに涙腺弱くなったんだろう。
「ギルドで、依頼をもらったの」
あたしは懐からさっきもらった依頼用紙を出して、机の上に置いた。
ジルさまはちらっと見ただけで、手には取らなかった。
「治癒魔法が使える冒険者、全員に声がかかってるやつ。数日後に樹海に入るから同行してくれって。……騎士団からの依頼だって」
簡単に説明してるだけなのに、なんでかジルさまの顔が見られない。
ジルさまがどんな顔してるのか見たくないし、自分がどんな顔で話してるのかも見られたくなかった。
「参加は自由。断ってもいい。返事は明日まで」
「ふむ」
「それでね、それで、あたしどうしても……行きたくないなって気持ちの方が強いの」
どこかで口にしちゃいけないと思ってた。
見捨てるなんて最低だって言われることだと感じてた。
だけど、もういやな思いしたくないなって気持ちがあるのって、そんなに悪いことなの?
「属性魔法ならともかく治癒で目立ちたくないの。あたし昔のことは隠してるし、今さら騒がれたくないし。騎士団とかなおさらじゃん。知ってる人絶対いそうだし、権力とか責任とか面倒ごとはごめんなの」
別にね、あたしそんな我慢してたつもりはなかったんだよ。
でも──言い出したら止まらなくなった。
「そもそも聖女辞めてるんだよあたし。全部捨てて、やりたいことも、やりたくないことも我慢したくないって決めてたんだよ。なのになんで、また同じようなところに行かなきゃいけないの。おかしくない? 絶対おかしいでしょ」
ジルさまは相槌すらなく、ただ静かに聞いてくれてる。
今は同意よりも、その方がうれしい。
「だから断ってもいいはずじゃん。誰も文句言わないってエイガスさんも言ってたし。あたし冒険者だもん。治す義務なんてないもん」
うん、そうだよ、断ればいいんだよ。
そんなこと今さら考えるまでもないんだ。なのに。
「なのにね……行かないって言えないの。なんで?」
自分でも矛盾してるってわかってる。
だけど、やっぱりどうしても忘れられない。
「……あの日さ、騎士団の人たちが運ばれていくの、ギルドの中から見てたの。みんな血だらけで、何人も担がれて、色んな人が走ってて」
人混みの隙間から見た赤色を、今でもはっきり覚えてる。
あたしが──初めて意図的に見過ごした、鮮やかな色。
「あたし、動かなかった。名乗り出たら色々終わっちゃうし、そもそも関係ないし、あの判断は間違ってなかったって今も思ってるの。ほんとに思ってる」
嘘じゃない。
冒険者のセシルとしてそれが正解だったと思ってる。
「……でも、あたしがいたら助かった人がいたかもしれないでしょ」
言った途端、喉の奥が詰まった。
こんなの、意味のない仮定だってこともわかってる。
「間に合わなかった人がいたって聞いた。あたしがいたら、その人たち今も生きてたかもしれないんだよね。わかんないよ、そんなのわかんないけどさ。わかんないから余計にずっと考えちゃうんだよ」
落とした視線の先で、いつの間にかあたしの手が服の端を握りしめてる。
だけどまるで自分の手には見えなかった。
意識と身体が切り離されたみたいにふわふわしてる。
「別にあたしのせいじゃないよ。あたしのせいじゃないのはわかってる。わかってるのに、なんか、ずっと引っかかってて」
ほとんど無意識に、どんどん口から声がこぼれてる。
だけど全部言い訳みたいに思えて、うまく言葉にならない。
「今回だってさ、依頼受けたってあたしに何ができるかわかんないよ。結局助けられないかもしれない。そしたらあたし、たぶん今よりもっと落ち込むんだよ。それもわかってるの」
わかってて、それでも。
「でも、行かなかったらもっとだめになる気がするの」
……あーもう、なにこれ、ほんとに全然まとまってない。
何が言いたいのかもわかんない。
「ごめん、なんか、ぐちゃぐちゃだ」
「よいよい。続けてよいぞ」
ジルさまは、いつもの調子でのんびりとそう言った。
顔は見えないけど、きっといつもの好々爺の顔をして聞いてくれてるんだろう。
あたしはジルさまのその声に弱いんだ。
入りすぎてた力が、身体からも思考からもほんの少しだけ抜けた気がした。
その懐かしい感覚に、1つ気づいたことがある。
「……あたしね。聖女だったときは、こんなこと考えなかったの」
朝から晩まで仕事があって、呼ばれたら治療して、結界の維持を優先して、合間に指導も会議もあって、また呼ばれたら治療して。
治療を嫌だとか怖いとか、考える隙間がそもそもなかった。
「役目だったから、治療するのが当たり前だったから、迷いようがなかったんだよね。……あれ、楽だったんだなって、今になって思う」
口にしてから、自分でちょっと驚いた。
あんなにしんどかったのに──同時に楽でもあったんだ。
「今はさ、全部自分で決めなきゃいけないの。受けるも断るも自由で、誰も何も言わなくて。……自由って、こんなにしんどいと思わなかった」
言葉の代わりに、ふーーー、と、肺の底から吐き出すような深いため息がこぼれ落ちた。
聖女をやめたら、もっとすっきりすると思ってたんだよね。
実際すっきりしたんだよ。
冒険者になって、リズと友達になって、ジオンとトールもいて、美味しいものをいっぱい食べて。
毎日ほんとに楽しいんだよ。
だけどそれだけじゃないってことに、ようやく気づいたの。
「最近ずっと中途半端でね、なんか自分が情けないなあと思っててつい愚痴を吐きに来た感じ、かな。……以上。おしまい」
最後までぐだぐだなまま言い切ってから、えいやと気合で顔を上げたら、ジルさまはやっぱり穏やかにこっちを見ていた。
そして、うん、と一度だけ頷いた。
「よう頑張ったのう」
「…………うん? え、なにその感想」
あんだけ面倒くさくうだうだ言った感想がそれなの?
いやホントに聞いてた? って気になって、ちょっと胡乱な目でジルさまを見たのは仕方ないと思うの。
「1年前なら、こんなふうに思うまま話せんかったよ。全部飲み込んで、平気な顔をして、それが当たり前と思っておったろう」
……ああ、言われてみれば、そうかもしれない。
支離滅裂どころか、いっそ余計なことは考えないようにしてた気がする。
「今なら嫌なものを嫌と言えて、分からんことを分からんと言える。しんどいと言える。ずいぶん歩いてきたのう、セシル」
「……なにそれ……ずるい」
「ほっほっ」
ダメだ、この人のこういうとこ、ほんとかなわない。
あたしは慌てて袖で目をこすって、すっかりぬるくなったお茶を口にした。
ジルさまは何も見なかったみたいな顔でお茶を飲んでる。
「──ジルさま」
「うむ」
「あたし、行ってくるね」
するりと口からこぼれると同時に、胸のつっかえがすとんと落ちた。
ああ、そっか。
あたし決められなかったんじゃなくて、ただ誰かに気持ちを聞いてほしかっただけだったのか。
「そうか」
ジルさまは驚きもせずに、ただ静かに頷いただけだった。
「セシルが決めたのなら、それでよい」
「……止めないんだ」
「止めてほしかったかの?」
「……どうだろ。わかんない」
「それに、止めたところで行くじゃろう?」
むむ……言われてみればそうかもしれない。
どっちにしても、最後は自分で決めなきゃ後悔するよね。
まだまだ不安はあるけど、やると決めたからにはなんとかしよう。
あたしのそんな決意に気づいたのか、ジルさまがにっこりと笑って少しだけ顔を寄せてきた。
「では頑張り屋さんのセシルにワシから1つ、いいことを教えてやろうかの」
そこで聞いた話が、果たして本当に『いいこと』だったのかは怪しいところだ。
頭を抱えたくなったあたしは、別に悪くないと思う。




