11. 善意という名の傲慢
エリオス視点です
こちらの動揺を気にした素振りもなく、かつて私に職を追われたジルバート元王都神官長は、落ち着いた様子ですぐ傍の地面に両膝をついた。
真っすぐこちらを見る目はかつてと同じく静かで、恨みや怒りは見当たらない。
「重症な者の治療は一通り進んでおります。私の治癒力は微々たるものですが、殿下を治療させて頂いてよろしいでしょうか」
「…………ああ、よろしく頼む」
羽織っていた上着を落とし、左腕と脇腹に巻きつけていた細く裂いた布を手早く外した。
布の下からはざっくりと切り裂かれ肉の抉れた傷口が露わになる。
時間が経って血はほとんど止まっていたが、黒く固まった血と紫色に変色した肉が痛々しく、実にグロテスクだった。
ジルバートは眉をひそめて素早く観察し、傷に触れない場所にそっと手を添えて治癒魔法を施し始めた。
本人は微々たるものと言っていたが、そこまで適性が低くはないのだろう。
ほんのりと暖かな力が流れてきて、傷口はゆっくりと癒えていくのが分かった。
「殿下、出血箇所はともかく打撲箇所が多すぎます。見た目以上にお辛いのではないのですか」
「…………何のことだか」
「その台詞、治癒中の相手に通用するとでも?」
にこりと笑う顔は好々爺というに相応しい柔らかさだが、非常に迫力がある。
さすがあの王都神殿を取りまとめていた人物だ。
ただの好々爺ではないのだろう。
黙って治療を受けている内に、ふとジルバートとの距離の近さに気が付いた。
これほど近い距離ならば、周囲に聞かれずに話すことができるだろうか。
「──ジルバート殿、今さらだが1度だけ言わせてほしい。貴方の名誉を著しく損ねたことを心から謝罪する」
王族は安易に謝罪してはいけないと教わってきた。
公での言葉は私情を挟めず、そのまま法と直結するものだからだ。
けれど謝罪ができない訳ではなく、私的な空間でなら許されている。
室内でないことは目こぼししてほしい。
ぎりぎり声が届いたジルバートとフィンは目を見開いた後、すぐに平静を装って視線を外した。
周囲の注目を浴びるのは得策ではない。
「いいえ……いいえ、殿下。私にそのような言葉は必要ありません。私はあの場所に素直で優秀な少女を取り込んでおきながら、改革も成し遂げられず、庇いきることも出来ず、解放してやることも出来なかった愚か者です。私もまた加害者でしかありません」
傷口を見ながら小声で吐き出されたジルバートの言葉は、苦悩と悔恨に満ちていた。
きっと吐露する先がなかったのだろう。
煮詰めて淀んで、それでも飲み込んで戦い続けてきた老人の声だった。
ジルバートはそれ以上口にせず、治療に専念することにしたようだ。
傷口は深く、今すぐ完治とはいかない。
自己治癒力にも頼りながら、何日もかけて治療していくことになりそうだ。
少なくとも数日は神殿と駐留所を往復しなければいけないかもしれない。
ただしそれは、自力で動ける前提の話だ。
改めてジルバートの向こうを見回し、気付けば言葉が零れ落ちていた。
「何人、間に合わなかった」
「……今で4名、先ほどの様子ではおそらく間もなくもう1名、ですね。他の方は欠損や後遺症はともかく、命は助かる見込みです」
「……………………そうか」
30人のうち、5人。
絶望的な状況だったことを思えば、助かった者は多いのかもしれない。
それでも、失われた命が重くないわけではない。
助ける手段を持たず、手伝う方法もなく、己の力とは何と無力なことかと、歯噛みすることしかできなかった。
「今日はここまでですね。補佐官殿もどうぞ」
「いえ、私は軽傷ですので他の方へ」
「残念ですが、本人談の軽傷は信頼に値しないと先ほど学びましたので」
「フィン、諦めて確認してもらえ。本当に大丈夫ならこの方は納得するだろう。ジルバート殿、治療を感謝する」
「礼には及びません。完治には程遠いですし──あの子ならもう少し上手く治療できたでしょうが」
渋るフィンを差し出し、新しい布で傷口を保護しようとして聞こえた呟きに、思わず動きが止まった。
この人が言う『あの子』が誰のことか、反射的に分かってしまったから。
「……お会いしたようですね」
「偶然、だが。顔を見る機会があっただけで会話はしていない。──これからもする予定はない」
「…………そうですか」
小さく落とされた声は、余計な感情を削ぎ落したような静かさだった。
もしかしたら私が会いたいと言い出すと思ったのかもしれないし、ある意味ではそれは正解だった。
今はもう、そんな気持ちはないけれど。
数日前に冒険者ギルドでセシルを見かけた時は、心の底から驚愕した。
魔導具店で初めて見かけた時は、新しい友人ができて楽しく暮らしているのだろうか、と勝手に安堵すらしていたのだが。
実家が商家だという小柄で大人しい少女が、冒険者になっているなど想像もしていなかったのだ。
自分のせいかと思うと吐き気がした。
聖女としての地位や信頼を失い、もしかしたら悪評に悩み、他に取る道もなく危険な職業につくしかなかったのではないか、そう考えると妙に腑に落ちてしまった。
なにか助けになることは出来ないだろうか、と考えもした。
ただの身勝手な自己満足だとは、その時は気付いていなかった。
他に何か情報はないかと、ほんのわずかな邂逅を思い出してみると、ハザードエリアの事情聴取のために出向いた商会で関係者と一緒にいたことを思い出した。
彼らならば同じ冒険者だし、多少なりとも情報が聞けるのではないかと……今思うに、非常に安直なことを考えたのだ。
翌日、目立たぬ服で再び商会へ向かい、彼女と親しそうにしていた2人に話を聞こうとした。
さすがに詳細は語らなかった。
けれど、私が原因で彼女が苦境に立たされているのでは、といった考えは隠さず説明した。
そのせいでこんな危険な職業に就くしかなかったのではないか。なにか力になれることはないのか。知っている事情があるなら聞かせて欲しい、と。
そうして返ってきたのは呆れたような二対の視線のみ。
何を言っても身分ある方にお話しできるようなことは何もありません、と拒絶されるばかりで、業を煮やして不敬を問わないと約束してやっと聞けた話は、私の傲慢さを真っ向から打ち砕くものだった。
『冒険者になったのは自分の意志だと聞いていますし、実際に彼女は有能で、楽しそうに仕事をしています。貴い身である方々には理解不能な職なのかもしれませんが、勝手な思い込みでコソコソと裏で手を回そうとしないで頂きたい。あなたがどこの誰で彼女とどんな関係なのかは知りませんが、彼女は自分の意志で働き、我々と同じ暮らしをしています』
『それな。ていうか、何があったか知らないけど、相手が望んでない手出し口出しはやらないでやれよ……ください』
『だ、だが彼女は大人しい女性だったし……』
『おとなしいぃぃぃ?』
『……我々が知る彼女は活発ですよ。そんな風に勝手に決めつけるから、あの子に避けられてるのでは?』
彼らのきっぱりとした否定に、またも自分の視野の狭さを実感せざるを得なかった。
冒険者が危険な職であることは確かだが、先ほどの言いざまでは苦難の道だ、愚かな選択だと否定していたも同然だ。
彼女に冒険者の道が相応しいかどうかはともかく、自分の意志で選んだのならば、私の行動は余計なお世話というやつだった。
そもそも彼女の人物像が、私と彼らで完全に乖離している。
そう言えばこの街で初めて見た時、彼女はとても屈託なく笑っていたなと思い出して、彼らの認識の方が正しいのだろうとやっと理解した。
彼らの毅然とした態度を見るに、冒険者であることを恥じたことはないのだろう。
自分と彼らでは価値観が異なる、というたったそれだけのようで、どうしようもない溝を初めて実感した。
不意に脳裏に蘇った声に視界がくらんだ。
『彼女たちに私の声は届かないのです。どうかお力添えくださいませんか』
ああ、彼女は平民で自分を含め周囲は貴族ばかりだったのだと、本当に今さら気が付いた。
何も見えていなかった。
思い返せば魔導具店でこちらを見た彼女の顔に浮かんでいたのは、嫌悪ではなく拒絶と怒りだった。
婚約者としての立場などとっくに破綻していたし、婚約を破棄した時に完全に取り返しがつかなくなっただけだった。
それから私は彼女に関わらないことを決めた。
本当にもう、それくらいしか出来ることが思いつかなかった。
心の奥のほんの僅か、今ここに治癒師として彼女がいてくれたらと思う気持ちもなくはないが、それは身勝手な願いというものだ。
ただの冒険者が、依頼もなく治癒に駆け付けるはずがない。
けれど神殿の膨大な仕事量をこなしていたことがわかる過去の資料を思い出すに、彼女は真面目で人のために動ける優しい人なのだろうと想像できた。
どうかなるべく気に病まないでほしいな、とだけ願って、それ以上は彼女のことを考えることを止めた。
え? あたし、こんなに大人しいじゃないΣ( ゜Д゜)




