第7話 攻略済みの、その先
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《青葉洞窟》は、すでに攻略されたダンジョンである。
探索者協会の公式サイトには、そう記されていた。全五階層の地図は公開され、最深部の通常ボスにも数多くの討伐記録がある。初心者向けの攻略情報も充実しており、初めて訪れる探索者が道に迷うことは少ないという。
「……攻略済み、ねえ」
月曜日の放課後。
一ノ瀬湊は自室の勉強机に座り、スマートフォンの画面を眺めていた。
昨日の初探索では、第一階層でスライム状の魔物を一匹倒した。帰宅後に戦闘記録を整理し、今日は公開されている攻略情報と、自分が実際に見た地形を比較するつもりだった。
左手の甲には、まだ小さな擦り傷が残っている。
無理に武器を振る必要はない。ダンジョンに入れない日でも、できることはいくらでもあった。
「さて……どこまで調べられてるんだろうな」
湊は机の引き出しから『ダンジョン攻略記録』と書かれたノートを取り出した。
最初のページには、昨日歩いた範囲の簡単な地図が描かれている。
入口から続く通路。
最初の分岐。
右側の行き止まり。
そして、左側の通路で遭遇した魔物。
わずかな範囲だが、実際に歩いて確認した情報だった。
湊は公式地図を拡大し、ノートと見比べた。
「……ここ、ちょっと違うんだよな」
気になったのは、最初の分岐を右へ進んだ先だった。
公式地図では、通路はほぼ直線のまま岩壁で終わっている。しかし、昨日の記憶では、行き止まりに近づくにつれて右側の壁が少し張り出していた。
もちろん、地図が間違っているとは限らない。
公開されているのは、あくまで初心者向けの簡易図だ。細かな凹凸や小さな曲がり角が省略されていても不思議ではなかった。
「……まあ、これだけじゃ何とも言えないか」
湊はノートに『右側通路の形状を再確認』と書き加えた。
疑問を見つけることと、答えを決めつけることは違う。
前世でも、思い込みで攻略法を組み立てた結果、何時間も無駄にしたことがあった。
だからこそ、まずは情報を集める。
結論を出すのは、その後だ。
◇
公式資料を確認し終えた湊は、個人の攻略記録を探し始めた。
《青葉洞窟》は初心者に人気のあるダンジョンだけあって、探索者たちの体験談も数多く見つかった。
『青葉洞窟・第五階層までの最短攻略』
『初心者が覚えるべき魔物の対処法』
『初探索で失敗しないための装備選び』
記事を一つずつ読み進め、気になった情報を記録していく。
魔物の出現場所や安全な休憩地点については、参考になる内容も多かった。
しかし、地形に関しては、ほとんどの記事が公式地図をそのまま使用していた。
「……みんな、最短ルートばっかりだな」
湊は画面をスクロールした。
第一階層の最初の分岐についても、記述は似たようなものだった。
『右側は行き止まりなので進む必要なし』
『時間短縮のため左側へ進むこと』
『右側に宝箱や採取物は確認されていない』
どれも、効率的にダンジョンを攻略するための情報だ。
探索者にとって、それは当然の選択なのだろう。
魔物が出現する危険な場所で、何もない行き止まりを調べ続ける理由はない。
だが、湊は画面を見ながら小さく笑った。
「……何もないって、誰がどこまで調べたんだろうな」
攻略サイトに情報がないことと、実際に何も存在しないことは同じではない。
もちろん、本当に何もない可能性もある。
それでも、調べる余地が残されているなら、それだけで興味を引かれた。
湊は検索条件を変え、さらに古い記録を探し始めた。
新しい記事ほど効率的な攻略方法に内容が集中している。
ならば、攻略情報が今ほど整っていなかった頃の記録に、何か違う発見が残されているかもしれない。
「……あった」
しばらくして、一つの古い個人ブログが見つかった。
投稿されたのは、およそ五年前。
当時の初心者探索者が《青葉洞窟》へ挑戦した際の記録だった。
文章は短く、写真も数枚しか掲載されていない。
だが、第一階層について書かれた一文に、湊の指が止まった。
『最初の分岐を右へ進むと行き止まり。奥では、ときどき風のような音が聞こえた』
「……風?」
湊は思わず呟いた。
洞窟の中で風の音がすること自体は、珍しくないだろう。
ほかの場所へつながる隙間があれば、空気が流れることもある。
ただ、昨日あの場所を訪れたとき、湊はそんな音を聞いた覚えがなかった。
「……ときどき、って書いてあるな」
常に聞こえるわけではないのだろうか。
湊は記事を最後まで読み進めた。
しかし、音についての記述はそれだけだった。
投稿者は特に気にすることもなく、引き返して正規の攻略ルートへ進んだらしい。
「……惜しいな。もう少し詳しく書いてくれてたら」
湊は苦笑しながら、記事の写真を確認した。
そのうちの一枚に、問題の行き止まりが写っていた。
暗い岩壁と、淡く光る青色の鉱物。
何の変哲もない洞窟の写真だった。
だが、湊は画面を拡大したところで手を止めた。
「……ん?」
写真の右端に、岩壁がわずかに曲がっている部分が見える。
昨日、自分が気になった場所と似ていた。
湊はノートを開き、記憶を頼りに描いた地図と比較した。
確かに、通路の奥が少し右へ曲がっているように見える。
もっとも、写真の角度による錯覚かもしれない。
それでも、少なくとも自分の記憶だけが根拠ではなくなった。
「……これは、もう一回確認する価値がありそうだな」
◇
湊はそれから一時間ほど、関連する記事や写真を調べ続けた。
しかし、右側の行き止まりについて詳しく記録している探索者は、ほとんど見つからなかった。
古いブログに書かれていた風のような音も、ほかの記事では確認できない。
現時点では、単なる自然現象と考える方が妥当だろう。
「……でも、気になるんだよな」
湊は椅子にもたれ、天井を見上げた。
前世でも、こんなことが何度もあった。
誰も気にしない小さな違和感。
攻略には関係なさそうな地形。
説明のつかない音や、意味の分からない仕掛け。
そのすべてに秘密が隠されていたわけではない。
何時間調べても、結局何も見つからなかったこともある。
だが、そうした無駄に思える検証の先で、誰も知らなかった隠し要素を発見したこともあった。
「……そうそう。こういうのが楽しいんだよ」
湊は再びノートを開いた。
新しいページに、次回の調査項目を書き込む。
『最初の分岐・右側通路』
『確認事項:行き止まりの壁の形状』
『確認事項:風のような音の有無』
『確認事項:周囲の岩壁や地面に違いがあるか』
そこまで書いて、湊は少し考えた。
もし音が聞こえたとしても、すぐに壁を壊したり、無理に隙間へ入り込んだりするつもりはない。
地形の崩落や未知の魔物が存在する可能性もある。
まずは安全な距離から観察し、危険がないことを確認する必要があった。
「……よし。次の探索で調べてみるか」
湊はスマートフォンに保存した地図を、もう一度眺めた。
《青葉洞窟》は、すでに攻略されたダンジョン。
その事実が間違っているとは思わない。
実際、第五階層のボスまで到達した探索者は大勢いるのだろう。
ただし、最深部に到達することと、ダンジョンのすべてを知り尽くすことは別の話だ。
湊はノートの最後に、一文を書き加えた。
『攻略済みと、完全攻略は違う』
書き終えると、自然と笑みが浮かんだ。
まだ隠し通路があると決まったわけではない。
特別な報酬が存在する保証もない。
それでも、次に確かめたいことが見つかった。
「……やっぱり、ダンジョンって面白いな」
湊はノートを閉じ、机の横に立てかけた短槍を見つめた。
左手の傷が落ち着いたら、次の探索に備えて基本動作も練習しよう。
それまでは、情報収集を進めればいい。
やることは、いくらでもある。
「待ってろよ、青葉洞窟」
湊は楽しそうに呟いた。
「攻略済みだからって、全部調べ終わったとは限らないからな」
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございます!
皆さまに楽しんでいただける物語を目指して、これからも丁寧に書き続けていきます。
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