第4話 初めてのダンジョン
ご覧いただき、ありがとうございます!
少しずつ積み重ねていく成長と、やり込みならではの攻略の面白さを楽しんでいただければ幸いです。
今回もよろしくお願いします!
探索者登録を終えた翌朝、一ノ瀬湊は自室の床に並べた装備を、一つずつ確認していた。
丈夫な靴に、動きやすい服。胸元を守る軽量の防具と、手のひらを保護する手袋。さらに、水筒、携帯食料、応急処置用品、小型の照明具を入れたリュックが置かれている。
そして、その隣には一本の槍があった。
「……よし。忘れ物はなさそうだな」
湊はスマートフォンに保存した持ち物一覧を確認し、すべての項目にチェックを入れた。
昨日、探索者協会で登録を済ませた後、母親と一緒に探索用品を扱う店へ足を運んだ。初心者向けの装備が並ぶ店内は、湊にとって宝物庫のような場所だった。
剣、槍、斧、盾。さまざまな武器が並び、防具にも数多くの種類があった。
前世の自分なら、性能表を眺めているだけで何時間でも過ごせただろう。
しかし、今回はゲームとは違う。
購入した装備が体に合わなければ、魔物との戦闘で命を落とすかもしれない。
「最初から高性能な装備を買えばいいってわけでもないしな」
湊は床に置いた槍を手に取った。
昨日、店員に相談しながら選んだ初心者向けの短槍だ。金属製の穂先は小ぶりで、柄も比較的短く、まだ体の小さい湊でも扱いやすい。
最初は剣を購入するつもりだった。
だが、実際に持ってみると考えが変わった。
剣で戦うには、敵との距離をかなり詰める必要がある。腕の長さも筋力も十分ではない今の自分が、初めて見る魔物の攻撃を間近で受け止めるのは危険だ。
その点、槍なら少し離れた位置から攻撃できる。
もちろん、距離を保つだけで勝てるわけではない。狭い場所では扱いにくく、穂先を外せば隙も生まれる。
それでも、今の自分には比較的適した武器だと判断した。
「武器の性能より、まずは安全に扱えることが大事だよな」
湊は槍を床に戻し、昨日店員から教わった持ち方を思い出した。
室内では穂先を覆ったまま、周囲に物がないことを確認してから構える。
両手の位置を調整し、ゆっくり前へ突き出す。
ただそれだけの動作なのに、思いのほか難しかった。
腕だけで動かそうとすると穂先がぶれ、力を入れすぎると今度は引き戻す動きが遅れる。
「……ゲームみたいに、ボタン一つで攻撃してくれないからな」
湊は苦笑した。
当然だが、武器は自分の体で扱わなければならない。
前世で何千時間も戦闘を繰り返した経験があっても、それがそのまま槍の技術になるわけではなかった。
だからこそ、練習する必要がある。
昨日のうちに教わった基本姿勢を何度か確認し、湊は槍を専用の覆いに収めた。
今日の目標は、魔物を大量に倒すことではない。
まずはダンジョンの環境を知る。
そして、安全に帰ってくる。
その二つを、最初の攻略目標にしていた。
◇
「湊、本当に今日行くの?」
玄関で靴を履いていると、母親が心配そうに声をかけてきた。
「うん。でも、今日は様子を見るだけだよ。無理して奥まで行くつもりはないから」
「何かあったら、すぐ帰ってくるのよ」
「分かってる。帰るときにも連絡する」
湊はリュックを背負い、槍を持ち上げた。
昨日の夜、両親には今日の予定を説明してある。初心者向けの《青葉洞窟》へ行き、入口付近の地形を確認すること。無理な戦闘は避け、危険を感じたらすぐに引き返すこと。
父親からは、最初の探索で欲張らないよう念を押された。
湊自身、その意見には賛成だった。
どれほど早く強くなりたくても、最初の一日で命を落としてしまえば意味がない。
「じゃあ、行ってきます」
「気をつけてね」
母親に見送られ、湊は家を出た。
秋の朝の空気は少し冷たく、頬を撫でる風が心地よい。
歩きながらスマートフォンを取り出し、《青葉洞窟》の情報をもう一度確認する。
公表難度はF級。
全五階層。
初心者が最初に挑戦することの多いダンジョンで、公開されている範囲の魔物は比較的弱いとされている。
ただし、弱いという評価は、あくまで探索者全体を基準にしたものだ。
レベル1の湊にとっては、どんな魔物も未知の相手である。
「……最初の敵がどんな動きをするか。それを確認するだけでも収穫だな」
湊は画面を閉じた。
前世では、初めて見る敵に遭遇すると、まず行動パターンを調べていた。
攻撃前にどんな予備動作をするのか。
どの程度の距離まで近づくと反応するのか。
攻撃を外した後に、どれほどの隙が生まれるのか。
それらを把握してから、少しずつ攻撃の機会を増やしていく。
今度も基本的な考え方は同じだった。
ただし、命を危険にさらしてまで検証するつもりはない。
調べられる範囲で調べる。
無理なら撤退する。
そして、次の挑戦に備える。
「……うん。悪くない」
湊は一人で頷いた。
◇
《青葉洞窟》の入口付近には、探索者向けの管理施設が設けられていた。
案内板には入場時の注意事項が掲示され、その周囲には数人の探索者が集まっている。装備を確認している者もいれば、仲間と地図を広げて相談している者もいた。
湊は少し離れた場所で足を止めた。
「……ここが、最初のダンジョンか」
視線の先には、岩肌の間に開いた大きな洞窟があった。
内部は薄暗く、入口から少し進んだ先までは見通せるものの、奥がどうなっているのかは分からない。
洞窟の周囲には柵が設置され、許可を受けていない人間が勝手に入り込めないようになっていた。
その光景を見て、湊の胸が高鳴る。
画面の中ではない。
実際に歩き、実際に戦い、自分の手で攻略していく場所が、目の前に存在している。
「……やばいな。ちょっと興奮してきた」
思わず笑みが浮かんだ。
だが、すぐに表情を引き締める。
まずは入場手続きだ。
管理施設の窓口へ向かい、昨日受け取った探索者登録証を提示する。
「本日が初めての探索ですね」
受付の職員が登録情報を確認しながら声をかけてきた。
「はい。まずは第一階層を見てみようと思っています」
「分かりました。現在の入場条件では、初心者向けに指定された区域を利用できます。無理に先へ進まず、異常があれば引き返してください」
「ありがとうございます」
職員は入場に関する注意事項を説明し、湊の装備を簡単に確認した。
持ち込みが禁止されている物がないことを確かめ、帰還時の手続きについても説明する。
湊は一つずつ頷きながら聞いた。
やがて、入場の準備が整う。
「それでは、お気をつけて」
「行ってきます」
湊は登録証をしまい、洞窟へ向かった。
一歩。
そして、もう一歩。
入口の岩陰を抜けた瞬間、外の空気とは明らかに違う冷たさが頬に触れた。
「……おお」
思わず声が漏れた。
内部の壁には、淡い青色に光る鉱物が点在していた。
その光は強くないものの、入口付近の通路をぼんやりと照らしている。地面は岩がむき出しになっており、ところどころに小さな凹凸があった。
天井からは、時折水滴が落ちてくる。
遠くで響く水音が、静かな洞窟の奥へ吸い込まれていった。
「……本物だ」
湊は足元の石を見つめ、ゆっくりと顔を上げた。
湿った岩の匂い。
靴底から伝わる地面の硬さ。
光の届かない通路の奥に広がる、得体の知れない暗闇。
そのすべてが、モニター越しの冒険とは違っていた。
心臓が少し速くなる。
怖さがないわけではない。
それでも、未知の場所へ足を踏み入れた高揚感の方が大きかった。
「……さて、攻略開始だな」
湊は小さく呟いた。
◇
洞窟へ入ってから、湊は慎重に歩みを進めた。
片手には槍。もう片方の手で、時折スマートフォンに保存した地図を確認する。
もちろん、画面を見るときは必ず足を止めた。
歩きながら地図に気を取られれば、足元の段差や曲がり角から現れる魔物に気づけないかもしれない。
湊は最初の分岐に到着すると、壁際へ寄って立ち止まった。
「……ここが、最初の分岐か」
地図には、左右に分かれる通路が記されている。
右側は比較的短い行き止まり。左側は奥へ続いており、第一階層の主要な通路につながっているらしい。
湊は周囲に魔物がいないことを確認してから、右側の通路を覗き込んだ。
奥には岩壁が見える。
特別なものは、何もなさそうだった。
「……一応、確認しておくか」
湊は槍を構え直し、ゆっくりと右側へ進んだ。
行き止まりまでの距離は、それほど長くない。
壁を見回し、地面の状態を確認する。
目立った変化はなかった。
ただの行き止まり。
普通の探索者なら、そのまま引き返すだけの場所だろう。
しかし、湊はすぐには戻らなかった。
「……地図だと、この壁の向こうにも少し空間がありそうに見えたんだけどな」
壁の位置と通路の曲がり方を見比べる。
昨日、公開地図を眺めていたときに気になった場所とは別だが、実際の通路を確認しておけば、後で比較する材料になるかもしれない。
湊は壁に触れようとして、手を止めた。
まだ、ここにどんな危険があるのか分からない。
不用意に何かを動かしたり、触れたりするべきではないだろう。
「……今日は地形を覚えるだけで十分か」
そう判断し、湊は引き返した。
最初の探索で重要なのは、すべてを調べ尽くすことではない。
次の探索につなげられる情報を、安全に持ち帰ることだ。
分岐へ戻り、今度は左側の通路へ進む。
岩壁に点在する青い光が、足元を淡く照らしていた。
湊は慎重に歩きながら、周囲の音へ意識を向ける。
水滴の落ちる音。
自分の足音。
時折、奥から聞こえてくる何かが擦れるような音。
「……ん?」
湊は足を止めた。
今の音は、水滴とは違っていた。
何かが地面を這うような、小さな音。
槍を握る手に、自然と力が入る。
湊は深呼吸し、ゆっくりと通路の先を見つめた。
数メートル先の曲がり角。
その岩陰から、何かが動く気配がした。
「……いるな」
声を潜めて呟く。
湊は慌てて飛び出したりせず、その場で相手の様子を観察した。
やがて、岩陰から小さな影が姿を現した。
地面に近い位置を、ゆっくりと動く丸い体。
淡い光を受けて、その表面がわずかに揺れている。
「……スライム?」
湊は目を細めた。
目の前に現れたのは、半透明の体を持つ、小さな魔物だった。
大きさは、人間の膝ほどだろうか。
丸みを帯びた体が地面の上でゆっくりと変形しながら、こちらへ向かって移動している。
前世のゲームなら、最序盤に登場する代表的な雑魚敵だ。
しかし、この世界での強さは分からない。
湊は槍を構え直し、足を一歩だけ後ろへ引いた。
まだ相手はこちらに気づいていないようにも見える。
距離は十分にある。
逃げるなら、今だ。
だが、湊はすぐには動かなかった。
目の前の魔物が、どの程度の速さで移動するのか。何をきっかけに攻撃してくるのか。そもそも、どんな攻撃手段を持っているのか。
分からないことだらけだった。
だからこそ、まずは観察する。
「……最初の敵、か」
湊の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
レベル1。
スキルは【疲労回復】Lv.1のみ。
戦闘経験はゼロ。
それでも、これから一つずつ経験を積んでいけばいい。
焦る必要はない。
湊は槍の穂先を魔物へ向け、静かに呼吸を整えた。
「まずは、お前の動きから調べさせてもらおうか」
薄暗い洞窟の中で、初めての魔物との遭遇が始まった。
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