死亡動機/7
レヴァーナー。予想通り死神は、横文字を携えていた。
一円も支払うことなく僕は死神と、夜の街を徘徊する。ネオンが入り乱れ、本当に夜中なのかと問いたくなる光量を持っている。
「東京って場所は、無駄を極めていると思ったことは無いかい?」
唐突な問いに僕は頭を悩ませた。別に理解できない訳でもないが、散歩の振りにしてはやや大袈裟だからだ。
「ありますよ。小さい頃に一度だけ.....バブル経済を象徴するような、煌びやかなネオンに。美しさと同時に一体これだけの光が何の役に立つのだろうって」
「ここら辺が地元なの?」
質問らしい質問に僕は首を振る。
「僕の地元はもっと田舎ですよ.......東京都に属しているだけで、あれはこことは比べようが無い程に酷い場所ですよ」
僕の地元である町田という場所は大層な場所ではない。小田急線とJR横浜線が走っているだけの街。東京の皮を被りはするが、通っているバスは神奈川中央交通のみ。やはり笑いものである。
「へぇ....そうなんだ。実のところ私の故郷も、クソが付く田舎でね。畑と川以外何も無かったよ」
レヴァーナーという名を持った死神は、楽し気に笑って見せる。だが、残念なことに原町田はそこまで田舎ではない。駅から少々離れたところに住んでいるが、流石にコンビニは疎らに転がっている。
僕は視線に慣れていない。だからこそ些細なモノであれ、それを過敏に感じてしまう。
理由は明確で、隣りに美貌を備えた外人が居るからだ。都心の街を闊歩する、彼女は死神ではなく女神にでも見えているのだろう。
「凄い見られていますね」
「───浅羽君がカッコいいからじゃない?」
「冗談を」
「別に冗談じゃないよ。普通にかっこいい部類だと思うけど?」
悪い気はしなかった。ただ能天気に喜ぶ気にもならなかった。何せこの死神は、僕と同類であるから。これが普通の感性を持った人間であれば、歓喜する所だろう。
暗がりを紛らわす無駄を通り抜ける。先に在るのは、正に対極の倹約の具現物。
「散歩っていうからには、こっちの方が雰囲気出るよね」
「そうですね」
何となくに肯定するが、僕はある程度の光が欲しい。別に行き過ぎた無駄を求めているのではない。ただ他人の顔を確認できるほどには欲しいのだ。
今日は特段星が見えない。宇宙の彼方で座に付いているのだろうが、それを雲が邪魔している。
唯一の星は、新月一歩手前の衛星のみであった。だからこそ余計に昏い。
「レヴァーナーなさんは、どうして日本に?」
質問攻めに逢っていた僕は、逃げるように普遍的な問いを投げかける。もう何十と答えて来た問いに、食傷すると思ったが。死神は案外嬉しそうなそぶりをする。
「実はね、私はとある人間を探すために日本に来たんだ」
その意気揚々ぶりは、レヴァーナーではなく。碧の瞳を持った死神の本質なのだ。そうでなければここまで鳥肌が立つことは無い。
「そういえば浅羽君は、探偵を生業としているんだよね」
嫌な予感がした。
「だったら探して欲しいんだ!!」
語尾が一段階強まり、死神は白い右腕で僕の左手を取る。握る力は、体形からは考えようのない程に強い。視えていないが、手先が赤くなることが分かる。振りほどこうにもそれは身体の一部の様に合体していた。
「分かりました。──────それでその人の名前は何ですか?」
顔を顰めながら僕はそう口にした。身体の温度が沸々と煮詰まっていくのが良くわかる。
「脇崎蒼」
たった七文字の羅列。漢字にすれば三文字に集約してしまう情報量。
だが僕は、広辞苑の情報量で殴られた様に意識が薄れていった。あれ程に煮詰まっていた体温は、急激に冷え。思考は統率を失う。
──────心底安堵した。
これがあの無駄の下であったと思うと、僕は死神に殺されていただろう。
◇
九月二日。
電車という箱に積み込まれた一分子である俺は、今日も人気に吐き気がした。
登戸から新宿までの快速急行は、相も変わらず身体を潰される。
保険会社に勤めて十一年になるが。俺はまだ妻は愚か彼女の一人も出来ていない。ただ与えられた仕事を卒なく熟し。行きたくも無い飲み会にも、毎度の事出席する。
この日は月は円を満たす、すれすれに居た。
「白装束」
飲み会の帰り。俺は白に身を包んだ人間を見た。この暗闇を照らす月のような彼女は、女神に映った。
光に群がる蠅の気持ちが俺の思考をジャックする。のそのそと背中を追い駆け続けた。傍から見てば、美女を追い駆けるストーカーにでも映るのだろう。しかしそれでも良い。そんな不名誉以上に俺は目の前の名誉を手にしたかった。
光の道を抜け。対極の闇の道に入る。
五分。十分。体感的にはその程度の時間しか感じなかったが、恐らく客観的な時間で見れば相当な時間が経っていただろう。
「ねぇお兄さん。──────私に何か用事でもあるの?」
くるりと踵を返した彼女が、唐突にそう口を開いた。
その質問の答えを考えるよりも先に、俺は言訳を組み上げる。裁判何てモノを開かれればまず間違いなく俺は負ける。
──────逃げよう
数フレームに集約する判断を終え、俺は彼女に背を向けた。
「大丈夫。別に警察に連れて行ったりしないから」
三メートル先に居たはずの、彼女の声は既に背後まで迫っている。大股に脚を踏み出そうと身体を前に傾けた。だがそれより少し早く、彼女が俺の左腕を掴んだ。
俺は筋トレ何てモノを趣味にするタイプの人間では無い。詰まる所、運動不足に該当する社会人なのだが。
それでも、女に腕を取られ。かつ、身動きを封じられる程には弱くない。
──────殺される
直観。それ以外の何物でもない判断。俺の腕を掴んだ女は、途端に死神を彷彿とさせる雰囲気を纏い出していた。
「ねぇお兄さん。名前は?」
地獄行きの名簿にでも名前を刻むように死神は俺の名を問いた。
「岸沢栄太」
振り返らず、ただ助けを乞うように己の名を口にする。残暑を忘れさせる、氷点下に等しい冷徹。首元に掛かる大鎌のような気配。
「栄太さんか──────ねぇ人生って辛くない?」
死神から放たれた問い掛けは、まるで俺の全てを救うようなモノだった。
レヴァーナー。それが死神の名前だった。
相談に乗る。という題目の元、死神は俺の話を聞き入れてくれた。否定せず、ひたすらに肯定を貫く彼女を見ていると俺の舌は無性に回転率を上げていく。
「──────そっか。上司からの嫌がらせ。使えない部下。上がらない給料。嫌いな飲み会。女性社員の陰口」
死神は罪状を読み上げるように、俺の愚痴を簡略に区切る。
社会人として勤めていれば、誰だって持つ普遍的な悩み。それを前にして死神は、大袈裟に頷いて見せる。
「まぁ私は日本でも故郷でも働いたことは無いから。これと言ったアドバイスは言えないかなぁ」
能天気な死神の発言に俺はなまじ切れ味の在る殺意を覚える。しかしそれは瞬間にして灰塵に帰した。
──────初めから分かっていたからだ。
人は相談に乗って欲しいと口にしても。結局は自分の意見を吐き出したいという欲望を発散したいだけだ。当然人間である俺はその行動規定に該当する。
「あの.....レヴァーナーさん?あんたはどうして、知らない相手の相談に乗るんだ?」
「うぅぅん......普通を知りたいからかな?」
「はっ?」
意味が分からなかった。理解を使用としても、何かしらの前提が抜け落ちているように頭が回らない。
「私ってさ。ちょっとだけ特別な事情を抱えてるから。普通の生活とか普通の人に憧れがあるの。だから栄太さんみたいな、普遍的な人の話は聞いてみたいなって」
王は人の心が分からない。
何て言葉を何処かで耳にした覚えがある。平民を平常の人間。という定義区分するのであれば、王は異常の人間だろう。
何もかも与えられた人間は、何もかも得るしかない人間の心が分からないという揶揄。
───だがその考えは違う
何もかも得るしかない人間に、何もかも与えられた人間の心など分かるはずが無いのだ。
互いに交わることが在れど、決して混ざり合うことの無い陰陽八卦。死神は俺の対極に居る人間だと、今更に俺は理解した。
九月三日。
日付を跨いで帰宅したが、当然に人は居ない。必要最低限の家具が揃った伽藍の空間。
「.........また六時起床か」
現在時刻は、朝の二時十三分。睡眠に費やせる時間など無いに等しい。人間は一日八時間ばかり寝ることが健康に繋がるらしい。仮に一日六時間睡眠を一週間続ければ、一日徹夜した時と大差が無いと聞く。
「俺の場合三日で事足りるかな?」
自嘲じみた笑みを浮かべ、俺はワイシャツのまま床に沈んだ。
精神的疲弊を吐き捨てたお陰か、今日の睡眠は質が良い。悪夢に唸らされることも無く六時を迎えた。
満員電車は、心身ともにストレスを蓄える要素に変わりはない。ただ不思議と今日は耐えられる。
上司の怒号。部下のミス。女性社員の陰口。日常の中に潜んでいる、クソったれな要素。それもまた不思議と気にならなかった。
「定時に退勤か......久しぶりだな」
うちの会社は、労基が呆れるようなブラック企業ではない。とは言えども、最近は久しぶりだった気がしてならない。
二〇〇〇年という千年ごとの区切りは、既に目の前に迫っていた。
世の中ではノストラダムスの大予言というモノが流行っている。どうやら残り短い日数で人類は滅ぶのだそうだが、今のところその予兆は無い。
太陽の半分以上が地平線に下り。夕焼けの真骨頂とも呼べる瞬間はとても神秘的であった。
「白装束」
その陽光に陰る様。あの死神が立っていた。名前はレヴァーナー。どこからとっても日本人には聞こえない、カタカナの羅列。
「おや栄太さん。今日は定時なのかな?」
にこやかに微笑む死神は、俺に手を振った。俺は餌をチラつかされた魚の様に、その手を追った。
今夜は居酒屋に行きたいと言われ、俺の奢りという事で行きつけの店に足を運んだ。
平民が英気を養う憩いの場。そこには余りに不釣り合いな、女神が居れば当然店の視線は俺と死神に集中する。
「皆俺たちの事を見てますね」
「栄太さんがカッコいいからじゃないですか?」
いや、貴女が美人だからだろ。と否定したかったが、そこまで悪い気もせず「いやいや」と気味の悪い謙遜をした。
死神は見た目以上に酒が強い。いや強い何てモノではない。既に五杯も飲んでいるというのに、白雪のような頬に紅点は無い。
一方の俺は酔いが加速し始め、またしても愚痴を垂れ流していた。自分というビンから液体が流れ落ちていく感触は、なんとも言えず癖になる。
二十三時十二分。
僕は日付を跨ぐ以前に床に沈んだ。
九月四日。
昨日の再演かのように、一日の動きを模倣した。
満員電車。上司の怒号。部下の失態。女性社員の陰口。日々の不快となる事象の悉くが俺の体内を通過する気がする。何を言われても心に痛みが走らず、何をされても嫌気がささなかった。今日は残業があったが、それさえも気になりはしない。
退勤後。満月と化した月がこの世界を見下ろしていた。そして変わりもせず──────
「白装束」
死神はそこに立っていた。碧の瞳をぎらつかせ、レヴァーナーは死神らしく月光を纏っている。
彼女はまたしても俺にてを振るった。
──────もう彼女無しでは生きていけない。
俺は飼い主を見つけた犬の様にレヴァーナーの姿を追った。
食事を楽しんでいると俺はまたしても、愚痴を口にしている。既に吐き出し切ったものを繰り返し繰り返し口にする。それでもレヴァーナーは嫌な顔何てモノを見せもしない。またしても酒が進み、意識が朦朧としだしたところ。
「あぁそう言えば──────明日から暫く会えなくなるかも」
唐突にそんな事を言われた。青天の霹靂なんて言葉があるそうだが、この瞬間の俺の心は正にそれであった。
狼狽えながらどうして。と問いかけるとレヴァーナーは微笑んで。
「やらなきゃいけないことが出来てね」
と曖昧な説明を残した。するりと立ち上がると、レヴァーナーは振り返りもせず店を後にした。
別に恋人にでもない赤の他人にそう言われただけなのに。俺は浮き輪を無くした子供の様に狼狽えた。上下左右が分からない水中をもがくよう俺は必死に店の外に出た。
既にレヴァーナーという名の人間は消えていた。
「あのお客さん.......お勘定まだなんですけど」
学生アルバイトのような金髪の青年が俺に声を掛けて来た。
「すみません!!さっき白い格好した連れが、出て行ってしまって!!.......」
無銭飲食では無いと伝えたくて俺は、柄でもなく声を荒げた。途端に青年は首を傾げ、眉間を寄せる。
「お客さん。ずっと一人でしたよ?」
撃ち殺された気さえした。まるで世界という大きな仲間内から、存在を抹消されたような。そんな感触が俺を恐らく殺したんだろう。店員が何かを口にしているが、その全てが俺の耳を通り過ぎた。
十二月八日。
自殺することを決意した。不思議と耐える事の出来ていた日々の障害は、悉く俺に牙を向ける。一度味わった快楽からはもう立ち戻れないよう。俺の精神は原形をとどめていない。
朝の十一時二十二分。家に取り付けてある電話が絶えず鳴り響く。番号など確認せずとも、それが会社だと分かっていた。しかし取る気などさらさらなかった。
「はっそもそも。どうして見ず知らずの他人なんかに頼っていたんだ俺は?」
馬鹿馬鹿し過ぎて最早嗤いさえ起らない。
自分のストレスを垂れ流し、無敵になっていた。そんなモノは淡い幻想に他ならない。
ただ俺は己の許容範囲に穴を開け。知らず知らずに耐えるという行動自体に支障をきたしただけなのだ。
「結果として見れば、俺はレヴァーナー無しでは生きられなくなった廃人か。──────まぁそもそもレヴァーナーに会わなかったら死ぬつもりだったし。悔いは無いか」
良く砥いだ出刃包丁を台所から持ち出した。
切っ先を腹に向ける。神経という神経が毛羽立ち、俺という人物を止めようと危険信号を発し続けている。
手は震え。汗は止め処が無く。呼吸は秒を刻むごとに荒くなった。
──────殺れ
死ぬ刹那に人は走馬灯を見るらしいが。正直俺の走馬灯に映るモノ等たかが知れている。
──────さっさと殺れ
包丁を持つ手を肩の高さまで上げる。このまま一気に振り下ろすだけ。準備はもう完璧だった。
──────お前に生きる価値は無い
そして降ろし、
「ごめんくださーい」
切っ先が服を掠めた瞬間。その声が扉の先で聞こえた。厚い扉を跨いだ先だというのに、その声は俺の耳元で発せられたような気がしてならなかった。
待ち望んだ声とでも云えよう。
それは女神であるレヴァーナーの声なのだから。
包丁をその場に捨て、俺は玄関口に向かって走った。柱に小指をぶつけ、何度も転んだ。だがそれでも止まることはしなかった。
「──────レヴァーナー!!!!」
近所迷惑になることなど考えもせず、俺は扉を開けていの一番女神の名を呼んだ。
やはりそこには彼女が立っていた。
変わらず白の装束を身に纏い。彼女自身が白になろうとしている。
俺は彼女に縋りついて、彼女の名を何度も呼んだ。酷く不格好で、酷く不細工なモノだろう。
それでも構わない。
──────女神さえいれば俺は生きていけるのだから
「久しぶりだね栄太さん」
天女の一声のような美しさは俺の心を瞬時に癒す。涙ながらに俺は上を見つめた。涙で滲んだ先に居たのは、女神という皮を纏った死神だった。
碧眼の中心は赤黒く。視ているだけで人を殺せそうな重みがある。
「貴方は異常の世界に溶け込めなかった。三度も機会を上げたというのに、貴方は一辺倒な人間。それじゃあ私の目的は完遂出来ない」
機械じみた雰囲気を纏い死神は、言葉を紡いだ。
「私を視界に捕らえられた。その点だけで見込むと、やはり粗悪品を掴むという事か」
訳が分からなかった。死神はまるで見えていない誰かと喋っている様だった。
「平常と異常は絡んでも。溶け合えない。──────まだこの定義は根を張っているな。けど平常が以上に踏み込むには至るか」
俺を見つめているくせ。死神は俺の命を見ていた。
カラン。
金属が地面に触れ合った甲高い音。俺は咄嗟に振り返る。先程捨て置いた出刃包丁は、糸で引かれたに地面を這って近付いてきた。
これは夢でも幻でも無い。俺の平常の中に現れた異常の一片なのだ。
まるで魔法に操られた様にひょいと出刃包丁は宙に舞い。死神の手に引き寄せられた。
死神には鎌。という勝手な妄想があるが。目の前の死神にはこの包丁が良く似合っていた。
陽光を反射した包丁は、俺の首筋を狙っている。
「──────ま、待ってくれ。お前は一体何者なんだ?」
「私は魔術師」
「どうしてお前は俺の前に現れた?」
「最後の機会を与えに来ただけ。もし仮にお前が異常者に変貌を遂げていたら、お前を魔術師にするつもりだった」
意味が分からない。それでも俺は質問を投げ続けた。
「お前は俺以外の人間には映らないのか?」
「そうとも限らない。私の視認性を妨げる結界を突破出来た人間は、私を捕らえられる。だから三日目の居酒屋で、お前以外の人間は私に気が付いていなかった」
「──────もしかして。あの時周りが俺を見ていたのは......」
そこから先は恐ろしくて口が開かなかった。
「そうだ。お前は周りから見れば一人なんだ。だから注目を集めた」
言葉が出てこなかった。俺という人間の全てを封殺されたような感触。俺は自決する以前からもう死んでいたのだ。
「それじゃあね」
死神は構えていた出刃包丁を軽く振るった。
まるで豆腐でも切ったのかの様に。俺の世界は上下で二つに分かれた。




