『ストレートハイッター』の距離感
「あと一撃でKOだったのに! お兄さん、負けちゃったよ」
大型商業施設の三階。玩具売り場の一角にある、テレビゲームの体験プレイコーナー。
私はわざとらしく頭を抱えてみせた。
モニターには、体力ゲージがミリ単位で残った相手キャラクターの勝利ポーズと、「VICTORY」の文字。
対戦相手の小学三年生くらいの男の子は、
「しゃあっ!」
と小さくガッツポーズを作る。
そして、後ろで見守っていた母親に向かって、誇らしげに鼻を鳴らした。
「はい、勝利の記念カード。格闘センス抜群だったよ!」
カードを受け取った男の子は、嬉しそうに母親と一緒に走り去っていった。
その背中を見送りながら、私は小さく息を吐く。
私の仕事は、この体験コーナーで子どもたちを相手にテレビゲームの接待プレイをすることだ。
先日、落ち物パズルゲーム『ツヨツヨ』で、ユウキ君と連鎖の応酬を繰り広げて以来、私の内面には熱い勝負師の炎が灯り続けている。
バックヤードのロッカーから自分専用のコントローラーを取り出し、夜な夜な自宅での鍛錬も再開した。
だが、仕事は仕事だ。
表向きは「子どもに気持ちよく勝たせる親切な店員」でいなければならない。
午後三時を過ぎた頃、不意に後ろから声をかけられた。
「ねぇねぇ、お兄さん。私もやってみたいんだけど、良いかな?」
新たな挑戦者の登場だ。
振り返ると、人懐っこい笑顔が印象的な、中学生くらいの女の子が立っていた。
少し長めの前髪の隙間から、にこやかにこちらを見つめている。
「いらっしゃい。格闘ゲームの『ストレートハイッター』だけど、早速やってみる?」
「うんうん。早くやろー」
女の子は満面の笑みでコントローラーの前に立ち、ゲームの開始を待っている。
「よし。じゃあ、お兄さんと一回勝負してみようか」
『ストレートハイッター』は、世界的に有名な二次元対戦格闘ゲームだ。
キャラクター同士が画面上で対峙し、パンチやキック、必殺技を叩き込んで相手の体力を削り合う。
間合いの取り合い。
相手の攻撃をガードしてからの反撃。
技の出の速さ――いわゆるフレームの読み合い。
それらを制した者が勝者となる。
私は扱いやすい主人公タイプの標準キャラを選んだ。
一方、女の子が選んだのは、素早い技を得意とする女性格闘家キャラだった。
ラウンド1。
いつもの接待モードだ。
私は適当に大振りのキックを出して隙を作る。
女の子がレバーをガチャガチャと動かし、偶然出した攻撃をわざと食らってあげる。
相手に「自分でも技が当たった!」という快感を与える。
いつものルーチンだ。
――しかし。
私が牽制のために繰り出した、屈み弱パンチ。
その、ほんのわずかな戻り動作――隙に対して。
カチャ、スタン!
小気味よい操作音が響いた。
女の子のキャラクターが最小限のステップで踏み込み、正確無比な立ち中パンチを叩き込む。
そこから間髪入れず、必殺技へキャンセル入力。
(……え?)
鮮やかな連続技――コンボが決まり、私のキャラクターの体力が三割も奪われた。
女の子の手元を見る。
その指先は、コントローラーの上を無駄なく滑っていた。
レバーを握る手首の角度。
ボタンを叩く指の動き。
どれも迷いがない。
まぐれじゃない。
この子は、技の「確定反撃」のタイミングを完璧に理解している。
格闘ゲームにおける「確定反撃」。
相手が技を外したり、ガードされたりした瞬間に生じるわずかな隙へ、確実に反撃を叩き込む技術だ。
生半可な練習量では身につかない、熟練の技。
ゾクッと背筋が泡立った。
こんな本物の格ゲーマーを相手に、手加減や接待なんて失礼でしかない。
(……よし。本気で行くぞ)
私は心の中で深く息を吐き、意識のギアをトップに入れた。
手加減のブレーキを外す。
相手の足元を払う下段攻撃。
ガードを崩す投げ。
ジャンプ攻撃を落とす対空技。
それらを同時に意識する。
カチャカチャカチャ!
スタン!
私のキャラクターが素早く間合いを詰め、鋭い突きを繰り出す。
しかし――。
女の子は微動だにせず、正確に下段ガードを固めた。
そして、私の技がガードされた瞬間。
数フレームの隙に、見事なコンボを叩き返してくる。
「くっ……!」
強い。
間合いの管理が完璧だ。
私が踏み込もうとすると、絶妙な間合いで牽制技を置かれる。
痺れを切らして跳び上がれば、完璧なタイミングのアッパーで撃ち落とされる。
画面の中で、二体のキャラクターが目まぐるしく拳を交える。
ガードの硬さ。
技の差し込みの鋭さ。
下手に踏み込めば、たちまち返り討ちにされる。
ただならぬ殺気が感じられる。
全身の毛穴が開くような緊張感。
息をするのも忘れるほどの濃密な時間が、試遊台の小さな画面の中を流れていく。
(たのしい……!)
退屈な日常が、完全に吹き飛んでいた。
相手の指の動き。
画面のキャラクターの視線。
一瞬の隙。
すべてが研ぎ澄まされたスローモーションのように感じられる。
そして――運命のファイナルラウンド。
お互いの体力ゲージは、残り一撃で倒れるほどのミリ残し。
一歩でも間合いを誤れば、その瞬間に決着がつく。
私は意を決した。
一瞬の踏み込みから、ガード崩しのコマンドを入力する。
勝負の賭けだ。
だが――。
女の子の集中力は、私の思考の一歩先を行っていた。
私の踏み込みに合わせて、女の子のキャラクターが放ったのは、無敵時間のある超必殺技。
画面が暗転する。
派手なエフェクトとともに、カメラがクローズアップされた。
ドカカカンッ!
私のキャラクターが吹き飛ぶ。
そして――。
KO。
その文字が、画面いっぱいに躍った。
「あぁ……完全にやられた」
私はゆっくりとコントローラーから手を離した。
長く、熱い息を吐き出す。
手汗でコントローラーが濡れている。
本気で勝ちにいって、完璧に読み負けた。
しかし、胸を満たしていたのは敗北の悔しさではなく、極上の対局を終えたあとのような充足感だった。
「……すごかったよ。参りました」
私が深々と頭を下げると、女の子は前髪の隙間からチラッとこちらを見上げた。
照れくさそうに。
でも、少しだけ誇らしげに口元を緩める。
「へへへー。今日は調子良かったみたい。すっごく楽しかったよ」
「こちらこそ。はい、勝利の記念カード!」
私がポケットから取り出したカードを手渡すと、女の子は両手で大切そうに受け取った。
「お兄さんの名前はマモルっていうんだけど、君は?」
「私はサクラ。カワイイ名前でしょ」
「サクラちゃんか。ありがとう。また勝負してくれるかな?」
「うん! 約束だよ~」
女の子は軽やかな足取りで店を後にした。
その背中を見送りながら、私はしびれた指先をギュッと握りしめた。
「平野さん、今日も流石の見事なプレイでしたね」
伊藤さんが、周囲には聞こえないようにそっと声をかけてきた。
「え?」
「最後のミリ残しからの大逆転。あの女の子、すっごく嬉しそうにカード持って帰っていったじゃないですか。あんなギリギリの演出、私には絶対無理ですよ。完璧な接待プレイですね」
「……あ、はは。まあ、仕事だからね」
私は苦笑いを浮かべながら、努めて平静を装って答えた。
(接待、か……)
伊藤さんには、私が本気で叩きのめされたようには、まったく見えていなかったらしい。
だが、それでいい。
「じゃ、交代お願いね」
「はい。お疲れ様でした!」
私はバックヤードへ向かった。
胸の奥では、静かな炎が燃え盛っている。
格闘ゲームの深遠な読み合い。
自分の間合い管理の甘さ。
まだまだ研ぎ澄ませる余地はいくらでもある。
ロッカーを開ける。
そこから、大切に保管してあるマイコントローラーを取り出した。
ボタンの感触を確かめる。
そして私は、脳内で先ほどのバトルをもう一度、最初から再生し始めた。




