些細な一歩
タイムマシンのハッチがプシューと開き、白い蒸気が研究室にもくもくと立ち込めた。
私はモニターから目を離し、待ちに待った彼の帰還に胸を躍らせて、ドタドタと駆け寄った。
待ちに待ったとは言っても、現代に残された助手の私にとっては、ほんの数秒のことであるが。
「博士、お帰りなさい。初期テストは成功です」
煙の中から現れた博士は、ふうと息を吐き出しながら、胸をバシバシと叩いて無事を知らせてくれた。
「ああ、大成功だとも。まさか本当に太古の時代の空気を吸えるとはね」
博士は興奮して疲れているのか、重い足取りでよろよろと歩き、お気に入りの椅子に大きなお尻をドンと下ろした。
私はタブレットをひょいと引き寄せ、今回の時間旅行に関するデータログに目を通す。
「生体反応、空間転移エネルギー量、共に正常値です。いやそれにしても、過去の地球はいかがでしたか。やはり文献にあるように、巨大な爬虫類がうろついていたのでしょうか」
「うむ、その通りだ。だが、私の興味はもっぱら植生にあったものだからね。身体がすっぽり隠れるシダ植物の群れには感動したよ。思わず、そこらにある新鮮な葉をむしって食べそうになったくらいだ」
博士は明るい調子で言いながら、逞しい顎の裏を掻いた。
一見したところ、怪我などもないようだ。
その変わらぬ様子を見て、私もホッと胸を撫で下ろし、喉の奥を鳴らした。
「ですが博士、少し気がかりなデータが。時空の波長に微細な乱れがあるようです。向こうで何か、予定外の行動をとりませんでしたか」
私が尋ねると、博士は少しバツの悪そうな顔をして、太い指で頭をボリボリと掻いた。
「実はね、植物のサンプルを採取しているとき、うっかり虫を踏み潰してしまったんだよ。なにぶん足元がふかふかしていたものでね」
「虫を、ですか」
わずかに不安がよぎり、私は思わず背筋を伸ばしてしまった。
「見たこともない奇妙な生き物でね。薄っぺらくて柔らかくて。二本の足でひょこひょこと歩く、実に滑稽な虫だったよ。まあ、本当にひ弱なものだったから、大した問題ではないだろう」
博士はのんきな顔をしていたが、私の方はタブレットを握る両手につい力が入ってしまう。
「博士、そんなことをしたら、現代の生態系や我々の進化に影響を及ぼすのではないですか。過去の些細な変化が、歴史を根底から覆してしまうという理論は、あなた自身が提唱したはずです」
私の深刻な態度を見て、博士は丸い目をパチクリとさせた。しかし、次の瞬間にはプッと吹き出し、大きなお腹を揺らす。
「歴史はそんなに脆くないよ。あんな毛のないちっぽけな虫を一匹潰したくらいじゃ、何も影響なんて出やせん。それより、我々の大きな一歩を喜びたまえ」
博士は歯を剥き出しにして、ウホホといつも通り笑った。




