混濁生
視界の後ろに、濡れた綿が詰まっているような感覚がある。
まだ意識の歯車が噛み合わないようだ。
私は呼吸する鉄の箱の中で目を覚ました。
どれくらいの期間、この霜にまみれた引き出しの中で横たわっていたのか知れない。
ただ、ひどく喉が枯れている。
私は本能的に、壁から突き出た銀の管をひねり、容器に注がれた透明の血液を飲み干した。
味はないが、少しだけ油の香りがする。
私は、未だ不安定な足を動かし、壁に開いた巨大な単眼の前へ向かった。
単眼の外には、先の分からぬ黒いインクが果てしなく広がっている。
そこに無数の砂粒が静かに瞬いていた。
まるで黒い毛布にできた無数の虫食い穴のようで、不気味でありながらどこか美しい。
自分が誰で、どこから来たのか。
視界の背後に潜む綿をこじ開けようとするたび、その奥で火花が散るような感触が走る。
私は部屋の中央にある光る板の前に座った。
薄い板のつるりとした表面で、蛍光の虫たちが絶え間なくうごめいては、滝のように一斉に流れていく。
それが私にとって意味のある列だと気付くまでに、少しばかり時間がかかった。
虫たちの動きを集中して追っていると、どうやら私は、何かを探す役割を負っているらしいことがわかってきた。
振り向くと、背後には私と同じような霜の箱が七つ並んでいる。
しかし、その中に入っているものは、すべて干からびた薪であった。
私のように起き上がる気配はない。
どうやら、私が動き出すずっと前に、火を消されてしまったようだ。
ではなぜ、自分だけがこの箱の中で呼吸をし続けているのだろう。
考え込んでいると、腹の奥が鳴いた。
何とも気持ちの悪い感触である。
私はすぐさま、目についた戸棚から四角く固められた泥を取り出し、噛み砕いた。
乾いた破片が体内を下っていく。
やがてこれは、私と混ざり合い、この落ち着かない感覚を鎮めてくれるのだろう。
私の鼓動に合わせて動く壁の針の音が、目の奥でやけに大きく響いた。
しばらく経って、光る板がけたたましい悲鳴を上げた。
箱全体が脈打つように血の色を強め、私の側頭部の器官を容赦なく叩く。
私は再び、大きな単眼を覗き込んだ。
いつの間にか、この箱は黒いインクの海を渡りきったようである。
その先では、視界を覆い尽くすほどの巨大な紫色の光が、口を開けて待っていた。
ぬらぬらと揺らぎ続ける光線は、内臓のように思われる。
今になって、色々なことが思い出された。
私は、くたびれた故郷を離れ、次なる無垢な場所へ向かっていたのだ。
しかし、目の前の紫は、どう見てもそんな優しいものではない。
光る板の上を這い回る虫たちが、ひとつの規則正しい配列を成した。
途端に、すべての不思議が解けた。
私は、新しい巣を探していたのではない。
この広大で絶対的な主人に対し、自らの身を捧げる手はずだったのだ。
かつて青い血液の故郷に住んでいた私たちは、近いうちに来たる滅びの苦しみを避けるため、より価値の高い生命の一部となる道を選んだのである。
頑丈なはずの鉄の箱が大きな叫びとともに軋む。
紫の奥から伸びてきた無数のツルが巻き付き、壁や床を四角い泥へ変え始めたのだ。
しかし、恐ろしさは全くない。
私の末端はすでに周囲と混ざり、次なる強靭な肉体を形成しつつある。
干からびた薪である七人も、流れ込んできた極彩色の血液を得て、嬉しそうに産声を上げていた。
大変、よい気分だ。
理由もなく枝分かれしていたものが、またひとつに戻っていくような心地である。
融けて変質した単眼の外を見る。
無数の箱が、暗闇の先から次々と現れ、列をなして巨大な主の中へ進んでいく。
まるで、匂いに誘われた羽虫の群れのように。
我々の不安は平安となり、永い夢が訪れた。




