光の聖女が来訪です。②
じっと見つめれば吸い込まれそうになるほどの快晴。
天高く昇りきった太陽は目に見えないエネルギーを大地に注ぎ、呼応するかのように多くの生物が活発に日常を送る。
三層構造の交易都市サンドリア、第二層では交易都市という名に恥じない賑わいが広がり、中央にある第三層では役人や上流市民が優雅に過ごしている。
そして第一層、農作物実る田畑や起伏に富んだ平原が大半を占めるこの場所ではのどかな時間が過ぎていた。
降り注ぐ陽光に草木は喜んでいるように青々と生い茂り、別の場所では放牧されている家畜達がまったりと過ごしている。
第二層に目を向ければ忙しない喧騒が幻聴となって聞こえてきそうで、反対に目を向ければ広がる青い空と平原が心に余裕を作り出す。
そんな第一層にある一軒家。
周りには田畑も放牧地も無い平原で、太陽の光を受けて蜂蜜色に輝いている丸太が積み上げられて作られた外壁は木肌の温もりを残し、緩やかな勾配の屋根が草の青い香りを運ぶ風を受け流す。
広大な平原で錯覚してしまいがちだが、その一軒家は三、四人でも余裕をもって暮らせるほどに大きい。
ゆとりのある造りの玄関ポーチが客人を大らかな気持ちで出迎え、外からの光を存分に取り込める大きい窓が室内を自然光で満たす。
「確かここであってますよね……」
ポツンと立つ一軒家を前にメモとにらめっこする一人の少女。
身体の肌を隠す純白の装束は眩い陽光を反射して、左手に握られた錫杖の遊環が風に揺られて音を鳴らす。
小柄な身体も相まって少し幼さを感じさせる紫外線など受けたことがないような玉のような肌、白いウィンプルからこぼれる金髪が風に揺られ、宝石と遜色ない翡翠色の瞳は期待と緊張に震えている。
四段ある階段を一段ずつ上がり、玄関ドアの前で立ち止まる。
大きく息を吸い、澄んだ空気を肺に取り込み小声で「よし」っと気合を入れる。
コンコンコンとドアをノックする少女。
木が小突かれる音から数秒後、中から女性の声がして扉から少し離れる少女。
やっと会える。
もう一度話せる。
そんな期待が少女の胸中を支配し、ドアが開かれると同時に胸がギュッと締め付けられる。
「はいはい、誰だ?」
しかしながら、多大な期待に反して中から顔を出したのは別人だった。
漆のような艶やかな黒髪、夜闇に異質な存在感を醸し出す赤い月のような緋色の瞳、落ち着いた無彩色の服装と服の上から十分に伝わる曲線美と扇情的な魅惑を醸し出す肌。
理知的、飄々とした、芯のある、気分屋。
いろんな印象が入り混じって少女に流れ込んでくるも、それらが一切気に出来ないほどに人の形相の背後に感じる圧倒的な邪気が少女を襲う。
目の前の存在を視界に入れた瞬間、全身の毛が逆立つのを感じた。
冷や汗が止まらず、本能が逃げろと全力で警鐘を鳴らす。
今まで対峙したどんな魔物よりも、今まで相対したどんな魔族よりも強い気配。
邪悪で、醜悪で、卑陋。
新鮮だった空気が重く感じて、両肩を掴まれたようなプレッシャーが押し掛かる。
頭が理解する前に体が動く。
ひらりとした服装に似合わない素早い動きで目の前の存在から距離を取る。
そして流れるように錫杖を構える。
「“光源に坐します至高の女神様よ・我が祈りを抱きとめたまいて・万の邪に慈愛の掌を顕現させ給え”――――」
「その力は女神の――――」
少女に感じる光の力。
誰もが眩く美しく心地よい印象を抱くその光を、ログハウスから出てきた黒髪の女性は危機的に感じて臨戦態勢に入る。
いきなりのことだが止まる気配のない少女はそのまま続けた。
「……聖典第十章三節——聖天掌!!」
黒髪の女性は天を見上げる。
殺意や憎悪といったものが一切感じられないほど清々しい晴天。
そこに現れるは視界ですべてを収められないほど巨大な、まさしく女神の姿の半身。
布一枚を身体に巻き付け腰辺りで帯が緩やかに結ばれた身なり。
片方の肩は露わで、もう一方は布が斜めにかかり、その落差が人為よりも神性を思わせる。
装飾は最小限、しかしその控えめさが逆に神話に語られる美と威厳を際立たせ、淡い金色の光輝く身体は存在感と儚さを同時に醸し出している。
信仰の篤い者ならばその姿に地に伏せ涙を流して祈りを捧げるだろう。
そうでなくてもその存在に目を奪われて忘れられない記憶として刻まれるほどの存在感と安心感。
女神様は見守ってくれているのだと、悪に染まってはいけないのだと、そう思わせるほどのインパクト。
しかしながら黒髪の女性にとってはありがたい存在では断じてない。
現れた女神はその巨大な掌を黒髪の女性に向けて近づける。
俯瞰して見るならば叩くわけでもなくゆっくりと置くように近づけている掌だが、黒髪の女性にとって迫りくるその巨大な掌は、一呼吸する間もない速さで煌々と視界を奪い圧し潰されそうな圧迫感と緊張感を与える兵器そのもので。
「再現魔法――次元術式【三重の世界】」
黒髪の女性の中にある力が大きく揺らぐ。
掌が直撃するまでの残り二秒半、辺り一帯を占める巨大な魔方陣が現れた瞬間に消え、間髪容れず黒髪の女性がいるログハウスの周りに魔方陣が浮かび上がる。
平原にポツンと立つ一軒家ごと黒髪の女性に光の掌を乗せる女神の化身。
衝撃が空気を揺らして轟音を響かせる。
掌を中心に草は仰け反り、押し出された空気は戻ろうと収束を始める。
女神の手の下には手形のクレーターと潰れたログハウスがあり、悪しき存在は浄化され跡形も無くなったであろう。
――――と、思っていた少女は目の前の光景に目を丸くする。
「いきなり攻撃するとは女神の祝福を受けた者は野蛮だな」
平原の草木は穏やかに風に揺られ手形のクレーターはなく、ログハウスも健在。
そして何より、悪しき存在は浄化されるどころか余裕の表情で立っている。
その飄々とした表情には敵意は感じられないものの、当たり前だが好意的では一切ない。
「わたしの力が通じてない!?」
再び錫杖を構える少女に黒髪の女性は冷静に制止する。
「無駄だから止めておけ。今お前はこの世界に居て、この世界に居ない。どれほど強力な力を使おうが私には届かない」
「……どういうことですか?」
冷静な黒髪の女性に対して少女は敵意むき出しで返す。
そんな反応をされては敵対心が出てきても不思議ではないが、黒髪の女性は気にも留めず疑問に答える。
「次元術式は次元を分ける魔法だ。今この場所にはただの平原が広がる世界と、お前のいる世界と、私と家がある世界が重なっている状態。お前がどれほどの力を使おうが、別の次元にいる私には届かないし、同時に私の攻撃もお前には届かない。私の世界とお前の世界の視覚情報と聴覚情報はリンクさせてるから互いに見えてはいるし、声も届くが実態はそこにはない。いろいろと制約や制限があるから使い勝手は悪いが平和的に対話を求める場合には重宝している」
「……そんな魔法ありですか。やはり貴女は野放しにはしておけません。六冥尊かそれに並ぶ上級魔族ですね」
「さすがに女神の祝福を多大に受けた奴の眼は誤魔化せないか。だが私に戦闘の意思はない。冷静に話し合おう」
「魔族が話し合い? 信じられるわけないでしょう」
「信じる信じないは勝手だが、今は互いに何もできない状態だ。争っても仕方がないだろう?」
「これほどの魔法、長く持つとは考えにくい。貴女の魔力が切れたとき、それが貴女の最期です」
「魔力切れはありえ――――あー、そうだな。その時はサンドリアの連中を魔力に換えるとしようか」
黒髪の女性はサンドリアの第二層の城壁を指さす。
城壁の向こう側には多くの人々が暮らしている。
人を魔力に換えるなんて聞いたこともないが、その圧倒的な存在感と一切隙のない表情に嘘やブラフの可能性を少女から消し去る。
サンドリアの住人を人質に取られ少女はなす術もなく歯噛みする。
「卑怯な」
「不意打ちは卑怯にならないのか? ……まあそのことは許してやる。お前の選択肢は二つ。サンドリアの住人を犠牲に私と殺し合うか、私の案に乗り対話の席に着くかだ。ちなみに後者なら飲み物と菓子が付いてくるぞ」
目の前の存在を倒さなければならない立場だが、聖女とは人々を救う使命がある。
サンドリアの住人を見捨てる選択肢など少女にはなかった。
「分かりました。矛を収め、話し合うことを誓いましょう。ですので関係ない人を巻き込むのは止めてください」
「よろしい」
黒髪の女性は満足げに笑い指を鳴らす。
パチンと軽い音を合図に、少女は浮くような感覚が僅かに過る。
ほんの一瞬の感覚で特に何かをされたわけではない。
しかし頬を撫でる風の感覚や衣服越しに感じる太陽の熱が、分断されていた世界とやらが一つになったことを少女に理解させた――――。
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