光の聖女が来訪です。①
太陽が天高く上る時間帯にも関わらず青一つない曇天。
人里離れ、水気はなく、緑の気配が少ない荒れた大地。
本来なら風と砂が擦れる音しか響かないその地が今日は珍しく騒がしい。
灰黒の天蓋に地響きが反響し、群集の猛りと猛獣のような咆哮が空気を揺らす。
物理的に風を切る音を奏でると同時、岩石の地形が強引に変わる。
崩れた岩壁が、平屋の建造物並みの岩石を落として切り立った壁面に凹凸を生み出す。
北から吹き抜ける風は岩場から砂を絡めて鼻腔をくすぐる。
その中には血肉の香りが混じっているものの、そんなこと気にならないほどの衝撃がその場全員の視界を埋めている。
「前衛隊とは魔物の注意を集めよ! 中衛隊、前衛をカバーしつつ魔物の体力を消耗させるんだ! 後衛はその間に攻撃準備!!」
爆轟響く中、負けない怒号で指示を出す。
魔王と“鎧の勇者”との闘いで跡形も無くなってしまった元魔物群生地域である北方区域と、大陸西側に位置する宗教都市エルレムの間に位置する岩石地帯。
そこで暴れるのは背に千の人を運べそうなほどの巨躯を誇る大型のサソリ。
ハサミ型の触肢が硬い岩盤を豆腐のように砕き、尻尾のような終体は一振りで辺り一帯を更地に変え、尾節の針から撒き散らされる禍々しい色身を帯びている流動体が、地面や岩壁に付着するたび蒸発するような音と刺激的かつ熱を持った煙を放っている。
硬質な外皮は剣や矢などの物理的攻撃を跳ね返し、左右四本ずつある先が鋭く尖った足が地面に突き刺さってその巨体を不動のものへと変える。
そんな魔物を退治しようと集まっているのは宗教都市エルレムより派遣されし聖騎士達。
鮮やかな藍がかった群青色の軍服のような正装、籠手や胴当てなどは純白で金色の縁取りがされている。
羽織るマントの背中には十字の刺繍が施され、長時間の戦闘で薄汚れながらも清廉な印象を崩さない。
女神の祝福を受けている彼らは魔を払う光の力を扱う魔物退治のエキスパート。
しかしそんな彼らが束になっても、目の前で暴れまわるサソリ型の魔物に苦戦していた。
「「「“いと優しき女神様よ・我が祈りを応じたまいて・この盾に邪気払う光を宿さしめよ”……聖典第一章十五節——聖光楯纏」」」
前衛を担う盾隊がどっしりと構えて祈りを捧げる。
麦色の粒子が人一人身を隠せるほどの大盾に集まり、曇天薄暗い岩石地帯に輝きを放つ。
「「「“光満ちる女神様よ・我が祈りを受けたまいて・穢れを断つ浄白の光をこの剣に集え”……聖典第三章七節——天ノ御剣!!」」」
同じく前衛、攻撃部隊が抜いた剣を顔の前に構えて祈る。
晴天の陽光のような白銀の光が剣に集まり閃々とした光輝で敵を威嚇する。
サソリ型魔物は身体を回して尻尾のような終体を横に払う。
盾隊数十人が並列してその攻撃を受け止める。
押しつぶされそうな衝撃を受け止め、大地を踏み込み動かんとする足は骨が軋む感覚を伝える。
盾に宿る光の力が、受け止めたサソリ型魔物の終体に僅かだがダメージを与える。
魔物や魔族にとって光の力は天敵そのもの。
触れるだけで焼けるような浄化作用が身体を蝕む。
怯んだ魔物を間髪容れず攻撃部隊が前へと乗り出す。
盾隊の隙間を抜けた前衛の攻撃部隊が、白銀の光を宿した剣で魔物を斬りつける。
硬い外皮が剣を弾くも、光の力が少しだけサソリ型魔物の体力を削る。
「後衛部隊攻撃準備!!」
指揮官の怒号に反応して、離れた場所に控える数十人は体勢を整える。
片膝をつき、灰黒色の天蓋のその奥を見据えるように空を仰ぐ。
「「「“天つ御光を司り給う女神様よ・我が祈りを叶えたまいて・邪を砕く聖光を悪しき魔に注ぎ給え”……聖典第五章十一節——禊ノ雨」」」
曇る空に星空のように点々と光が浮かぶ。
魔物と直接対峙していた前衛部隊が巻き込まれないように撤退する。
サソリ型の魔物は本能的に察してその身体を仰け反らせて空を見る。
前衛部隊が撤退すると同時、空に浮かぶ輝玉から、雨のように光の矢が降り注ぐ。
爆撃的な轟音が大気を揺らして、サソリ型の魔物が金切声のような鳴き声を上げる。
光の矢が地面を砕き、暴れまわるサソリ型魔物の影響で砂煙が舞い上がり風に乗って周りの視界を奪っていく。
今いる部隊で最大の攻撃手段。
手応えはあった、がまだ安心できない。
目に入り視界を奪う砂煙のその奥、動かなくなった魔物の姿を確認するまでは。
しかし、それは叶わなかった。
北から吹き抜ける風が砂煙を吹き流す。
奪われた視界を取り戻した聖騎士団が目の当たりにしたのは、瀕死どころか数か所の掠り傷程度のダメージしか与えられていない現実。
体力の消耗もかなわず、依然暴れる魔物の勢いはとどまることを知らない。
勝機が消え、絶望のみが脳裏を過ぎる。
「怯むな!! 魔物が動いている限り我々の成すことは変わらん! 女神様の信徒たる力を見せつけよ!!」
指揮官が鼓舞して下がった士気を取り戻そうとする。
しかし状況は絶望的、たとえやることは変わらずとも希望の光が見出せなければ闘志も奮わない。
なんとか戦意を繋ぎとめてはいるものの、どうしたものかと指揮官は目前の魔物を睨みつける。
「大隊長、ご報告です。聖女様率いる援軍がこちらに向かっているとのこと」
「それは実か!?」
報告を受けた指揮官は驚くのと同時に瞳の奥に闘志が宿る。
その報告を傍で聞いていた者は希望に目を輝かせ、その反応がさらに周りに伝わり伝染していく。
「皆の者! 聖女ルミナス様がこちらに向かっている! ここが踏ん張り時だ!」
指揮官の鼓舞に呼応して、周りの聖騎士達は雄叫びを上げる。
陣形を組みなおし、疲れた体を叩き起こし、震える足を前に出す。
自分より何百倍も大きい生物に、勇猛果敢に立ち向かう。
そんな戦場を遠くに見据える別動隊。
岩地の上、死線で戦う聖騎士達同様、群青の正装に純白金縁の装備、風に吹かれて揺れるマントは今戦っている聖騎士達と違い小奇麗だ。
「戦況は?」
「あまり芳しくありません。死者はまだ出ておりませんが怪我人も多く攻撃が通用していない状況です」
「見たところ上級魔物ですからね。聖騎士長の方々がいないと厳しいでしょう」
戦況を確認し、冷静に状況を分析する一人の少女。
武装している他と違い、少女が手にするのは錫杖のみ。
柔らかなセミロングの金髪は結い上げられることなく自然に揺れて肩から胸元へとかかって、澄んだ泉の底のように曇りを知らない翡翠の瞳が前髪の隙間から覗いている。
幼く小柄な背丈は周りを取り巻く聖騎士達の中で埋もれそうなものだが、華奢な体を包むひらひらとした装束は白百合の如き純白で彼女が汚れなき祝福で守られているような印象が存在感を際立たせる。
強く吹き抜ける北風に飛ばされてしまいそうな儚さを感じさせるが、暴れまわる魔物を見据える瞳は真っ直ぐで、透き通るような声には心強い芯がある。
聖女ルミナス。
女神の祝福を多大に受け、聖騎士団の最高戦力。
その慈愛の微笑みは万人を救い、彼女が立ち寄る都市には女神の加護が授けられるという。
「ここからは慎重に近づきます。聖女様もお気を付けて」
「いいえ、ここからで大丈夫です」
「えっ、かなり距離がありますが……」
魔物を相手取る聖騎士達が豆粒に感じるほどの距離で聖女は錫杖を構える。
戦況を報告した聖騎士は困惑するも、それが杞憂であることをすぐに思い知る。
聖女から感じる強い力、聖騎士達の光が夜空の星ならば、聖女の光は満月のような圧倒的存在感を放っている。
「“蒼穹を統べる主たる女神様よ・我が祈りを授けたまいて・魔窟封ずる聖耀の 連環を顕現させたまえ”……聖典第八章二節——聖枷縛浄」
静かに錫杖越しに祈る聖女。
祈りを捧げ、その小柄な体に眩い黄金色の光が集まっていく。
傍に居る聖騎士はまるで女神様が目の前に顕現なされたと錯覚してしまうほどの気配を聖女に重ねる。
かなり遠くで有象無象を蹴散らす大型の魔物、その足元に魔物の身体がすっぽり入る巨大な円環が浮かび上がる。
魔物の近くで戦っていた聖騎士達は一斉に退避し、円環の中には魔物一体を残すのみ。
魔物は本能的に危機を察知し、円環の外へ飛び出そうとしたが円環に沿って空へと伸びる光の壁がそれを阻む。
ハサミ型の触肢、尻尾のような終体、尾節の針、使えるものをすべて使いその光の壁を破ろうとするもかなわず、触れるたびに己が肉体を浄化の光で蝕まれ、足元から伸びた光の鎖がサソリ型魔物を拘束する。
魔物から上げられる、思わず耳を塞いでしまいそうになる金切り音のような断末魔。
縛る鎖はさっきまでまともに傷がつけられなかった硬質な外皮を砕いて抉り込み、浄化の力が毒のように魔物を細胞から破壊していく。
さっきまで必死に戦い、圧倒的な強さに打ちひしがれていた聖騎士達は力が抜けたように座り込み、あっけにとられて目の前の惨状をただ見守るしかなかった。
地形を容易に変えていた魔物の破壊的な動きが徐々に鈍くなり、硬質的な外皮が砕け落ちて、裂くような鳴き声は徐々に掠れて小さくなっていき、おそらく一分も経たない時間でサソリ型魔物は微動だにしなくなった。
さっきまで感じていた命の危機も、魔物から感じていた恐怖も、今は一切感じない。
あれほど荒々しかった魔物から生気を感じず、今度こそ倒せたことを確信する。
「やった……。聖女ルミナス様が魔物を討ち取ったり!!」
前線で指揮していた聖騎士が高々と声を上げる。
はるか遠く、されど目視できる距離にいる聖女に向かって拳を上げて快哉を叫ぶ。
勝利と歓喜の声が風に流れて聖女ルミナスのもとに届き、安堵と慈愛の微笑みを聖騎士達に向けた。
「さすが聖女様。聖典第八章の力をあれほど遠くで、かつ精密に……。敬服いたします」
「いえ、わたしは最後の仕上げをしたに過ぎません。賛辞と労いの言葉はここまで必死に戦ってくれた彼らに送ってあげてください」
「承知いたしました」
「それにしても魔王がいなくなったというのに、魔物被害は一向に減る様子はありませんね」
「むしろ最近は活発化しているようです。冒険者ギルドと連携して被害を抑えておりますが、戦力不足は聖騎士団、冒険者ギルド両方の課題です」
「最近は西側の魔物被害にかかりきりでしたから、そろそろ東側にも足を運ばないといけませんね。そういえば冒険者ギルドサンドリア支部から応援要請がありましたよね? たしか一級冒険者パーティーが行方不明になったとか」
聖女ルミナスに尋ねられ、傍の聖騎士は記憶を掘り起こす。
冒険者ギルドのサンドリア支部から一級冒険者パーティーが港湾都市テルダムへ向かうついでに横切る森で確認された魔物の影を調査したっきり帰って来なくなった事件だ。
「その件に関しては情報が不明瞭だったもので優先度を低めにしていたのですが、どうやら冒険者ギルドの方で解決したようです。なんでも上級の魔族が関わっていたようで偶然冒険者登録しに来た冒険者が一人で倒したのだとか」
「上級魔族をおひとりで……。素晴らしい人材ですね」
「余談ですがその冒険者、誰もが目を惹くような麗しい少女のようですよ。第五階梯のスキルを扱うのだとか」
「それはこちらも心強いばかりですね。機会があればお会いしてみたいです」
「冒険者ギルドと連携していくためにも、有望な冒険者と親交を深めるのは良いことかと。それに聞いた話によると年齢も聖女様と近しいようですよ」
「それはますます興味深いですね。わたしはあまり同年代の子とお話する機会が少ないのでお会い出来るときが待ち遠しいです」
「そうですね。かく言う私も実は興味がありまして。なんせサンドリアではすでに隠れファンがいるほどの美人だとか。艶やかで雪のように白い髪は穢れを知らず、そこから覗かせる瞳は雪解け水のように澄んだ青、その抜群のプロポーションは同性からは嫉妬を超えた羨望の眼差し、しかしながら男顔負けの膂力は邪な視線を一切受け付けない……と、報告を受けております」
「それは凄い形容……です……ね」
詩人の如き語りを見せる聖騎士に最初は微笑むルミナスだったが、その内容にとある人物が思い浮かんで徐々に小さくなる声と比例するように記憶の奥を辿る。
たった一度、わずか数分、それでも鮮烈な記憶。
目を奪われ、心惹かれた。
人の気配に疲れたルミナスが、誰にも見つからない場所を探して彷徨っていた時、その人と出会ってしまった。
人族最強と謳われた“鎧の勇者”。
鎧の大きさから察する筋骨隆々な肉体、寡黙でその素顔を見た者はいない。
いろいろな噂は飛び交うものの、ルミナス個人は武骨で厳つい顔を想像していた。
しかし仮面を脱いだ勇者、現れたのは月光に白く輝く月下美人のような印象の少女。
男顔負けの躯体だったはずなのに、今は凛々しくも女性らしい体格。
深く息を吐く少女の声は鼓膜に心地よく、相手を怯ませるこもったような太い声だったのが信じられない。
おそらくあの鎧は人々の認識を変える力があるようだ。
などと冷静に分析する思考力は、その時のルミナスには無かった。
その素顔の意外性、同性であるにもかかわらず目を惹かれる容姿。
なぜ素顔を隠しているか分からない中で話しかけていいものだろうかと悩む。
しかしながら、この人に近づきたい、この人と話してみたいという衝動が抑えられず、物陰から飛び出すルミナスの足は止まらなかった。
拒絶されるかもしれないと思ったが、意外にも鎧の勇者は飛び出したルミナスを慌てる様子なく、朗らかな笑顔で迎え入れた。
そこから二人の会話が途切れることなく時間は過ぎた。
会ったのはその時のみ。
お互いの立場的に会う機会も無く、堂々と会えるものでもない。
それでも忘れられない思いを綴っていた。
だからこそあの事件は衝撃だった。
魔王と鎧の勇者が戦いの末、行方不明となった。
世間では両方死亡したとされているが、ルミナスは信じられなかった。
あの鎧の勇者が、たとえ魔王を相手にしたとしても負けるはずがないと。
直接死亡を確認するまでは生きていると信じている。
それでも一年、聖騎士団や冒険者ギルド、情報屋などいろいろ伝手を辿ったが一切の手掛かりがなかった。
内心、本当に死んでしまったのではないかと思い始め、振り払うようにそんな考えを否定する日々。
魔族や魔物と戦っている時はそんな思いを忘れられて、ルミナスはより任務に没頭するようになっていった。
しかしそんな彼女の不安が、今の報告で希望の光へと変わる。
第五階梯スキル、白い髪と空色の瞳、老若男女問わず目を惹かれる容姿。
他人の空似? 誰かが鎧の勇者を装っている? ありえない、ありえるはずがない。
あんな傑物、そうそう現れるものじゃない。
あんな麗人、簡単に真似できるものじゃない。
間違いない、その人は鎧の勇者だ。
勇者様に違いない。
生きていた、生きていてくれた。
まだ会ったわけでもないのに、まだ可能性の域を出ていないのに。
あふれる喜びが抑えられない。
会いに行きたいという感情が止まらない。
だけど、今のルミナスは聖女。
聖女たるもの、私欲で動いてはならない。
「事情が変わりました。今抱えている仕事を終わらせてそのお方に会いに行きます」
「承知いたしました聖女様、しかしながら聖女様はここ最近根を詰めすぎている様子。明日はお休みして英気を養った方がよろしいかと」
「それもそうですね。少々気持ちが逸ってしまいました」
聖騎士に諭されて、ルミナスは冷静さを取り戻す。
生きていると分かった以上焦る必要もない。
聖女としての役目を果たし、堂々と勇者様に会いに行く。
心のしこりが取れて軽くなり、思わず表情が崩れるルミナス。
最近張り詰めているように感じていた聖女の肩の荷を下ろした表情に、聖騎士は安堵して余談を続ける。
「しかしまあその冒険者、なにやら恋人がいるのだとか。少女とはいえ乙女のようですね」
ハハハと冗談めかしく笑う聖騎士。
しかし対照的に聖女の表情は固まっていた。
「恋人……こいびと? 恋人というのはあれですか。付き合っているとか意中の人とか運命の人とか相思相愛の人とか一番の理解者とか――」
「聖女様?」
「特別な人とか思いを寄せる人とか伴侶とか結婚相手とか蜜月な関係とか交際しているとか――」
「ちょ、聖女様?」
「✕✕✕しているとか****な時間を過ごしているとか▢▢を△△する関係とか――――」
「聖女様!? ストップです聖女様!? そんな言葉どこで覚えてきたのですか!?」
暴走気味に捲し立てる聖女を鎮めようと近づいた聖騎士の両肩を掴んで、聖女は錫杖が地面に倒れたのも気にせず詰め寄る。
「――そういう関係ということでしょうか!」
「……えぇ、人それぞれではありますが一般的にはそういう関係ということで間違いないかと」
「再び事情が変わりました。今すぐサンドリアに向かいます」
「聖女様!? さすがに明日一日でサンドリアに到着するのは難しいかと」
「教皇様にお伝えください。聖女ルミナス、しばし休暇を頂きますと」
「いやそれは流石に……。聖女様? 聖女様ぁ!?」
聖女の身の変わりように困惑しながらも、さすがに看過できないと説得を試みる聖騎士。
しかしながら覚悟を決めた聖女の意思は固く、一聖騎士ごときが止められるはずもなかった――――。
お読みいただきありがとうございました!
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