光の聖女が来訪です。⑬
シャディルデアの中に何かが抜け落ちるような感覚。
自分が認めた相手が、自分の宿敵が、あろうことか人類と同じ在り方に成り下がろうとしている。
魔族を上位存在と考えるシャディルデアにとってマオの在り方は冒涜そのもの。
要するに失望したのだ。
シャディルデアの冷たい視線が瀕死のマオを見据える。
【影霊顕現】で生み出された黒い影がマオに近づきその首を切り捨てようと剣を構える。
もはやマオはシャディルデア自身が手を下すに値しない。
処刑人のように近づく影。
だがマオは一切の迎撃をせず、簡単に接近を許す。
それはすでに反撃の余力を失っていることに他ならない。
最期の挨拶は無く、同情や哀れみの感情を向けることもない。
シャディルデアは興味を失くしたマオの死など気にしないかの如く、サンドリアへと足を踏み出したその時だった。
「――――聖典第九章一節、放射聖閃」
一条の白光がマオに近づく影を射抜いた。
腹を抉るような穴が開いた影の兵士はそのまま静かに消えていく。
「ほう、思ったよりも早かったな。貴様には聞きたいことがあったのだ」
シャディルデアの興味は影を射抜いた主に向く。
白金の鎧を身に纏った兵士数体を引き連れた金髪の少女。
穢れを感じさせない雰囲気は、魔族の瘴気が濃くなっているこの場所では異様に感じられる。
「マオさん無事ですか?」
駆け付けた聖女――ルミナスの姿にマオは安堵に表情を緩ませた。
魔族が聖女に助けられるという未だかつてない状況。
だがシャディルデアの興味はそんなものどうでも良くなっていた。
「南は我が影が足を踏み入れない環境へと変化した。聖女よ、原典とは何だ? 聖典よりも一線を画する力。貴様まさか女神そのものか?」
シャディルデアは自分の分身を送り込むことで戦況を把握している。
ルミナスの守っていた南側は、彼女の力によって瘴気が完全にかき消され影を維持できる環境ではなくなっていた。
光で視界を埋め尽くされて以降それっきり、シャディルデアは疑問を抱いたまま終わったのだが、ルミナスと対峙して聞かずにはいられなかった。
シャディルデアの質問にルミナスは敵意の眼差しを以て返す。
「あなたに教える義理はありません」
「ならば自分から話したくなるようにしてやろう」
シャディルデアの魔力が上がり、威圧感が増していく。
ルミナスは未だ動けないマオのもとへと駆け寄り、その杖を構えて臨戦態勢を取る。
「聖女、ハッキリ言って今の私は戦力にならん。一人で相手出来るか?」
「情けないですね……と、言いたいところですが、正直わたしもかなり消耗してます。討ち取れるかどうかは自信が無いですね。そもそも目の前のシャディルデアさんを倒せばすべて終わるのでしょうか? 影を使う魔法のせいか、目の前のシャディルデアさんも虚像にしか思えなくて」
「それは問題ない。魔族は魔物と同様に核と呼ばれる心臓みたいなものがある。それさえ壊せば上級魔族と言えど大体死ぬ」
「その大体っていう逃げ言葉が気になりますがとりあえず分かりました」
話が終わり、ルミナスとルミナスが召喚した守護者達はマオを庇うように前に立ち塞がる。
その様子にシャディルデアは影の剣を軽く振り、威を込めた目でルミナスを射抜いた。
「果たして貴様に我を討ち取れるかな? 【影読】無しの分身とは違い、我本体は強いぞ?」
シャディルデアの自信、それは虚勢ではない事実。
ルミナスは戦う姿勢を取りながらも、内心は焦燥感に支配されていた。
ただでさえ大きな力を使い消耗している中、おそらく素の戦闘力はシャディルデアの方が上。
それにマオが動けない以上、この場所で大々的な技を使えば巻き込んでしまう。
どうすれば……、と思考の沼にハマろうとしたその時だった。
「落ち着け聖女。戦局を見極めろ。戦っているのはここだけではないし、お前だけじゃない。一人で抱えようとするな」
――一人で抱え込んじゃダメ。
ユウと出会った時、責任感で押しつぶされそうになっていたルミナスにかけてくれた言葉を思い出した。
今その言葉を発したのはマオだが、それでもルミナスにとっては勇気をくれる言葉に違いない。
「マオさん、ありがとうございます。…………西は任せましたよ」
「あぁ。誰一人殺させないさ」
ルミナスは頭の中で念じる。
シャディルデアは身構えるも、今この場に変わった様子はない。
もしやと思い西側の分身に視界を共有し、ルミナスの行動の意図をすぐさま察知する。
「なるほど。だが間に合うかな?」
シャディルデアは自ら距離を詰める。
ルミナスを守ろうと立ちはだかる守護者達をいとも簡単に切り捨て、ルミナスとマオに近づき命を狙う。
だがそれよりも先にルミナスが祈りを紡いだ。
「 “いと優しき女神様よ・我が祈りを応じたまいて・邪気払う光の加護を顕したまえ”……聖典第一章一節――聖光壁」
シャディルデアとルミナス達を光の壁が隔てる。
一瞬身じろぐも、シャディルデアはその挑戦受けて立つと言わんばかりに光の壁を斬りつける。
影の剣と光の壁が衝突する度、雷鳴のような音が木霊する。
シャディルデアが打ち込む度、ルミナスの表情が苦しく歪む。
一撃一撃で体力が削り取られる感覚に、ルミナスの踏ん張りは徐々に弱くなる。
だが反撃には転じず、ルミナスはひたすら防御に徹する。
「はあぁああああああッッ!!」
ルミナスは振り絞るように声を荒げて疲労に屈しようとする体に活を入れる。
強さの比較ではなく時間との勝負。
それがこの場の共通認識になっていた。
時間の経過につれシャディルデアの攻撃は勢いを増し、それと比例して荒くなる。
それは焦りの表れだった。
ルミナスはただひたすらに耐えて、堪えて、踏ん張る。
あと少しだけ、もう少しだけ。
掌に食い込むほど杖を強く握り、全身の筋肉を強張らせて、歯を食いしばり、擦り切れた神経を無理に繋いで意識を保つ。
その健闘にマオは満足そうに目を細める。
「良くやったルミナス。私達の勝ちだ」
ガラスが割れるような鋭い音が響いて一秒にも満たない刹那、シャディルデアを白銀の一閃が縦に通る。
地面がクッキーのようにひび割れて、一番衝撃があった場所は粉々になり陥没している。
左肩から右脇腹にかけて切り裂かれたシャディルデアは数歩よろめく。
生物なら盛大に血が噴き出しているところを、シャディルデアの斬り口は黒い靄がかかり赤黒い流動体は見て取れない。
その傷を優しく撫でて、シャディルデアは目の前の強敵に気を引き締める。
澄んだ青い瞳は敵意を以てシャディルデアを睨みつけ、白く輝く毛先は紺色のシャツの襟元で荒く揺れる。
白銀の鎧が醸し出す圧力と、ショートパンツとハイソックスの間に垣間見える白磁の肌が見せる魅惑。
その強さには戦士として惹かれるものがあるも、シャディルデアの状況的にはそうも言っていられない。
「お待たせ」
「お姉様!!」
ユウの姿を見て安心したのか、ルミナスは喜びながらも体の力が抜けて座り込む。
「まだ援軍が到着して一分も経っていないはずだが……。さすがの速さだな、強き人族よ」
シャディルデアは薄墨色の植物の隙間から、強引に突破されてぽっかりと空いた結界の穴を見て息を呑む。
「全速力で来たからね」
簡単に言ってしまうユウにさすがのシャディルデアも驚きを越えて呆れるしか出来ない。
ルミナスは西側に向かわせていた守護者達を北側へと派遣した。
西側はマオがサポートする冒険者達で守りを固め、南側はルミナスにより進軍不可の状態。
北の守りさえ担保できればユウは心置きなく東側に駆け付けられる。
ユウが来たことにより戦局は一気に逆転した。
それはシャディルデアも十分に理解しており、次の手に頭を悩ませる。
ユウの実力は分身伝手に把握している。
その強さは【影読】を空回りさせるほどで、シャディルデア本体で相手をしてもその力関係は変わらない。
「実影魔法――【影霊調和】」
途端、シャディルデアの魔力が跳ね上がる。
背筋が凍るような視線を放ち、漏れ出す魔力が空気を穢し瘴気へと変えていく。
「ユウ、西側の影が消えた。おそらく放っていた影を奴自身の力に還元している」
「そういうことね」
「手加減はしない。少々勿体ないがすべての影を我が力として取り込む。元々そこのマオを殺すために集めた数。貴様ら全員屠ればとりあえずの目的は達する。失った影はまた年月をかけて影を集めれば良い話だ」
兵力的に残っていた影は五万を超える。
その影がシャディルデアに取り込まれ、力となってシャディルデアの一部と化す。
今この瞬間、シャディルデアは上級魔族や六冥尊という枠組みから大きく外れた。
「マズいわね……」
ユウが無意識的に吐いた言葉はルミナスを不安にさせる。
絶対的な信頼と安心感があったユウの背中が、シャディルデアの存在感を前に小さく映る。
「珍しく弱気だな。あれくらいユウなら問題ないだろう?」
「そりゃアタシだけの話ならね。でもマオ達を守るには装備が心許ないわ」
「装備の話か……。ちょっとその杖借りるぞ」
「えっ、あ、ちょっと?」
マオは戸惑うルミナスから半ば強引に錫杖を奪い取る。
長い年月をかけて光の力が沁み込んだ錫杖はマオが手に取るだけで掌に焼けるような激痛が走る。
だが聖女が扱う錫杖、素材としてはこれ以上ない上物。
西側の影が消えてサポートに使っていた魔力の余りを杖に注ぐ。
「再現魔法錬金術式――【再構築】」
光の力で保護していたとはいえ影の剣を防ぎ切った硬度を誇る杖が、粘土のように柔らかくなりマオの意思に従って形を変える。
「ちょっ!! わたしの杖が!? 杖がぁ!?」
驚き、焦り、喪失感、いろいろな感情が複雑に混ざりルミナスは涙目になりながら声を荒げる。
そんなルミナスを意にも介せずマオは魔法を使い続けた。
ルミナスの金色の錫杖はやがて剣を形作り、さっきまでの柔らかな質感が嘘のように今度は硬く形を留める。
「ほらユウ、これ以上ない武器だ」
まるで自分の物のように金色の剣をユウに手渡すマオ。
両手両膝を地面について落ち込むルミナスには申し訳ないと思いつつも、ユウはその剣を受け取った。
「後でルミナスにちゃんと謝りなさいよ」
「戦いが終わったら元に戻して返すさ」
マオから受け取った剣はユウの手に馴染むように作られて、今まで戦場を共にした相棒のようにしっくりくる。
そしてユウがその剣で構えに入った瞬間、それはユウの聖宝具へと進化する。
浄化された杖が素材でもともと聖宝具に近い存在だからか金色の様相はそのままに、それでも確かに聖宝具としての異様な力は感じ取れる。
「さぁ行くわよ!」
「いざ参る!」
ユウとシャディルデアが剣を重ねる。
北側での一閃とは比べものにならない剣戟の応酬。
剣を振り、受け止め、反撃し、身を躱す。
膂力、速さ、勘、経験、そのすべてが拮抗し、薄墨色の植物や元々あった木々が戦いの余波で薙ぎ倒されていく。
人類最強と謳われたユウと互角に渡り合うシャディルデアを恐ろしく思うべきか、今この瞬間魔族最強を名乗ってもいいほどの力を得たシャディルデアと拮抗するユウを褒め称えるべきか。
どちらにせよ言えることはこの二人の戦いに横入り出来る存在は世界広しと言えどいないだろう。
「あのお姉様と互角なんて……」
「心配か?」
見守るしか出来ないルミナスにマオは問いかける。
ルミナスのユウに対する信頼は揺るぎない。
だがそれでも心配しない理由にはならない。
「安心しろ。あんな奴にユウは負けん」
マオはユウの勝利に疑いない目をしていた。
何も知らない者なら心配しない薄情者と受け取られかねないが、ルミナスはそこはかとない敗北感を感じていた。
マオがユウに向ける信頼は、今この状況すら杞憂だと確信できるほどに大きいという事実。
そしてマオの言葉でようやくユウへの心配が薄れていったという事実。
ユウに向ける信頼の大きさはマオの方が遥かに大きく、強い。
それを正面から見せつけられて、ルミナスは複雑な表情でユウを見守る。
一進一退の攻防、命を懸けたシーソーゲーム、徐々にその拮抗は崩れていく。
【影霊調和】は影を取り込み己が力と変えるが、その力を維持するには影を消費し続ける。
つまり強さの絶対量を上げるわけではなく、あくまで一時的な強さの増強。
時間が経つにつれて力は元に戻って行く。
本当ならそれと同じ、いやそれ以上に相手の方が消耗するはず。
だがそれは事ユウに限っては例外だった。
ユウと戦ったマオだからこそ、この結果は十分に予想出来た。
「あのユウは私と永久に戦える女だ。ユウと渡り合うには審判の日まで戦い続ける手段を用意しないと話にならない」
シャディルデアの甲冑の奥、そこには徐々に押されて焦る表情が刻まれているのだろう。
ただでさえ北側では完全敗北したシャディルデア。
二度目の敗北、それもすべての力をぶつけた故の敗北がもたらすのはこれ以上ない清々しさか、はたまた無念に胸中を支配される悔しさか。
「最強の人族よ。貴様を我が宿敵として認めよう!」
嬉々として宣言するシャディルデア。
マオという宿敵を失い、目標や目的を見失ったシャディルデアの新たな宿敵。
シャディルデアの喪失感を埋めたユウの存在は十分なものだった。
だが、対してユウの反応はとても冷ややかなものだった。
「そう? じゃあ死になさい」
隙と呼ぶにはほんのわずかで気付きにくい、ユウにしか狙えない隙を突いて一閃。
黄金に輝く剣が最初に与えた傷をなぞるように、右脇腹から左肩を斬り上げる。
今度は鎧の表面だけでなく、確かに身体を両断した。
お読みいただきありがとうございました!
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