光の聖女が来訪です。⑨
その男が状況を理解するのに時間を要した。
公的な場所に出ても問題ない身なりでは隠しきれない鍛えられた肉体の肩幅。
日々の苦労か傷んだ茶色い髪はオールバックでまとめ上げ、その彫りの深い顔面は死線をくぐり抜けた証拠。
忙しいのかだらしないのか質の固そうな顎髭が無精に伸びている。
眼帯で隠れた左目の分、くすんだ黄土色の右眼が状況を見渡す。
「どうなってやがる……」
脳の処理が追い付かず、思わず枯れた声が漏れる冒険者ギルドサンドリア支部支部長のベルク。
ギルドで書類の山に囲まれていたはずが、強い力を感じた途端気が付けば目の前に平原が広がる。
振り向けば虹色の輝きに包まれたサンドリアの城壁、周りには冒険者達に加えて普段サンドリアの警備や治安維持を担う私兵も同様に困惑して立ち尽くしている。
「ったく、一体何が起こってやがる」
何が起こっているのか理解が出来ていないが、これだけのことを成すには魔法――つまりは魔族が絡んでいるということは察することは出来る。
ならば今置かれている立場はどういうものか?
この場にいるのは冒険者とサンドリアの私兵、つまりは戦うことのできるメンツ。
人だけでなくご丁寧に武器類も一緒にサンドリアの外に飛ばされている。
それはつまり今サンドリア内部は完全に手薄の状態と言うこと。
この状況を作り出しているのが魔族なら非常にマズい。
「全員、今すぐサンドリアに戻れ!」
ベルクはこの場にいる全員に叫ぶ。
しかし誰もがすぐには動かない。
この非常時、迅速な行動が出来ないのは冒険者失格だと内心苛立ちつつも、全員が注視する方向に目をやると誰もが動かない理由に納得がいく。
「何だありゃよ……」
続々と草原から現れる黒い存在。
形は人型や獣型など様々で、そのどれもが輪郭に黒いもやがかかり目だけが赤く光る。
数十、数百、数千とその数は増えていき、その中央に陣取るのは離れた距離でも視界を埋め尽くす巨大な影。
地面を抉る鋭い爪、太い四足で大地を踏みしめ重く響く喉の音がこの場の全員を不安に陥らせる。
形だけ見れば犬のよう、だがその規格外のサイズと威圧感は圧倒的。
「もしかして報告に上がっていた大型魔物の影っつうのは……」
目の前の軍勢が味方でないことはベルクでなくても理解できる。
状況が理解できないまま、それでも自分のやるべきことを理解した者は各々武器を手に取り構えに入る。
ベルクもまた戦闘に備えるために勇者細胞を奮い立たせる。
細胞がベルクの闘志に呼応して、硬く大きい拳を重厚感ある手甲が包み込む。
手首まで覆われたそれはベルクが現役だった頃共に死線を潜った相棒。
「聖拳ナックル。まさかまた使う機会があるとはな」
両の拳を勢いよく合わせると、震えた空気が全員の畏縮した心を緩和させる。
ベルクのその姿を見た者は今となっては少ないが、噂はしっかり語り継がれている。
「あれが支部長の聖宝具……元特級冒険者、“拳王”の名の由来」
そう語るのは二級冒険者のルピス。
灰白色の毛質の良い髪と切れ長な眼、スタイリッシュな躯体に見合った槍捌きから“槍天”の肩書を持つギルドイケメンランキング上位の男。
武装は肩当てと籠手のみで、他は空気抵抗を減らすためか革製の服はシュっとしたシルエットをしている。
「何気に俺様も初めて見るぜ……」
そのルピスに傍で屈んだ状態で見るのは二級冒険者のゲーゲル。
ルピスと並ぶとより顕著になる筋肉隆々の巨躯。
スキンヘッドと身体や顔に刻まれた古傷は明らかに悪人顔。
無精髭と少し香る酒臭さは中年男性のイメージを悪化させるには十分だが、これでも二級冒険者として“戦斧”の名を持つ確かな実力者だ。
真剣な眼差しでベルクを見るその顔つきは様になっているが、屈んで臀部が露出されている現状は間抜けそのものだ。
「ゲーゲル、なんで尻丸出しなんだ」
「仕方ねえだろ!? ウンコしてたら突然ここに飛ばされたんだからよ。俺様まだケツ拭いてねぇんだよ!」
そんなゲーゲルを状況は待ってはくれない。
影の軍勢は真っ直ぐにサンドリアに向かって侵攻する。
個々の力量差は圧倒的、数の戦力の差は絶望的。
それでもやるしかないと腹を括る冒険者と私兵達。
「いくぞお前ら!」
ベルクが先陣切って影に突攻する。
それに続いて冒険者もサンドリアの私兵も己を鼓舞して果敢に挑む。
比較的後方に居たルピスもまた槍を構える。
「僕達も行くよゲーゲル」
「ちょ待っ、俺様まだケツ拭いてねぇんだって!!」
ルピスが影の軍勢とやり合う頃には状況が乱戦状態に陥っていた。
一刻も早く参加しなければとゲーゲルは焦るも、紙が手元にない今は何もできない。
とはいえ味方は命を張っているのでゲーゲルの事情など知る由もなく、
「おいゲーゲル何やってやがる!! お前も戦え!」
「だからまだケツ拭いてねぇんだよ!!」
敵は無防備なゲーゲルを見逃すわけがなく、黒い兵士が三体、屈んでいるゲーゲルの首を取ろうと襲い掛かる。
「だからまだケツ拭いてねぇんだってェェ!!」
ゲーゲルの嘆きが木霊する。
全身の力を踏ん張って臨戦態勢に入るゲーゲルに襲い掛かる黒い兵士は突如として動きを止める。
地面から伸びる薄墨色の植物が黒い兵士の身体を絡め取り動きを完全に封殺する。
「なんだこりゃ……」
守られたのはゲーゲルだけではない。
この戦場のあちこちで影の存在を縛り上げている。
ツルのように細いものから、大木のように太い根が黒い存在を縛り、貫き、薙ぎ払う。
それは明らかに人類側に味方する動きをしていた。
「ほんとに何がどうなってやがるんだ……」
困惑するゲーゲルの側に植物は大き目の葉を数枚落とす。
それは偶然落ちたというより、意図して落とされたようだった。
「これで拭けってことか……」
ゲーゲルが尋ねると植物は頷くように上下に揺れる。
得体の知れない植物を使うのは警戒するが、それでも敵意というものは感じられずゲーゲルは腹を括って葉っぱを手に取る。
ごそごそとしばらくしてようやくゲーゲルは戦線に参加した。
「オルァアア!!!!」
今まで参加出来ていなかった分、気合を入れてゲーゲルは戦斧を振るう。
ゲーゲルの扱う戦斧はただの斧ではない。
聖宝具を模して魔物を素材に作られた魔骸具は、聖宝具ほどとは言えずとも通常の武器より高い能力を発揮する。
ゲーゲルの魔骸具、その真価は圧倒的破壊力にあった。
戦斧の横なぎは黒い兵士の胴体を断絶させる。
優れた肉体を活かして力任せに振り回しているとも言えるが、それでもその破壊力からか黒い存在がいともたやすく薙ぎ倒されていく。
普段の素行の悪さが影響して二級冒険者の地位についているが、実力は一級クラスといわれている。
ゲーゲルの活躍を目の端に捉えたベルクは一級冒険者の昇格を考える。
だがそれもこの場を無事に切り抜けてこその話だ。
「うおぉおおお!!」
ベルクの拳、その一振りは数十の敵を衝撃で薙ぎ払う。
直撃した敵は木端微塵に砕け散り、近くにいた敵は衝撃に吹き飛ばされて、遠くにいる敵は大地の崩れに足を取られる。
戦況としては何とか拮抗を維持しているが理想的とは言い難い。
有象無象は冒険者と私兵で相手取り、手強い相手はベルク、ゲーゲル、ルピスと謎の植物が相手する。
だがこれは不確定要素によって結果的に支えられているだけで、何かがきっかけで状況が悪化すれば立て直すことが難しい。
それにあの大型魔物の影。
今は謎の植物に翻弄されているが、おそらくは時間の問題。
あれがまともに参戦すれば戦況は大きく傾く。
ベルクの長く険しい冒険者人生において、命の危険を感じたことなど数えきれないほどある。
だが今この状況はそのどれよりもプレッシャーがかかっている。
敗北は自分の命だけでなくサンドリア、延いては世界中が戦場になりかねない。
世界の命運を握ってしまったという圧力がベルクの背中に大きな負担をかけていく。
「支部長!」
影の軍勢を蹴散らすベルクの耳に届くほど戦場に響く女性の声。
入り乱れる戦場を縫うように駆け抜けるその女は普段冒険者としてはパーティーで斥候を担う二級冒険者オレン。
橙色の髪は短く、鍛え抜かれた足が短パンから伸びる。
革の胴当てや籠手は身に付けているものの金属製の防具は一切なく、腰に短剣を携えたスピード重視の軽装備。
ユウが来るまではサンドリア最速と謳われた彼女は斥候としての能力が高く、彼女を筆頭に数名の斥候部隊が戦いが始まってすぐにベルクから二つの指示を受けた。
一つはサンドリア内の安全確認。
もう一つはユウを連れてくることだ。
冒険者やサンドリアの私兵が街の外に移された現状、サンドリア内には戦える人材が不在になっている。
この現状が魔族の仕業ならサンドリア内が手薄な状態だ。
もし魔族がサンドリア内に現れたのであれば、劣勢は承知でも戦力を戻さねばならない。
そしてこの状況を打破するにはユウの加勢が絶対条件。
北方区域の魔物が消滅して一年、元々比較的瘴気の薄かったサンドリアには魔物の脅威が少なくなった。
それ自体は良いことだが、腕っぷし自慢の冒険者にとっては仕事が少なくなり、実力のある冒険者は瘴気が濃く魔物や魔族の被害が続く西側へと拠点を移してしまった。
唯一の一級冒険者パーティーは石化の魔法を扱う魔族によって殺され、サンドリア支部には二級以下の冒険者しか残っていない。
そんな中、一級冒険者として加入したユウは今やサンドリアの最高戦力。
この戦場でユウがいるかいないかで戦況が変わると言っても過言ではない。
「戻ったかオレン」
「報告します。今のところサンドリアに魔族、魔物の確認は取れませんでした。街全体を確認出来てはいませんが、そういった騒ぎもないそうです。サンドリアを囲うあの結界のようなものに多少混乱している様子でしたがパニックには陥っていません。第二層の壁から外に出ないよう手配してもらってます」
「とりあえずはこの連中に集中すれば良さそうだな。でユウはどうした?」
「それが……ここと同じようにサンドリアの北側、東側、南側にも黒い軍勢が侵攻しており、ユウさんは北側で対応しています。おそらくこちらへの応援は厳しいかと」
「っくそ。なら東と南はどうなってる? この場を見るにそこに戦力が回っているようには見えねえぞ?」
「南側は聖女ルミナスの存在を確認しました」
「聖女がなんでサンドリアに? 今聖騎士団は西の魔族被害にかかりっきりだろ?」
「聖女様がこの場にいる理由までは何とも。東については……何も分かりませんでした」
「はぁ?」
オレンの情けない報告にベルクは首をかしげる。
二級とはいえオレンの実力は評価している。
今上がった報告結果でもこの短時間でよく調べてくれたと感心しているくらいだ。
だが何も分からないという報告だけは意味が分からない。
詳細は分からずとも視認した情報でも報告を上げることが出来るからだ。
「東側はサンドリアと同じように結界のようなもので外部からの侵入を阻んでおり、外からの視認も叶わなかったそうです。ですが現状東から攻め込まれているわけではないようですので、引き続き調査と警戒で人員を回しています」
「……怪しいとすれば東側だが、そっちに回る余裕もない。とりあえず俺達のやるべきことはこの場を守り切るということだな。オレン達斥候隊は引き続き状況確認と北のユウ、南の聖女との通信網を担ってくれ」
「はい!」
ベルクの指示を受けてオレンはすぐに行動に移す。
踵を返し、すぐに他の斥候役と合流しようとサンドリアへ向かう。
だが振り返ったその刹那、視界に映ったのはサンドリアの街ではなく影の存在。
周りで暴れているのとは違う存在感。
漆黒の靄で輪郭がぼけているにもかかわらず視界に飛び込む圧倒的存在感。
百九十を超えるベルクを上回る躯体は見た者を容易に萎縮させ、漆黒の鎧は芸術的だが禍々しい価値を感じる。
全身が黒に包まれた存在の眼は赤く光り、鋭くオレンを射抜いた。
振り上げられた右手には剣のような影が伸び、目の前の存在の次の行動を悟る。
しかしもう脊髄反射ですら躱すことは叶わず、受け止めることなど不可能。
論理的な思考に至れたわけではないが、本能的にその現実をオレンは突きつけられる。
振り下ろされた右手。
恐怖で身体が竦むより前、叫び声を上げる余裕もなし。
死を悟り、時が過ぎるのを待つことしか出来ないオレン。
「ウォオオアラア!!」
刹那、黒い存在の振り下ろされた右手が弾かれるように再び空へ。
衝撃にオレンは吹き飛ばされ、黒い存在も数歩よろめき後退った――――。
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