Episode 8-1 「観測者」
前書き
ここまで『神になるには、遅すぎた』を読んでいただき、ありがとうございます。
第八章のテーマは――**「観測」**です。
建国、戦争、思想、自由、愛、信仰、死。
ハザムは多くの答えを得てきました。
そして今回は、今まで誰よりも近くで、誰よりも遠くから彼を見続けてきた男の物語になります。
ゆっくりと、お付き合いいただければ幸いです。
帝都。
王立図書館。
開館の鐘が鳴る。
司書達が慌ただしく動き始める。
返却された本。
新しく届いた本。
朝から忙しい。
その中で。
一人だけ。
毎日同じ席に座る男がいた。
窓際。
陽の当たる席。
分厚い本を膝に乗せ。
静かにページをめくっている。
「……またいる」
司書の少女が肩を落とした。
栗色の髪。
まだ二十歳ほど。
新人司書。
ミオ。
彼女は男の前まで歩く。
「ナギさん」
返事はない。
「ナギさん」
ゆっくり視線だけが上がる。
「おはよう」
「おはようございますじゃありません」
「?」
「働いてください」
ナギは首を傾げる。
「働いてる」
「本を読んでるだけです」
「違う」
ページを一枚めくる。
「これは仕事だ」
「何の仕事ですか」
少し考えて。
ナギは答えた。
「観測」
「また意味分からないこと言ってる……」
周囲の司書達が笑う。
毎日の光景だった。
ナギは毎日来る。
朝から夕方まで。
本を読む。
帰る。
誰も彼の仕事を知らない。
誰も彼の素性を知らない。
知っているのは。
名前だけ。
「ナギ」
それだけだった。
ミオは机に肘をつく。
「そんなに本って面白いですか?」
「面白い」
「何がです?」
ナギは静かに本を閉じる。
「人間」
「……変わってますね」
「そうか?」
「はい」
「俺は普通だと思うが」
「絶対違います」
また笑いが起きる。
平和だった。
窓の外から歓声が聞こえる。
「エリス様だ!」
「医療卿様ー!」
子供達の声。
馬車がゆっくり通る。
白衣を羽織った女性が窓から手を振っていた。
医療卿。
エリス。
帝国中の誰からも愛される女性。
ミオも笑顔になる。
「今日も人気ですね」
ナギも窓を見る。
ほんの少しだけ。
その視線は。
エリスを見ていなかった。
もっと先。
もっと遠く。
何百年もの時間を見ていた。
レオン。
シエル。
ノリア。
ユリウス。
アベル。
皆。
先に旅立った。
マリアは。
まだ生きている。
辺境で。
今日も誰かを叱り。
誰かを助け。
相変わらず忙しくしているだろう。
ガロウは。
……知らん。
多分。
まだ生きてる。
酒場で煙草でも吸ってる気がする。
思わず笑う。
ミオが首を傾げた。
「何か面白いことありました?」
「いや」
「笑ってましたよ?」
「昔を思い出しただけだ」
「昔って?」
「随分昔だ」
「十年前くらい?」
ナギは少し考える。
「三百年くらい前」
ミオは吹き出した。
「またまた」
「本当だぞ」
「はいはい」
信じる者はいない。
当然だった。
その時。
図書館の時計が鳴る。
正午。
ナギは本を閉じた。
立ち上がる。
「帰るんですか?」
「違う」
「じゃあ?」
「友達に会いに行く」
「その友達って……」
「王城にいる」
ミオは目を丸くする。
「えっ……灰神皇様?」
ナギは肩をすくめた。
「昔からの腐れ縁だ」
「そんな嘘ついても駄目です」
「嘘じゃない」
ミオは笑う。
周囲も笑う。
誰も信じない。
ナギも否定しない。
図書館を出る。
帝都の空。
青い。
どこまでも青い。
ナギは空を見上げる。
静かに。
誰にも聞こえない声で呟いた。
「……来たな」
風が吹く。
白い雲が流れる。
世界の外側。
誰かが。
自分を見ている。
その視線を。
ナギは何百年も前から知っていた。
「遅ぇよ」
小さく笑う。
恐れは無い。
焦りも無い。
ただ。
少しだけ面倒そうに息を吐く。
「もう少しだけ待て」
「まだ、あいつを見届けてない」
王城を見上げる。
最上階。
友人がいる。
灰神皇。
ハザム・ヴェル。
ナギはポケットへ手を突っ込む。
そして。
いつものように歩き始めた。
その背中を。
世界そのものが。
静かに見つめていた。
後書き
第八章が始まりました。
これまでナギは、どこか掴みどころのない旅人として描いてきましたが、この章では彼自身にスポットが当たります。
なぜ彼は何百年もの間、ハザムの隣にいたのか。
何を見て、何を考え、そして何を選ぶのか。
今まで何気なく交わしてきた会話にも、少しずつ意味が生まれていきます。
この章は派手な戦いよりも、「世界を見届ける者」の視点を大切に描いていく予定です。
最後まで見届けていただけると嬉しいです。




