Episode 3-8 「ホント遅い」
ここまで読んでいただきありがとうございました。
少しずつですが、主人公自身も“人間”から変わり始めています。
この作品は、戦いや能力だけではなく、
「世界を作る側になった時、人は何を失うのか」
を描いていけたらと思っています。
よければ感想などいただけると励みになります。
次回もよろしくお願いします。
十年後。
灰神圏は、さらに巨大になっていた。
属国は増え。
交易は世界を覆い。
教育制度は全土へ浸透した。
争いは減った。
飢えも減った。
人々は口を揃える。
「灰神圏は豊かだ」と。
そして。
その礎を築いた女がいた。
女官シエル。
教育制度の母。
法整備の完成者。
灰神帝国の頭脳。
だが今。
その身体は、病に蝕まれていた。
――王城医療区画。
白い部屋。
窓から差し込む夕陽。
ベッドへ横たわるシエルは、もう痩せ細っていた。
長い黒髪も短くなり。
呼吸も浅い。
医官たちは皆、沈痛な顔をしている。
「末期です」
「全身転移も確認されています」
「通常治療では……」
その言葉を遮るように。
静かな声が響く。
「治せる」
部屋が静まり返る。
灰神皇ハザム・ヴェル。
百年以上変わらぬ姿。
若いままの顔。
感情の薄い瞳。
ハザムは、ベッド横へ立つ。
「俺なら治せる」
医官たちは目を伏せる。
当然だった。
神なのだから。
だが。
シエルは小さく笑った。
「でしょうね」
その声は弱い。
でも。
昔と変わらない皮肉っぽさが残っていた。
ハザムが言う。
「何故拒む」
シエルは少しだけ窓を見る。
夕焼け。
遠くの王都。
今日も人々は生きている。
笑って。
恋をして。
老いて。
死ぬ。
「……あなた、本当に分からないんですね」
ハザムは黙る。
シエルは小さく息を吐く。
「終わるから、人なんですよ」
その言葉に。
ハザムの目が、わずかに揺れる。
昔。
同じことを言った男がいた。
セイジ。
そして。
もっと昔。
もっと遠い誰かも。
シエルは続ける。
「私は、人として死にたい」
「ちゃんと老いて」
「ちゃんと終わりたい」
静寂。
ハザムは何も言えない。
治せる。
救える。
でも。
それはシエルが望むものではない。
シエルが少し笑う。
「それに」
「もう子供も産めない身体ですし」
ハザムが目を細める。
シエルは淡々と言った。
「国家に人生使いすぎました」
「失敗でしたね」
軽く言ったつもりだった。
だが。
その言葉が。
妙に重かった。
ハザムは静かに座る。
ベッドの横。
長い沈黙。
シエルが小さく呟く。
「……ねえ」
「あなた、まだ怖いんですか」
ハザムは答えない。
だが。
沈黙が答えだった。
失うこと。
終わること。
一人になること。
神になっても。
それだけは怖かった。
シエルは目を閉じる。
「ホント不器用」
少しだけ笑う。
その笑顔が。
ユリアとも。
クメルとも違うのに。
なぜか全部を思い出させた。
そして。
ハザムは。
初めて。
本当に初めて。
小さく呟いた。
「……ごめん」
その声は。
神の声ではなかった。
ただの。
遅すぎた男の声だった。
シエルがゆっくり目を開ける。
少し驚いた顔。
それから。
困ったように笑った。
「……やっとですか?」
静かな沈黙。
そして。
小さく。
本当に小さく言う。
「ホント遅い」
その数日後。
女官シエルは死亡した。
享年四十七。
灰神圏史上最大の国葬が執り行われた。
街には白い花が並び。
人々は涙を流した。
「教育をありがとう」
「子供が学べました」
「シエル様のおかげで救われました」
民衆は、心から彼女を愛していた。
だが。
棺の前に立つハザムだけは。
何も言わなかった。
言えなかった。
ただ静かに。
花へ触れていた。
その頃。
王都外縁、混血街区“奈落街”。
灰神圏最大の無法地帯。
違法闘技場。
密輸。
娼館。
傭兵。
国家から弾かれた者たちが集まる街。
オーガ。
エルフ。
獣人。
ドワーフ。
様々な種族が、泥みたいに混ざり合って生きていた。
その地下酒場で。
一人の少年が、男を殴り倒していた。
灰色の髪。
鋭い目。
十五歳。
名を、ガロウ。
相手は成人のオーガだった。
だが。
ガロウは躊躇なく喉へナイフを突きつける。
周囲の荒くれ者たちが笑う。
「やりやがった!」
「若頭補佐の勝ちだ!!」
「ガロウ!!」
歓声。
酒。
怒号。
血。
そこは。
灰神圏の裏側だった。
ガロウは倒れた男を見下ろす。
そして。
懐から一冊の古い本を取り出す。
ボロボロになった思想書。
著者名は消されている。
だが。
その思想だけは残っていた。
“人は考えるべきだ”
ガロウは静かに本を閉じる。
遠くで鐘が鳴っている。
シエル国葬の鐘。
少年は、その音を聞きながら小さく呟いた。
「……神か」
その目には。
怒りがあった。
神への。
世界への。
いつも読んでいただきありがとうございます。
『神になるには、遅すぎた』は、異世界転生・国家運営・ダークファンタジーを軸にしつつ、“人間性の変化”をテーマに描いています。
主人公は決して善人ではありません。
ですが、悪人とも少し違います。
長い時間の中で、人が何を失い、何を残すのか。
そんな物語として楽しんでいただければ嬉しいです。
それでは本編をどうぞ。




