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星を超えて世界を変えた日~星が導くのは、希望か、それとも終焉か。~  作者: 廻野 久彩
第6章 名もなき祈りと、選ばれぬ意志

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北へ——神域アウレリウム

夜明けの光が東の山際を薄紅に染める頃、セシリアとティナは星見の丘を後にしていた。


朝露に濡れた草原を踏みしめながら、二人は北へ向かう街道を歩く。澄んだ空気に遠くの鳥の囀りが溶け込み、昨夜の星々の輝きがまだ心に残っているようだった。


器ではなく、オラクルとして歩む道──その確信が、セシリアの胸を温かく満たしていた。


「地図によると、ここから北へ三日ほどの道のりね」


ティナが荷物を肩にかけ直しながら言った。


「途中で補給できる町もあるし、問題ないと思うわ」


「はい。お天気も良さそうですし」


セシリアは顔を上げた。雲一つない青空が広がり、朝陽が金の筋を描いていく。昨夜の決意が、その光に後押しされるようだった。


──だが、その安らぎは唐突に断ち切られた。


街道の分岐点に差しかかった時、ティナの足がぴたりと止まる。


「……セシリア、止まって」


低く押し殺した声。その響きに、ただ事ではないと直感する。


「気配がする。複数……しかも、ただの旅人じゃない」


ティナの視線が林の影を射抜く。指先は自然と腰のナイフへと滑っていた。


同時に──セシリアの胸元が鋭く脈動する。星神印が警告を発していた。嫌な予感が、背筋を冷たく走る。


「まさか……」


「出てきなさい! 隠れてても無駄よ!」


ティナの声が朝の空気を裂く。その直後、街道脇の林の向こうから、黒い影がゆらりと現れた。


四人。全員が漆黒の法衣を纏い、胸元に銀の星神教会徽章を輝かせている。その一歩一歩が、空気を重く、冷たく押し潰していくようだった。


「聖女セシリア=ルクシア」


先頭の男の声は低く響き、まるで宣告のように名を呼ぶ。眉間には深い皺、瞳は何かを押し殺すような暗さを湛えていた。背後の三人も、それぞれ年齢こそ異なれど、同じ威圧と哀色を帯びている。


重々しい響きが、朝の静寂を断ち切った。


「星神の名のもとに命ずる。速やかに我らと共に教会へ戻られよ」


「……審問官……」


セシリアの唇がわずかに震える。


彼らは星神教会の中でも、信仰の名のもとに全てを裁く、審問官直属の追跡部隊──逃亡者を捕らえることにかけては、一切の情けを持たぬ精鋭たち。


「抵抗は無用です。あなたは星神に選ばれし器。個人の意志など取るに足らぬもの」


「取るに足らない……?」


セシリアの胸奥で、静かな熱が生まれる。昨夜、ティナと交わした言葉──「あなたはあなたのままでいい」。その確信を真っ向から踏みにじる声に、怒りがゆっくりと燃え上がった。


「わたしの意志が、取るに足らない……?」


「当然です。器に意志など必要ありません。ただ神の声を伝えればよい」


その瞬間、セシリアの瞳が強く光った。これは、もう恐れではない。否定を許さぬ、自分自身の存在を賭けた怒りだった。


「わたしは……」


セシリアが一歩、確かに前へ出た。朝の光がその頬を照らし、翠色の瞳が凛と輝く。


「わたしは、器ではありません!」


胸元の星神印が強く閃く。怒りと、揺るぎない決意がその光に宿っていた。


「器ではなく、一人の人間です! セシリア=ルクシアという名を持つ、一人の女性です!」


「……愚かな」


先頭の審問官が吐き捨てるように言い、首を振る。


「ならば──力ずくで連れ帰るまで」


四人が一斉に詠唱を始めた。空気が重く歪み、束縛術の魔力が渦を巻く。捕獲のための冷たい術式が、獲物を絡め取ろうと迫る。


「セシリア、下がって!」


ティナが鋭く叫び、前に出る。だがセシリアは一歩も退かなかった。


「いえ」


その声は驚くほど静かで、揺らぎがなかった。


「今度は、わたしが戦います」


「え……?」


「ティナ、あなたはわたしを守ってくれました。今度は、わたしがあなたを守る番です」


セシリアは両手を胸の前に掲げ、深く息を吸い込む。


「星神様……どうかお聞きください。わたしの祈りを」


次の瞬間、透明で硬質な光の壁が二人の前に展開された。それは鋭くも温かな輝きで、迫る束縛術をすべてはじき返す。魔力の衝突が空気を震わせるたび、その光はさらに強く、確かに輝いた。


「何……?聖女の術が、我らの術を上回る……?」


「聖女ではありません」


セシリアの声は、静かでありながら全てを貫く強さを持っていた。


「わたしは、神託巫女オラクル。選ばれざる者たちの声を、星に届ける者です」


「神託巫女だと? そんな地位はとうに廃された!」


「廃されたのは制度です」


星神印が、これまで見せたことのないほど眩く輝く。その光には、命令ではなく自らの意志で祈る者だけが持つ温かさがあった。


「でも、星神との繋がりは失われていません。わたしは、わたし自身の意志で、星神に祈ります」


「戯言を!」


審問官の一人が攻撃魔術を放つ。しかし──それはセシリアを包む光に触れた瞬間、音もなく霧散した。


「なっ……我らの術が通じぬ……?」


「通じないのではありません」


セシリアは悲しげに首を振る。


「あなたたちの術には、“愛”がないのです。星神が人に与えた、一番大切なものが」


言葉と同時に、ティナが動いた。光粒の牽制術が弾け、審問官たちの視界を奪う。


「今よ、セシリア!」


「はい!」


二人の動きは息を合わせたように重なった。ティナが敵の体勢を崩し──セシリアが放つのは、破壊ではなく癒やしの光。


柔らかく、温かい光が審問官たちを包み込む。それはまるで母の腕に抱かれるような、慈愛と赦しに満ちた輝き。心の闇をそっと払い、奥底に眠っていた良心の炎を呼び覚ます光だった。


「うっ……これは……」


光に包まれた審問官たちの表情が、ゆっくりと変わっていく。


先頭の男の険しい眉間の皺がほどけ、押し殺していた優しさが瞳に滲む。年配の男は、震える手を見つめながら困惑の息を吐き、若い者は自分の行為に愕然としたように肩を落とす。

厳格さの仮面が崩れ、その下からは戸惑いと、人を想う本来の温かさが顔を覗かせていた。


「……我々は……何をしていたのだ?」


「一人の少女を……力ずくで連れ戻そうとして……」


「これが、本当に星神の望まれたことだったのか……?」


柔らかな浄化の光は、彼らの心に眠っていた慈悲を呼び覚ましていた。星神の教えの根──すべての存在を等しく愛する心を。


「あなた方は、悪い人ではありません」


セシリアは穏やかに、しかし真っ直ぐに告げた。


「ただ、大切なことを忘れていただけです。星神の愛は、選ばれた者だけでなく、すべての人に注がれているということを」


その言葉に、四人はもう戦う意志を失っていた。むしろ、己の行いを恥じているようだった。


「聖女……いや、セシリア様」


先頭の男が深く頭を垂れる。


「申し訳ありません。我らは……道を見失っておりました」


「謝る必要はありません。ただ──どうか覚えていてください。星神の愛は、選ばれし者だけのものではないということを」


「……はい」


短い返答には、確かな悔恨と決意が滲んでいた。彼らはもう二度と、同じ過ちを繰り返さないだろう。審問官たちは静かにその場を後にした。朝の風が、罪の重さを少しずつ吹き払うように流れていく。


「すごい……」


ティナが感嘆の息を漏らす。


「あれが……オラクルの力なの?」


「わかりません」


セシリアは小さく微笑んだ。


「ただ……心から祈れば、星神は応えてくださるのだと思います」


「敵を倒すんじゃなくて、心を変える……それって、すごく難しいことなのに」


「難しくはありません。相手を理解しようとするだけです。彼らも……星神を愛する気持ちは、本物だったのですから」


ティナは改めて、セシリアという人の深さに驚いていた。憎しみではなく理解を選び、断罪ではなく救いを差し伸べる。──それが本当の強さなのかもしれない。


「さあ、行きましょう」


セシリアが歩き出す。その背中には、もう一片の迷いもなかった。


「神域アウレリウムで──きっと、レオン様に会える気がします」


「根拠はあるの?」


「星神印が、そう告げているのです」


胸元にそっと手を当てると、星神印は温かく脈打つように光った。


「それに、セオドアさんの記録によれば……神域には最古の記録が眠っているそうです。オラクルのことも、きっと明らかになるはずです」


「なるほど。一石二鳥ってわけね」


二人は北へ続く街道を並んで歩み始めた。


朝陽が背中を押すように照らし、新たな旅路を祝福している。風が頬を撫で、遠くで雲雀が澄んだ声を響かせる。のどかな田園の先に、二人の足取りは軽やかに進んでいく。


「ねえ、セシリア」


「はい?」


「もし本当にレオンって人に会えたら……何て言うつもり?」


セシリアは少し考え、静かに答えた。


「──『お帰りなさい』、でしょうか」


「お帰りなさい?」


「はい。彼がどこにいても、わたしにとっては大切な人です。だから……再会は、『帰ってきた』ということだと思うのです」


ティナは小さく笑った。


「素敵ね。それ、きっと向こうも同じ気持ちよ」


「そうでしょうか……」


「絶対よ。あなたみたいな人を、忘れられるわけがないもの」


セシリアは頬を赤らめ、それでも嬉しそうに歩みを進めた。


道の向こうに、新たな地平線が見えている。そこには未知の出会いと、まだ見ぬ真実が待っているはずだった。


器としての運命を越え、一人の人間として歩み始めた少女。選ばれざる者たちの声を星に届ける、神託巫女としての旅路。


セシリア=ルクシアの新たな物語が、いま静かに幕を開ける。


陽は高く昇り、街道は真っ直ぐに北へ伸びていた。


二人の影は長く地を伸び、やがて地平線の彼方に溶けていった。

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