開かれた封印記録
旅を始めて三日。
街道に舞い散る花弁が、風と共にひらひらと踊っていた。
セシリアとティナは王都から南西へ向かう道を歩み、忘れ去られた教会遺構をひとつずつ巡っている。
小さな村の片隅で眠る石造りの礼拝堂。山の中腹にひっそりと佇む古い修道院の跡。そこに残るのは、今の星神教会とは異なる──より素朴で、より人に近い信仰の痕跡だった。
木陰で昼餉をとりながら、ティナが素朴なパンをかじる。
「ねえ、セシリア」
「はい?」
「昔の教会って、今とずいぶん違うのね。もっと……自由って感じ」
セシリアは頷いた。
昨日訪れた小さな礼拝堂の壁画──そこに描かれた星神は、現在の厳格な聖像とはまるで違っていた。穏やかで、親しみやすく、まるで隣人のように微笑んでいた。
「星神教会も、昔はもっと人々に寄り添っていたのかもしれません」
「それがどうして、今みたいに堅苦しくなっちゃったの?」
セシリアは少し考え込む。
「……きっと、組織が大きくなるうちに、形式や規律を重んじるようになったのでしょう。それ自体は悪いことではありませんが……」
言葉が宙に漂う。
「大切なものを、見失ってしまったのかもしれません」
「大切なもの?」
「人への愛です。星神の教えの根本は、きっとそれだったはず」
ティナはパンを噛みしめ、感心したように言った。
「セシリアって、本当に優しいのね。自分を苦しめた組織のことでも、そうやって理解しようとするなんて」
「そんな……」
「もっと怒ってもいいところだよ」
率直な言葉に、セシリアは苦笑をこぼす。
確かに怒りを覚えたことは何度もあった。けれど、それよりも「理解したい」という気持ちの方が、いつも少しだけ勝っていた。
「次はどこへ?」
「地図を見ると……」
ティナは懐から丁寧に折りたたまれた地図を広げた。シエルが用意してくれたその地図には、古い教会施設の位置までも細かく記されている。
「ここから半日ほど東に、『聖テレジア修道院跡』。規模も大きそうだし、何か手掛かりがあるかも」
「聖テレジア……」
セシリアは記憶を辿る。
「確か、星神印を持った修道女が建てた修道院だったはずです」
「星神印持ち。じゃあ、セシリアと何か関わりがあるかもしれないわね」
昼餉を終えると、ふたりは再び歩みを進めた。
街道から外れた山道は、予想以上に険しかった。ティナは慣れた足取りで先頭を行き、時折振り返ってはセシリアの様子を確かめる。
「大丈夫? 少し休む?」
「いえ、まだ平気です」
息を切らしながらも、セシリアは懸命についていく。教会での生活に、こうした山歩きはほとんどなかった。
「無理しないでよ。急ぐ旅じゃないんだから」
「ありがとうございます。でも、ティナはとても慣れていらっしゃるのですね」
「《紅牙》の訓練で、山岳行軍なんて日常茶飯事だったからね。あ、でも安心して。今日中には着くから」
ティナの言葉どおり、夕刻前に目的地へとたどり着いた。
──聖テレジア修道院跡。想像以上に大きな遺構だった。石造りの建物群が山の斜面に沿って並び、中央には立派な聖堂の廃墟がそびえ立っている。長い年月で一部は崩れ落ちていたが、往時の荘厳さを偲ばせる威容を保っていた。
「うわあ……すごいわね」
「本当に。こんなに大きな修道院があったなんて」
慎重に遺構の中へ足を踏み入れる。夕日が石壁を朱に染め、廃墟全体に神秘的な空気が満ちていく。
そのとき、セシリアの星神印が、かすかに光った。
「あ……」
「どうしたの?」
「星神印が……何かに反応しているようです」
胸元に手を当てる。光は弱々しいが、確かに何かの存在を感じ取っている。
「何かあるのかもしれないわね。探してみましょう」
祭壇の背後に、小さな扉があった。
「……書庫でしょうか」
扉は朽ちかけていたが、力を加えれば開けられた。中は薄暗く、石造りの棚に古びた書物や巻物がぎっしりと並んでいる。多くは湿気で傷んでいたが、一部はまだ文字を読み取れそうだった。
「すごい量の本……でも、ほとんど判別できないわね」
ティナが古語で書かれた文書を手に取り、眉をひそめる。
「わたしが見てみますね」
セシリアは聖女教育の一環で古語を学んでいた。一つずつ文書を確認していく中で──ある巻物に目が止まる。
「これは……」
それは他の文書とは明らかに異なっていた。紙質は新しく、文字も比較的鮮明。そして、封印に使われている印章に、見覚えのある名が刻まれていた。
「……セオドア=ルヴェール」
「セオドア=ルヴェール? どこかで……あ! 教会の人で、失踪したって噂の人……?」
「はい。間違いありません」
セシリアは慎重に封印を解く。巻物を広げた瞬間──何も書かれていないはずの紙面に、星神印の光とともに淡い文字が浮かび上がった。
「星神印による封印術でしょうか……セオドアさんは、星神印を持つ者だけに読ませるつもりだったのですね」
「で、なんて書いてあるの?」
ティナが身を乗り出す。
セシリアは視線を紙面に落とし、ゆっくりと読み進める。しかし、その顔色は読み進めるごとに蒼白へと変わっていった。
「……星歴1707年、『器創出計画』に関する記録……」
「器創出計画?」
「『神託に応じ、七名の妊婦を選定』……『実験的育成環境の構築』……『星神印発現の人為的誘導』……」
セシリアの声が震え始める。
「『七名中六名は死産または異常』……『生存一名のみ』……『当該女児に識別名セシリア=ルクシアを付与』……」
指先から巻物が滑り落ちた。
「セシリア!」
ティナが慌てて支える。
セシリアの顔は血の気を失い、体は小刻みに震えていた。
「……うそ……そんな……」
「セシリア、落ち着いて」
「わたしは……作られた存在……? 自然に生まれたのではなく……計画で……」
星神印が不安定に明滅を繰り返す。それは、先ほどまでの穏やかな輝きとはまるで違う──混乱と動揺がそのまま光となってあふれ出しているようだった。
「そんなのおかしいよ!」
ティナの声は、迷いなく響いた。
「計画だろうが何だろうが、セシリアはセシリアでしょ! 作られたからって、あなたの気持ちが偽物になるわけ? あなたの優しさが嘘になるわけ?」
「でも……でも、わたしは……」
「何も変わらないわよ!」
ティナはまっすぐに言い切った。
「あなたはあなた。みんなに愛されてる人。それ以外の何者でもない!」
その言葉に、セシリアの震えが少しずつ収まっていく。
「……本当に?」
「当たり前よ。生まれ方なんて関係ない。大事なのは、今のあなたがどう生きているかってこと」
セシリアは涙を拭い、小さく頷いた。胸元の星神印の明滅も、徐々に穏やかな光へと変わっていく。
「……ありがとう、ティナ。あなたがいなかったら、わたしは……」
「そんなの言わないで。友達でしょ?」
ティナが微笑むと、空気が少しだけ柔らかくなった。
「でも、この記録は重要ね。もっと詳しく調べる必要があるわ」
セシリアは巻物を再び手に取り、今度は震えることなく読み進める。
「……後記があります。『この記録は、選ばれざる者たちのために残す。真実を知り、自らの意志で歩むための道標として』」
「選ばれざる者たち?」
「わたしのような存在……かもしれません。それとも……」
視線を最後の一行へ。
「『神託巫女の復活を願う。星神と人を繋ぐ、真の祈りの担い手として』……オラクル?」
「初めて聞く言葉ね」
「わたしも。でも……きっと重要な手がかりです」
巻物を丁寧に巻き直し、セシリアは深く息をついた。
「この記録を持ち帰って調べましょう。他にも、セオドアさんが残したものがあるはずです」
「そうね。でも今日はもう遅い。野営の準備をしましょう」
外はすでに日が落ち、山間部の空気は冷え始めていた。
「修道院の中なら、屋根もあるし風も防げるわ。大丈夫」
二人は聖堂の一角に寝床を設け、小さな焚き火を起こした。炎が石壁に影を揺らめかせ、冷えた空気の中に不思議な安心感を広げていく。
「ねえ、セシリア」
「はい?」
「怖くないの? 真実を知るのって」
火を見つめながら、セシリアは静かに答えた。
「……怖いです。でも、知らないままでいる方が……もっと怖い、と思いました」
「なるほどね」
「それに」──微笑みを浮かべる。「ティナがいてくれるから、大丈夫です」
「まったく、褒めても何も出ないわよ」
ティナは照れくさそうに笑ったが、その眼差しは優しかった。
夜が更けても、焚き火は静かに燃え続けた。
セシリアの星神印も、今は穏やかに光っている。
明日はまた、新たな発見があるかもしれない──そして、その道をもう一人で歩く必要はなかった。
「明日は、どこへ向かう?」
「この記録に書かれた場所を、順に回ってみましょう。きっと、もっと詳しいことがわかります」
「そうね。真実を……必ず見つけましょう」
石壁に映る二人の影は、まるで寄り添う姉妹のようだった。
焚き火の炎が小さく弾け、静かな夜気に溶けていく。
外の風は遠く木々を揺らし、修道院の古い壁がその音を受け止めていた。二人の胸には、それぞれの真実がまだ形を持たぬまま、確かに息づいている。
明日もまた歩き出す。
その道がどれほど険しくとも──並ぶ影は、それぞれの形を保ったまま進む。




