沈黙の記憶たち5:ユイ
……夢を、見ていた。
音もなく、色もない、けれど、やさしい何かに包まれていた。
冷たい実験室の記憶ではない。縛られていた枷の重さも、耳を焼くような術式音も、そこにはない。
ただ、誰かが、そっと──名を呼んだ。
「……ユイ」
小さな声だった。けれど、その音だけが、胸の奥で何度も反響していた。
──名を持たぬ“ドレイン”に、誰が。
その問いが、夢の深層から泡のように浮かび上がる。命令ではない。記号でもない。“あなた”という存在そのものを包むように、その名は贈られた。
(知らない声じゃない。あれは……わたしを逃してくれた、あのひと──)
うまく思い出せない。けれど、衣の裾が翻った光景だけは、今もまぶたの裏に残っていた。
それでも、なぜか、知っていた。
あの人は、“わたし”によく似ていた。けれど、“わたし”ではなかった。同じ髪質、同じ瞳の形──けれど違う。それは、鏡ではない。もっと遠くて、あたたかくて……どこか“別の道”を歩んできた、誰か。
……名を呼ばれたときの、あの震えるような感情。知らないはずの“なつかしさ”が、胸を満たしていく。
──わたし、は、誰?
その問いに、答えはない。
だけど、肌に刻まれた“印”がある。触れることもできない、けれど確かに、そこに在る“模様”。淡い桃色の光が灯るたび、脳裏に走る痛みのような記憶。
──炎のような光。
──交差する星の文様。
──祈るように手を重ねた、あの人の姿。
「……また、ね」
最後に聞こえたその声だけが、今も耳の奥に残っていた。
静かで、やさしくて、夢みたいに──悲しかった。
★
数えきれない日々。装置の中で、ただ命令を聞き、観測される日々。感情は排除され、疑問を抱くことすら“失敗”とされた。
だから──
“名”を持った瞬間に、自分は拒絶された。自律も反抗も、ただの“不具合”として。
でも、あの声は、違った。
「フラム」
そう名づけた存在は、わたしを見て、応えた最初の存在だった。
わたしが、はじめて“命令”ではなく、“願い”を口にした瞬間。名前を与えることの意味を、わたしは、その時……ほんの少しだけ、知った。
名前。それは、呪いではなかった。
もし、もう一度──“誰か”のそばで呼ばれたいと願うなら。その時、わたしはまた、答えられるだろうか。
「ユイ」と。




