名もなき少女1:招かれざる者
──風が、変わった。
樹海の奥、夏の陽光が木々を縫って揺れる静寂の中。名もなき隊の五人は、かすかな異変に気づきながら、緩やかな尾根道を進んでいた。
空は晴れている。だが、鳥は鳴かず、獣の気配もない。
「妙だな……」
先頭を行くカイルが呟く。長身を軽くかがめ、草むらに目を走らせた。
「この辺、前に来たときはもっと――騒がしかった」
「足跡も、爪痕も、薄い。……気配が、消えてるわ」
ミリアの声は低く、鋭かった。腰に手を当てたまま、周囲に張り詰めた気配を探るように、目を細める。
その姿に、レオンは無言で頷いた。
この一帯は、三日前に近くの村で報告された“異常個体の目撃情報”を受けて、調査対象となっていた場所だ。通常の魔獣なら、気配を消すことなどできない。あくまで野生の範疇にある存在。だが、“異常個体”は、違う。
突如として現れ、言葉もなく襲いかかり、倒してもその構造すら解明できない。《クレクナス》──あの“進化型”と戦った時の感触が、まだ身体の奥に残っている。
(……きっとまた、出る)
レオンはそっと腰の剣に手をかける。
そのときだった。
「レオン!」
ライナの叫び声と同時、空気が裂けた。
右斜め前方、茂みの中から“何か”が飛び出した。見えない爪。透明な牙。音もなく迫る“質量”が、ライナを襲う。
レオンは即座に飛び込んだ。剣を抜き──
「《双月斬》──!」
身を挺してその軌道を叩き斬る。
斬撃。手応えは……ない。だが空間が“軋んだ”。
「何だ、今のは……」
ライナが素早く身を引き、カイルが即座に援護に入る。樹々の陰から、別の気配が──いや、目視できないままこちらをうかがっている。
「透明化か、擬態か……?いや、それだけじゃない。動きが速すぎる」
ミリアが杖の先を地に当て、すっと空間を見据える。
「複数……三、ううん、四。囲まれてるわ」
耳元で、葉が揺れる音がした。風のような気配。
何かがすぐそばをすり抜けた。
「退避!」
レオンの指示が飛ぶ。瞬間、四人が一斉に動いた。視えない敵から一度距離を取り、開けた斜面へと退却する。
相手は追ってこない。ただ、木々の影から“見ている”。
その視線が、ただの狩猟ではないことを、レオンは直感で理解していた。
「……見られてる」
誰かが呟いた。
ミリアか。あるいは、自分自身か。
そうして、一行は木漏れ日の下に戻ってきた。
息を整える間もなく、カイルが言う。
「あれが群れだったら、次は全滅だな……。《閃紋破》が間に合わなかった」
その手には、解析用術式端末が薄く輝いていた。
「……なら、先に見つけるしかない」
レオンは短く返した。
「こっちが、“狩る側”になるんだ」
静寂が、返ってくる。
だがその沈黙の奥に、何かが潜んでいる。
風がざわめいた。
枝が揺れ、遠くで何かが、こちらを見ていた。
姿はない。ただ、確かに存在している。
空気の裂け目のように、風がひとつ、そこに“招かれざる者”の痕跡を残していた。
★
そして、誰も気づかぬ森のさらに奥。
影のような瞳が、そっと瞬いた。
──「観察完了。無断接近者、想定範囲内」
──「主。次の命令を」
応えは、ない。
だがその少女は、遠くから“その背中”を見ていた。
言葉もなく、ただその視線に、揺れる気配だけがあった。
風に乗せて、ただ、見ていた。




