想定外の出来事
ぐるぐる眼鏡を掛けた男の人は、僕たちの反応など全く気付いていないようだ。
「いや~本当にごめんね。買い物の袋を持ったまま、考え事をして歩いていたものだから前を見ていなくって、完全にこちらの不注意だよ」
「いえ、僕のほうこそ、よそ見をしていたもので…すみませんでした。あの~道端に散らばった物を拾い集めてみたんですが足りないものとかありますか?」
これはオニキスが袖を引っ張り、散らばっている場所を僕にこっそりと教えてくれたのだ。この人がまだメガネを掛けていない間に、僕とオニキスとでせっせと拾い集めていた。ちなみに男の人が持っていた大きな紙袋がすぐ傍に落ちていたので、紙袋の中に中身を詰めてから手渡している。
男の人は中身を確認すると、ゆっくりと頷く。
「うん。食料品とか全部あるみたいだ。この子と一緒に拾い集めてくれたんだね、ありがとう!」
「ワン!」
オニキスは、そうだぞ! と言いたげに誇らしく犬らしい返事をしていた。黙っていれば魔物ではなく、もふもふの子犬にしか見えないので、オニキスとしては犬のフリで押し通すつもりらしい。男の人はそんなオニキスに優しく微笑んでいた。
「それじゃ、僕はこれで行くけど君たちも気をつけて歩くんだよ~」
そう言いながらこの人は大きな紙袋をよいしょっと両手で抱えると、買い物で人が混みあっている大通りの向こうへと消えていったのだ。
僕はなんとなく、その光景を眺めていた。
今まで僕の知っている大人たちは、あんな風に優しい言葉をかけてくれたり、気遣ってくれる人などいなかった。僕は一族の中でも面汚しと言われていたし、いつも悪いのは僕と決まっていた。どんな理不尽な仕打ちを受けたとしても耐えるしかなかった。
あ、でも…あの人だけは、とても無口で不器用だけど僕のこと唯一、気にかけてくれた。
あの人は今でもあの村で猟師として暮らしているのだろうか。あの人にだけは、僕が無事であることを伝えたい。いつの日にか、僕は元気で暮していると幸せになったのだと伝えられたらとそんなことを考えていた。
その時――
「キャウ、キャウ!」
不意にオニキスの鳴き声で、僕は我に返ったのだ。
オニキスのいる方角に目を向けてみるとそこには、銀の縁取りで綺麗に製本された、濃紺色の本が地面に落ちていたのだ。なんか…かなり厚みもあるし高そうな本だな。さっきの男の人の物だろうか? 僕はぼんやりとそんなことを考えながら近づいてみる。
そして、よくよく見るとオニキスの小さな前足が表紙の上に、ちょこんとのせられていたのだ。そして、これだと言わんばかりにバシバシ叩いている。言い換えれば、前足で本をふみふみしていたのだ…。
僕が近くに来ると本から前足を退けオニキスはドヤ顔になる。そこには…オニキスの肉球の跡が一か所、表紙にしっかりとついていたのだ。
「え?!!」
僕は内心、衝撃を受ける。
自分の本であればちょっと嬉しいが、人様の本に肉球の跡がついているというのはいかがなものか? やっぱり凄く高価な本で、弁償してよね!!! とか言われた場合、はたして僕にそんなお金が払えるのだろうか?
ドヤ顔のオニキスとは対照的に、僕はしばらくその場で呆然と立ちつくし固まっていたのだ。




