狂気
床に倒れ、咳き込む永田涼奈をよそ目に落ちている銃を回収する。
「お前は二つの間違いを犯した」
永田涼奈はまだ事態が飲み込めていないらしく、激しく動揺している。
「一つ目は順序。お前は破裂音が聞こえ、その後にトイレの個室の扉に穴が開いているのをみて、そのときに私が誤って発砲したのだと勘違いした。でも、この穴は初めから開いていた。お前が来る前にあらかじめ、個室の中から発砲して開けておいたものだ」
「お前、人質のいる教室で七発撃ったんだろ」
チェーンに向けて二発、永田涼奈に向けて五発、合計七発。なにも間違いはない。
「撃った」
「だったら、そのときの銃声がどうして聞こえなかっ・・・」
永田涼奈の勢いが止まり、冷静な口調になる。
「そうか、その銃声をかき消すためのBGMだったのか」
「そう、激しいロックミュージックに乗せての八発目。そして、トイレの個室の扉と壁に穴が開いた」
「だったらさっきの私がヘアピンを投げ込んだときにの発砲音は何なんだよ。お前、隠し弾でも持ってたのかよ」
「隠し弾というには大げさかな。お前が聞いた音はこれだよ」
指で口の中から赤い風船の残りかすをかきだす。
「風船だよ」
永田涼奈は信じられないという顔をする。先入観や思い込みによってお前には風船の破裂音も銃声と同じ聞こえてしまった。機能的に等価なのだ。
「お前は二つの間違いを犯した。二つ目は生きる指針だ」
永田涼奈の顔つきが険しくなる。ここからいよいよ本題だ。
「痛みを感じることは生きていることの必要条件であって十分条件じゃない」
「そんなことはないっ。私は確かに感じたんだ。痛みを通して生きているってことをっ」
私は黙って彼女の主張を聞き入れる。
「父さんが教えてくれたんだっ。あの日から私は生きてることがこんなにも素晴らしいんだって実感できた。これが嘘だっていうなら、私の感じているこの生きる実感はなんだってんだよっ」
彼女はしみるだろうに、閉じたままの瞳から涙を流した。
「それはきっと真実だよ」
「だったら、」
「でもっ、それはお前にとっての真実だ」
『この世に絶対的なものなんてない。分かってるんだろ。もし真偽の線引きを行えるものがいるとすれば、それは私の生きる世界には私しかいない』
永田涼奈は言葉を失う。
「私にも私にとっての真実がある。でも、それは一人よがりな情けない考え方だった。一人でいるうちはそれでも構わなかった。でも、その間違いをただしてくれた人がいたんだ」
私は永田涼奈をきっと睨みつける。
「お前は自分の価値観を人に強要した。共有ではなく、強要したんだ。なぜだかわかるか、真実ではないからだ。自分以外の人間の考え方を全て否定しないと、自分を肯定できないような考え方が真実なものかっ」
永田涼奈の涙は止まらなかった。自分でも分かっていたはずだ。それでも、彼女の権威に屈した者達は彼女の意見に逆らうことをしなかった。誰も、生きる意味を強要することを間違っているとは言ってはくれなかったのだ。
彼女からにじみ出ていた狂気は涙と共に洗い流され、薄れていく。
もう永田涼奈から狂気は感じられない。私はそう判断して急いで教室を目指した。
倉永彩香が出て行ってその場には永田涼奈がひとり残される。
私はどうすればいいんだよ。
どうすればよかったんだよっ。
こんなにも胸が張り裂けそうで痛くて、苦しくて、それでも生きている実感がそこにはあって。そのことをただみんなに認めて欲しかっただけなのに。
もう、どうしていいかわからないよ。
私はなんで生きているんだよっ。
こんな苦しい思いをしてまで生きていたくない。
もう死んでしまいたい、死んでしまいたいよっ。父さんっ!
「二度とそんなこと言うなっていったろうがよ」
ふと、私の髪を何かが触れる感触がした。驚いて目を開ける。まだ視界はぼやけたままだった。かすかに人影がトイレの外へと出て行くのが見える。急いで追いかけるが、廊下に出てもそこには誰もいなかった。感触があった前髪に手を置くと、はずしてトイレに投げ込んだはずのヘアピンがちゃんと両方ともに止まっていた。
「父さん?」
あたりを必死に見渡すが、やはりそこには誰もいない。
「ったく、ここは女子トイレだってんのに」
永田涼奈の口から人懐っこい笑みがこぼれた。




