死闘
一階の教室内で、シャツの一部を破り、左肩を止血する。その最中にも色々な可能性を検討する必要がある。一番の理想の形は、外部に連絡を取って、応援を要請すること。もちろんそれは試合の放棄とみなされ、最悪千鶴が殺されることになるかもしれない。
永田涼奈は私の行動を全て把握しているはずはない。どこまでが実行可能なのかは慎重に見極めるべき。そもそも校舎の外に私が出たかどうかなんてどうやって判定するつもりなんだ。校舎の外には何も知らない永田涼奈の取り巻きたちが監視役として配置されているかもしれない。校舎外に出ることは不確定要素が多い今の段階ではよしたほうがいいのかも知れない。
私の通信手段は永田涼奈が窓からほうり捨てた。となると他に外部と連絡が取れる手段は、そうだ、職員室には電話とか置いてないのだろうか。
止血を終え、すぐさま教室を出る。血痕の道しるべで辿れるのはここまでだ。逆に永田涼奈がこの血痕に少しでも長く注意を逸らされていれば好都合だ。教室の扉を丁寧に閉じておく。ちゃんと中まで確認していればそれなりに時間がかかる。
ごちゃごちゃになった考えを一旦整理し、次の行動に移る。
元来たルートを迂回して、遠回りで2のAの教室を目指す。最優先事項は人質の確保。出来ることなら、千鶴を連れてそのまま逃げ出してしまえばいい。それが無理ならせめて、職員室から助けを呼ぼう。後の厄介事は警察の仕事となる。
物音を立てないように細心の注意を払いながら移動する。しずまりかえった廊下は少しの音でも大げさに反響させる。わざわざ私の後を追わず放送室に向かったということは、血痕を辿れば追いつけるだろうという考え方なのだろうか。だとすれば相手の挙動としては放送室から血痕を辿り、そろそろ一階のダミーの教室に着くあたりか。
大丈夫、今この周辺にやつはいないはずだ。ほとんどの物音があたりから消し去られると心臓の音はいやでも大きく聞こえる。自分が物音を立ててしまっても聞き取れないほどに心拍が激しいリズムで刻まれている。目的の教室が見えると、変に気が抜けてしまう。
教室内にたどり着き、ゆっくり扉を開き、中を確認する。大丈夫、この教室にいるのは千鶴だけ。すばやく千鶴に接近し、即座に連れ出そうとする。
どうやら千鶴は気を失っているようで軽く揺すってみたが反応はない。口元のテープをはがすと、かすかに呼吸がある。安否が確認できると、それだけでほっと一息ついて、安堵する。千鶴の足にある複数の痛々しい銃弾の痕跡に、思わず顔を歪める。きっとこれでは自力で歩くのは無理だろう。
よくみると縄だけでなくチェーンで腕が椅子に固定されている。チェーンはさらに机にまで絡み付いている。鍵がない以上、物理的にチェーンを破壊しなければならないが、そんなことが可能な方法はこの拳銃を使う以外に思いつかない。しかし、そんな危険を冒してもいいのだろうか。私はここにいる、と大声でアピールするようなものだ。いや、どっちにしろ、ダミーの教室に気づけば、あいつはここに戻ってくる可能性も十分にある。もたもたしていると結局鉢合わせることになるだろう。
どこまで自分が冷静に判断できているのかは分からなかったが、はやくこのチェーンを外してしまったほうが後々に都合がいいと考えた。
たとえチェーンを撃つだけだと分かっていても、拳銃を使う場面になったとたんに腕の震えが止まらない。息遣いが激しくなり、照準が定まらない。意を決して引き金を引くが、銃弾が出る様子はない。予想外の事態にさっと血の気が引いていく。しかしよく考えれば当たり前のことで、まだ安全装置をはずしていなかった。銃なんて当然扱ったことはない。拳銃における常識などほとんど分かるはずも無かった。おそらくまともにやりあっても銃撃戦では到底永田涼奈には敵わないだろう。
気を持ち直し一発目、かなりの至近距離で撃ったにもかかわらず、発砲の際の衝撃にひ弱な右腕一本では支えきれずに弾道は大きくそれて、チェーンを避け、地面を貫通する。そのあまりにも大きな音が校舎内に響き渡り、あせりの感情がどっと押し寄せ、冷静さが損なわれていくのがわかる。二発目はほぼゼロ距離から発射。さすがにはずす要素はなく、チェーンはあっけなく外れた。
これでは対人戦なんて、夢のまた夢のようだ。
「試し撃ちはいいけど、弾数に気をつけなよ、機械女」
永田涼奈の声が遠くより響いてくる。瞳が大きく見開かれ、呼吸がせわしなくなる。正確な位置までは分からなかったが、千鶴を連れて逃げ出すのは、とても不可能な距離だろうと判断した。
廊下に出て、周囲を確認する。銃でやりあうのは無謀すぎる。何か策は。そう思った矢先、階段のほうからかすかな足音が聞こえた。目の前が真っ暗になる。緊張で喉が締め付けられ、呼吸が出来なくなる。急いで教室内に引き返し、耳を潜める。階段を上りきる足音。もう直ぐそこまで来ている。恐怖が冷静な思考を押しのける。とにかく身を潜めたい一心で掃除用具を片付けるロッカーの中に隠れる。しかし、隠れてからひどく後悔した。こんな逃げ場の無い場所でもし見つかってしまえば一貫の終わりだ。
今更出ることも叶わず、ロッカーのスリットから教室内をじっと窺う。ついに永田涼奈が教室に姿を現す。その姿が目に入った瞬間、心臓が縮みあがった。もしここで見つかるようなことがあれば・・・。
・・・いや、まてよ。
そうじゃないかもしれない。落ち着け、冷静に。むしろ、これは自分にとっては勝率の高い条件なのかもしれない。ロッカーに注意を引くように、わざと仕向けさせてみればいい。相手が様子を窺いに接近してくるだろう。ギリギリまで注意をひきつけておいて、ロッカー越しに発砲すれば、真っ向から対立して銃撃戦を繰り広げるよりも銃弾が当たる確立はうんと高まるのではないか。そうすればより確実に・・・。
そこまで考えて私は、ハッとなる。
私は今、何を考えていた? より確実に・・・、殺せる? 殺す?
恐怖にさいなまれ、私の中にも狂気がにじり寄っていた。そんな私の葛藤をよそに永田涼奈は千鶴のもとに歩み寄っていく。
「これは試合放棄に値すると考えなかったのか、倉永彩香」
千鶴があげた壮絶な魂の叫び。あまりの衝撃に気づけばロッカーから飛び出していた。
「永田涼奈っ」
その瞬間、防衛本能、道徳的信条、複雑な思考回路の全てが千鶴を失いたくないという感情に塗り替えられる。どんな恐怖よりも千鶴を失うことの恐怖のほうが勝っていた。あらゆる行動図式を永田涼奈の殲滅に当てていた。
それでも永田涼奈は笑っていた。圧倒的な強者の余裕を垣間見せる。こちらが銃を構える暇もなく一蹴りで飛ばされ、壁に叩きつけられる。それにも構わず、二発銃弾を発射するが、弾はあさっての方向に向かう。
「そんな構えじゃ当てられないぞ、機械女」
意を決した行動に結果が伴わず、今度は濃厚な死の気配に包まれる。そこでやっと死への恐怖が逆転する。高速に行動図式が書き換わる。再び銃を構え、発砲する。もとより当てるつもりはない、出口までたどり着くまでの威嚇射撃だ。開きっぱなしの扉をくぐり廊下を飛び出す。一、二、三。銃弾の数を心の中で数え上げる。
「私はお前を否定しなければならない。私が生きるためにそれが必要なんだよ倉永彩香っ」
永田涼奈の声が後から追いかけてくる。階段を降りきって、直線の廊下をかけ進む。単調なコースだと狙いが定まりやすい危険があったがそれよりもまず、距離を離して相手をまかなければ、追いつかれれば勝ち目は無い。
しかし、それは冷静さを欠いた致命的な判断ミスとなる。わき目も振らず走り抜けるなか、絶望の知らせが右足のかかとに届く。つんざくような痛みが走り、バランスを崩す。余ったエネルギーの分だけ前方の床を転がりすべる。
尋常でない痛みに、全身がカッと熱くなり、もだえ苦しむ。それでも、痛みを耐え忍んでも立ち上がり、不恰好に歩き出す。
「どうしてそんなになってまで歩き続ける? 痛くはないのか」
永田涼奈がわざとらしい口調で尋ねてくる。
「痛いに決まってるだろ。でも、ここで死んでしまったらもう痛いって感覚すら感じられなくなる。生きているからこそ、痛いと感じれるんだ」
いつ撃たれてもおかしくない状況で、なるべく流暢なしゃべりをこころがける。撃たないでくれという祈りをこめながら、相手と対話が続くように。しかし、相手からの返事はない。
頭の中に「死」という文字が強く浮かび上がる。だが、永田涼奈が撃ってくる気配は無い。後ろを見ると、永田涼奈が放心状態で立ち尽くしている。
「そうだよ。それが生きるってことだよ、機械女っ」
至高の極みといった顔、悪いがとてもまともに見えない。別校舎への通路を向かう。
「やっぱり、そうだ。死を目の当たりにして、ようやくお前にも理解できたんだな。この世の真実をっ」
永田涼奈は異常な興奮状態に陥っている。とてもまともな判断がつく状態とは思えない。今なら隙があるのかもしれない。
どういうわけか永田涼奈は追ってこなかった。なんにしろ少しだけ冷静さを取り戻すことができた。銃からマガジンを取り外し、残りの弾数を確認する。
残り、後一発。
憂鬱が立ち込める。威嚇射撃も含む計五発、私は永田涼奈に対して引き金を引いた。そのうちの二発は間違いなく、息の根を止める覚悟で。
私は二度も人の命を奪おうとしたのだ。とんでもないことをしてしまった、と頭では分かっている。しかし極限状態が続き、あらゆる感情を酷使し続けた結果、その事実に対してふさわしい感情が見当たらず、ただただ呆然とする一方だった。
とにかく外に出よう。私にはそれが出来る。そうすれば、そうすれば、千鶴が・・・。でも、永田涼奈は私の全てを把握しているわけじゃない。今だって外に出たってきっと気づかれやしない。そう思っていてもたったひとつのもしも、という可能性に支配され、だんだん自身がなくなっていく。それで千鶴が殺されたら、私は自分を許せるのか。・・・千鶴は無事なのだろうか。
これから何をなすべきなのか、検討もつかなくっていた。何をすれば助かるの? どうすることが正解なの? 誰か、誰か助けて・・・。
「助けて」
低い男の声が私の心の声と重なった。驚き、とっさにのけぞる。何事かと、トイレの室内を見渡す。特に変わった様子は無い。
「娘を助けてくれ、頼む」
聞こえるはずのない声が届く。それは非常に不可解なことではあるが、危害が加えられる様子は感じられない。その訴えにじっと耳を傾ける。
「勝手なことだとは思う。俺の一方的なわがままだ。それを承知でお願いする。涼奈を助けてやってくれ。頼む。涼奈を・・・」
ほんの一瞬ではあるが、かすかに鏡の一角に光が反射したように見えた。もう男の声は聞こえない。鏡の中を覗き込んでいるのはやつれた自分の表情だけである。
そのムスッとしたしかめっ面が可笑しくなる。何をそんなに驚いているんだ。別に幽霊なんて信じてないくせに。
きっと私は千鶴だけじゃない、
永田涼奈も助けたいのだ。
今の声は私の無意識の主張だ。深層意識が心身ともに疲労困憊の私に幻聴としてそれを伝えたに過ぎない。私はこれまでのあらゆる出来ことを丁寧に想起して、この狂気の正体を探ってゆく。
『私はお前を否定しなければならない。私が生きるためにそれが必要なんだよ倉永彩香っ』
私は常に人生の無目的性の海を見つめている。私の発言は常に延命装置であり生の拠り所となる希望の破壊を行うものだ。
おそらく永田涼奈は生きる目的の喪失の分岐点に直面した。生きる目的の喪失、それは死への直結へと導かれる。
『永田涼奈なら撃てないかもしれない。社会に飼いならされているからな。でも私は違う。私は私の意志のままに行動する。私には自分に出来るあらゆる権利を有している』
目前に差し迫る生の喪失感によって法律は無意味な言葉の羅列に成り下がる。お互い不可侵にやりましょう、といった程度の約束事に成り代わり、もはやなんの拘束力も持ち得ない。たとえ、法律に裁かれようとも、永田涼奈の狂気は終わらない。それで“永田涼奈”は助からない。
廊下をすぐ出たところに消火器が目に入る。これで視力を奪えれば、無力化するには十分だろう。奇襲でけしかければ何とか。曲がり角から一気に畳み掛けるか、それとも物陰から・・・。
いや、そんなことしたって失敗に終わるだけだろう。先ほどのロッカーの一軒は奇襲というには好条件がそろっていた。それでも、あいつにかかっては簡単にあしらわれてしまった。その程度の奇襲が成功するなら、とっくに決着はついている。永田涼奈を欺くには一芝居必要なはずだ。おそらくチャンスは一回きり。二回同じ手が通用しないのは鉄則。
永田涼奈、お前は間違っている。今度こそ、決着をつけよう。
傷跡が痛みを払拭するようにぎゅっと拳に力をこめる。
必ずこの狂気を終わらせてみせる。




