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役柄のない”あなた”へ  作者: 山下絶
12/17

追想

「よし、出来たぞ」


 そう言われて鏡を確認する。最悪だ。ギザギザで長さの整わない、乱雑な前髪の自分を鏡越しに見て、当時まだ小学生だったころの自分はかなりのショックを受けていた。


「こんなんじゃ恥ずかしくて外に出られないっ」


 その日の父さんの失敗を境に私は父さんとしゃべることやめた。今にして思えば、そんなに大げさなことだったのだろうか、なんて考えてしまうけれど、そのときの自分にはとても許せないことだったのだろう。

 鏡に向かって、こんなのは私じゃない、と思った。

じゃあ、どんなのが私なの。どんな永田涼奈が私なの。はじめはそんな程度の疑問だった。でも自分が何者なのか突き詰めていけばけしてそれ以上掘り下げることの出来ない領域に行き当たることに気づく。


 どうして私は生きているのだろう?


 何を考えはじめても結局はどうしてもこの壁にたどり着く。そしてそれより先に進むことは決して無い。気味が悪くなる。

 どうしてご飯を食べるの? お腹が空くからだ。お腹が空いているのは苦しいからだ。だから、苦しくなくなるようにご飯を食べよう。

 じゃあ、どうしてお腹が空くの? それは生きるために必要だからだよ。

 じゃあ、どうして生きる必要があるの? ・・・。


 学校の先生に言うといつも適当な答えで茶を濁される。母さんに聞けば、とてもいやな目をされる。どうして? だって、意味の無いことなんてしたくないのに。一言でいいから、こういう意味があるんだよって言ってくれればそれでいいのに。なのに誰も教えてくれない。きこうとすれば、そんなこと考えるんじゃないってしかられる。考えれば考えるだけ分からなくなる。


 ねぇ、私はどうして生きてるの? どんな理由があって? それが分からないのに生き続けなきゃいけないの? どうして死んでしまってはいけないの? その理由も説明出来ないなら、死んだっていいじゃない。 死ぬとどうなるんだろう?

 無意味に生きていることがたまらなくいやになる。ただなんとなく、死んでしまえばそんな苦しみから解放されるんじゃないかっということを根拠もなく思いはじめる。


 父さんが病院に運ばれたという知らせを聞いて、病院に向かうことになった。その途中に母さんに何度も問いかける。


「ねぇ、お父さん、死んじゃうの?」


 母さんは涙ながらに黙ってうなずくだけだった。


 病室に入ると、少しやつれてはいたけど、とても死にそうには見えない父さんの姿があった。と言っても、実際ちゃんと父さんの顔を見たのは久しぶりのことだった。ひょんなことからずっといないもののように扱っていた。


「よう、相変わらずしけた面してんな、お前は」


 死というものをちゃんと理解してない私は返事をするかどうか迷っていた。そして、ようやく口を開けばこんなことを口走っていた。


「死ぬってどういうことなの? 苦しいことなの」


 母さんは心配そうに父さんに目を向ける。心配ないさ、と父さんが目で合図する。


「苦しくなんかないさ、ただ何もない自由な世界に行くだけだ」


 生きる意味の無い苦しみ。私が嫌だったのはただそれだけだった。勢いよく父さんのベットの柵につかまり、顔を輝かせて言った。


「じゃあ私も死にたい」


 そう言った瞬間、父さんのベットから突き飛ばされた。一切の手加減が無い、父さんの重い拳に、私は頭の中が真っ白になる。割れるような頭の痛みが私を圧迫し、たまらず泣き声をあげる。


「痛いよっ」

「いてぇだろ? それが生きてるってことだよ。いいか涼奈。二度とそんなこと言うな。絶対だ」

「じゃあ、教えてよっ。私はどうして生きてるのっ。何のために生きてるのっ」


 その場で泣きじゃくっていると、優しく母さんに頭をなでられる。


「涼奈、俺には生きている意味は説明できない。でもな、死にたくないって理由は説明できる。それはな、もう二度とお前に会えなくなるのが辛いからだ」

「どうして?」

「知るかよ、そんなこと。こっちが知りてえよ。何言われたって俺はまだ死にたくねぇんだよ」


 結局、その日私は父さんの言うことが理解出来なかった。次の日、父さんは息を引き取った。


 相変わらず、私は生きる意味を詮索しては徒労に終わる毎日に明け暮れていた。中学にあがってすぐの頃、父さんの部屋を整理していた母さんが小さな小包を見つけ、私に手渡してきた。中を見ると小さなヘアピンが入っていた。それをつけて鏡越しに確認してみる。

 鏡の向こうには私と父さんの姿が映っていた。


「悪かったな。うまく出来なくて。ほら、これつけときゃ、友達にも気づかれないだろ」


 鏡に映った私はひどい前髪だった。忘れるはずも無い。父さんが散発に失敗したときのあの髪型だった。ありがとう、そう言おうとして、気づいてみると父さんの姿はない。父さん、どこ?


『涼奈、俺には生きている意味は説明できない。でもな、死にたくないって理由は説明できる。それはな、もう二度とお前に会えなくなるのが辛いからだ』


 そんな父さんの言葉が頭をよぎった。おそらく父さんはこの家にまた生きて帰ってくるつもりだったんだろう。そして自分の手で、仲直りのしるしにこのヘアピンを手渡すつもりだったんだ。幼い意地っ張りがずっと会話すること拒絶していた。そうしているうちに結局、手渡すタイミングを失ったまま、会えなくなってしまった。

 もう一度父さんに会いたい。会ってちゃんと話がしたい。


 でも、もう会えないんだ。


 そう分かった瞬間に、胸がぎゅっと痛くなった。


『いてぇだろ? それが生きてるってことだよ』


 これが生きてるってこと? たとえ言葉には出来なくても生きてるって意味をこの痛みが実感を伴って私に語りかけているようだった。


 ようやく、私には生きる意味が理解できた気がした。父さんが託した思いとともに私は生きていけるような、そんな気がしていた。今まで濁り切っていた世界に目が痛いほどの光量が差し込んでいて、私は瞳を輝かせた。

 私は確信した。これは真実なのだと。私はそれを確かめるために、一人また一人と自分の考えを納得させていった。その数が高まるごとに、私は確実に真実に近づいていた。

 きっとこれで私は生きていける。ありがとう、父さん。


 でも、世界は私に残酷だった。

 無表情な女が一人、私のほうをじっと見つめている。


「痛みを感じることは生きることの必要条件であって、十分条件じゃない」


 その言葉をきいた瞬間、言いようの無い絶望感にさいなまれた。私を苦しめ続けた、生きることの無味意さが再び牙をむき、容赦なく襲い掛かって来る。そこから脱するために掲げた指針が、父の思いの全てを絶望が飲み込んでいく。

いやだ、もうあんな思いは二度としたくないっ。こいつにも真実を認めさせなければ、そうしなければ、私の生きる指針が、ひいては父さんの死に際に語ったあの思いが、全部嘘になってしまうっ。そんなこと、絶対に許すものかっ!


 私の目に深い狂気が宿った瞬間だった。


 廊下に滴る大小さまざまな赤黒い道しるべを辿りながら、死がすぐ直前に差し迫っている気配に生の本質が色濃く浮かび上がっている。私はお前を全力で否定しなければならない。機械女、倉永彩香っ。


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