第08話 部屋の秘密
「その表面に、びっしりと文字のようなものが、刻まれていた」
—— 隠された碑文
孤児院の出。
十七人に共通するものは、結局、それひとつだった。
けれど、そこから先は、何ひとつ、わからないまま。
答えの出ない問いだけを抱えて、また、時が過ぎていった。
いや、どれだけ過ぎたのかさえ、定かではない。
時計のひとつもなく、外の光も差さないこの部屋では、時の流れは、ひどく曖昧だった。
ただ、魔道具の灯りだけが、変わらぬ明るさで、十七人を照らし続けていた。
「選ばれた」という、あの言葉。
それが、重く、部屋の底に沈んだまま、誰も、動こうとしなかった。
膝を抱える者。
壁にもたれる者。
不安だけが、静かに、澱のように溜まっていく。
その沈黙を破ったのは、日に焼けた、活発そうな女性——シキータだった。
「——もう、無理!」
ぱん、と両膝を打って、勢いよく立ち上がった。
「じっと座って考えてるだけなんて、あたしには無理。ねえ、何か手がかりがないか、この部屋を調べてみない?」
その声には、淀んだ空気を吹き払うような、明るさがあった。
エルシェが、ふっと口元をゆるめた。
「……そうね。ただ待っていても、何も変わらないわ」
彼女が、皆を見回した。
「みんなで手分けして、調べてみましょう。ここから出る手がかりが、見つかるかもしれない」
その一言で、沈んでいた場が、少しだけ、動き出した。
一人、また一人と、腰を上げていった。
することがある、というだけで、人の顔つきは、変わるものらしかった。
十七人が、それぞれに、部屋の中を調べ始めた。
眼鏡をかけた女性——アネッサは、まっすぐに中央の魔法陣へ向かった。
床に描かれた、巨大な紋様。
その縁にしゃがみ込み、食い入るように文様を見つめた。
「古代の……様式。これほど入り組んだ紋様は、私も、見たことが、ありません」
文官のリノは、入口の扉と、その周りの石壁を、丹念に確かめていた。
「やはり、どこにも継ぎ目がありません。隠し扉の類は、なさそうです」
旅装のマイラは、天井を見上げたり、柱を叩いたりして回った。
「うーん、抜け道みたいなのも、なさそうだねぇ」
黒髪のシエラは、調べて回る皆から少し離れ、静かに目を閉じた。
「……この部屋、ただの石室じゃないわ。何か、わからないけれど、息を潜めている気がする」
低く、含みのある声が、響いた。
その隣で、白い装束のナリアが、そっと胸の前で手を組んでいた。
調べるというより、祈るように、あたりの気配を、うかがっていた。
誰も口には出さないが——この部屋が、ただならぬものだということだけは、皆、肌で感じていた。
クイナも、壁際をゆっくりと歩いた。
円い石の壁。
等間隔に立つ、柱。
その数を、ひとつずつ数えて、記憶に刻んでいった。
壁には、独特な織物が、いくつか、間を置いて掛かっていた。
その図柄は、どれも抽象的で、何を織り出したものか、判じがたい。
一度見たものは、忘れない。
クイナは、その一枚一枚の位置と、図柄の特徴を、順に頭の中へ収めていった。
柱は、全部で、八本。
織物は、四方の壁に、ほぼ等しい間隔で掛かっていた。
天井の高いところには、淡い光を放つ魔道具が、いくつも埋め込まれていた。
——いまは、何が手がかりになるか、わからない。
わからないなら、見えるものを、すべて、覚えておくしかない。
それが、こういうときの、自分のやり方だった。
調査が、しばらく続いた。
やがて、魔法陣に張りついていたアネッサが、小さく、息を吐いた。
「……だめ、ですね」
顔を上げた彼女の表情は、くもっていた。
「この魔法陣は、あまりにも高度で、古すぎます。私の知る、どの様式とも違う。解き明かそうとすれば、数日……いえ、何ヶ月、かかるか」
アネッサは、悔しそうに、唇を噛んだ。
古い文献を読み解くことなら、誰にも負けない——そんな自負が、その横顔には、にじんでいた。
だが、目の前の紋様は、その自負を、軽々と、超えている。
「そんなに?」
誰かが、声を漏らした。
「ええ。少なくとも、いま、この場で読み解けるものでは、ありません。これだけのものを刻んだ者が、いったい、何のために……」
言いかけて、アネッサは、口をつぐんだ。
その先は、誰も、まだ考えたくないことだった。
落胆の色が、場に広がった。
中央の魔法陣は、最も目を引く手がかりでありながら、最も歯が立たない代物だった。
「……じゃあ、ほかを当たるしかないわね」
エルシェが、気を取り直すように言った。
各人の視線が、魔法陣から離れ、部屋の別の場所へと、移っていった。
どれほどの時間が、過ぎただろう。
調べるべきものは、少しずつ、減っていった。
扉。柱。天井。床。
どこにも、出口も、手がかりも、見つからない。
残されたのは——壁に掛かった、あの古い織物だけだった。
そのうちの一枚に、近づいていったのは、アネッサだった。
色褪せた図柄を、間近で確かめようとした。
「この図像も、何か、意味があるのかも……」
指先で、そっと織物の縁をなぞった。
その時だった。
ふわり、と織物が、わずかに揺れた。
壁との間に、隙間。
その奥に——何か、あった。
「……あれ?」
アネッサが、手を止めた。
「この織物の裏……ただの壁じゃ、ありません」
彼女の声に、近くにいた者たちが、振り返った。
「どうしたの?」
「ここ……何か、彫られているような……」
アネッサが、織物の端を、そっと持ち上げた。
めくれた布の、その裏に——
石壁が、現れた。
いや、ただの石壁では、なかった。
その表面に、びっしりと文字のようなものが、刻まれていた。
幾重にも連なる、見たこともない、文様の列。
息を呑む音が、いくつも、重なった。
いつのまにか、調査の手を止めた者たちが、一人、また一人と、その壁の前へ、集まってきた。
誰もが、言葉もなく、その古い文字の列を、見上げていた。
「これ……」
アネッサの声が、震えていた。
彼女は、布を持ち上げたまま、その文字に、顔を近づけた。
「碑文……古代様式の、文字です。ここに、何かが……書かれている」
「読めるの?」
誰かが、息を詰めて、問うた。
アネッサは、文字の列を、目でゆっくりと追った。
「……少し、時間を、ください。でも、あの魔法陣ほど、複雑では、ありません。これは——読ませるために、刻まれたもの。そんな気が、します」
その言葉に、場が、ざわめいた。
手がかり。
閉じ込められてから、初めて見つかった、意味のある何か。
すがるような視線が、いくつも、アネッサと、壁の文字に、集まった。
クイナは、その背後で、静かに目を凝らした。
壁を覆う、無数の文字。
織物の裏に、隠されていた、もうひとつの顔。
——この部屋は、見た目より、ずっと多くを、秘めている。
そして、ふと思った。
壁には、織物が、何枚も掛かっていた。
もし、この一枚の裏に碑文があるのなら——
ほかの織物の裏にも、同じものが、あるのではないか。
クイナは、視線を、壁の他の織物へと滑らせた。
残り三枚の織物は、何事もなかったように、静かに垂れていた。
その一枚一枚が、いま、別の意味を帯びて、見えた。
——隠されていたのは、この一枚の裏だけ、とは限らない。
もし、四方の壁の織物が、すべて、同じものを抱えているのなら。
この部屋は、何かを、伝えようとしている。
あるいは——ここへ閉じ込めた者が、自分たちに、読ませようとしている。
そこまで考えて、クイナは、ひとつ息を吸った。
考えすぎ、かもしれない。
けれど、確かめる価値は、ある。
閉じ込められた、石の部屋。
その壁の裏に、古代の文字が、眠っていた。
——この碑文は、いったい、何を語るのか。
そして、ほかの壁は、何を、隠しているのか。
今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、
評価・ブックマークで応援いただけると嬉しいです。




