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十七人目の冒険者 ― 私への道  作者: 智信
第一部

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第05話 出口のない部屋

 光が、床全体に徐々に満ちていった。

 中央に描き出された巨大な紋様が、淡く脈打つように、輝いている。

 部屋の空気が、一変していた。


 さっきまでの、張りつめた沈黙ではない。

 堰を切ったような、ざわめきだった。


「何、これ……」


「知らない、知らない……」


「……魔法陣?」


 口々に、声が上がる。

 誰もが、その光から逃げるように後ずさり、壁際へ、壁際へと寄っていく。

 淡い光は、人を焼くでも、刺すでもない。

 ただ静かに、紋様の隅々を、満たしているだけだった。

 それが、かえって不気味だった。

 何の前触れもなく現れて、何をするでもなく、そこに在る。

 まるで、この瞬間を、待っていたかのように。


 眼鏡をかけた、知的な雰囲気の女性が、その紋様を見つめたまま、低く呟いた。


「このような図像を……古い書物で見たものに、似ています」


 声は小さかったが、ざわめきの切れ間に、妙に、はっきりと通った。


「ずっと昔の、何かの——儀式、かもしれません」


 儀式、という言葉が、空気をひとつ重くした。

 近くにいた者が、ひっと、息を呑む。

 その一言で、淡く光る紋様が、急に、別のものに見えてくる。

 ただの不思議な光ではなく、何か、意味を持って描かれたもの。

 もしかしたら、自分たちを、囲い込むためのもの——そんなふうにも、見えてしまう。


 クイナは、入口のそばに立ったまま、動かなかった。

 床の紋様に、目を凝らす。

 幾重もの環。

 絡み合う、文字のようなもの。

 一度見たものは、忘れない。

 その一つひとつを、順に、記憶へ刻みつけていく。

 ——いま、何が起きているのかは、わからない。

 わからないなら、せめて、見えるものをすべて覚えておく。

 それが、こういうときの、自分のやり方だった。


「ねえ、外へ! 出ましょう!」


 声を上げて駆け出したのは、旅装の、身軽そうな女性だった。

 短い茶色の髪を揺らし、まっすぐに、入口の扉へ向かう。

 ——たったいま、ひとりでに閉じた、あの扉へ。


 女性は、把手をつかみ、手前へ、引く。

 開かない。

 肩を当て、体重をかけて、押す。

 やはり、動かない。


「……どうして」


 女性は、把手を、何度も揺さぶった。

 しかし、扉は、びくともしなかった。

 鍵穴の、ひとつもない、ただの厚い木の板だ。

 外から、閂をかけられたわけでもない。

 それなのに、まるで岩のように、嵌まり込んで、動かない。


「開かない……開かないわ、これ!」


 その声に、何人かが、扉へ、殺到した。

 代わるがわる、押し、引き、叩く。

 肩から、ぶつかっていく者も、いた。

 結果は、同じだった。

 扉は、誰の力にも、応えなかった。


 やがて、ひとりが、ずるずると、扉の前に座り込んだ。


「嘘でしょう……なんで、こんな……」


 その声は、もう、半分、泣いていた。


 クイナも、室内を、ゆっくりと見渡した。

 窓は、ひとつもない。

 明かり取りの隙間さえ、どこにも、見当たらない。

 円い石の壁が、ただ、ぐるりと、自分たちを囲っている。

 出口は——いましがた閉ざされた、あの扉のほかに、ない。


「閉じ込め、られた……?」


 誰かの、呆然とした呟きが、落ちた。

 その一言が、引き金だった。


 悲鳴が、上がった。

 扉を叩く、鈍い音が、いくつも、重なる。

 床にへたり込む者。

 膝を抱えて、小さく震える者。

 白い装束の女性が、両手を、固く組み、目を閉じて、何かを、唱え始めた。

 胸に本を抱えた女性は、壁にもたれたまま、一言も、発しない。

 ただ、抱えた本を、ぎゅっと抱きしめている。


 恐怖は、伝染する。

 ひとりの震えが、隣へ、また隣へと、移っていく。

 張りつめた糸が、いま、あちこちで、ぷつぷつと切れていくようだった。

 しかも、ここにいるのは、互いに、名前も知らない、者どうしだった。

 寄り添うあても、ない。

 それぞれが、それぞれの怖さの中に、ぽつんと、取り残されていく。


 クイナの胸の奥でも、冷たいものが、ざわついていた。

 ——まずい。

 ただ閉じ込められた、というだけなら、まだいい。

 本当の問題は、この部屋の真ん中で、得体の知れないものが、光り続けている、ことだ。

 何のために。

 何が、起ころうとして。


 ふと、ひどく場違いな考えが、頭をかすめた。

 ——私は、この「集まり」を、調べに来たのだった。

 何が話され、何が起きるのかを、つぶさに、見て、報告するために。

 その「集まり」は、いま、目の前で、起きている。

 調べるはずだった「集まり」の中に、自分も、閉じ込められて。

 ——けれど。

 依頼で来た部外者だと、いま明かせば、どうなるか。

 張りつめたこの場では、十六人の不安は、たやすく、自分への疑いに変わる。

 いまは、黙っていよう。

 ただの、十七人の中の一人として。


 クイナは、観察を、再開した。

 恐怖に呑まれれば、見えるものも、見えなくなる。

 依頼の現場で、いくつもの厄介事を、くぐってきた。

 こういうときこそ、目を開いておくこと。

 クイナは、ひとつ、深く息を吸った。

 その時、両手をぱん、と軽く打ち合わせる音が、部屋じゅうに、静かに響いた。


 視線を音の方に向けると、背筋を伸ばした、華やかな衣装の女性が、立っていた。


「——皆さん」


 よく通る声が、ざわめきを、すっと貫いた。


「落ち着いて。お願い」


 その声には、人を、ひととき従わせる、響きがあった。

 大勢を前に、声を届かせることに、慣れた者の、声だった。


「叫んでも、この扉は開きません。叩いても、同じ。できることは、もう、みな試したでしょう?」


 彼女は、ゆっくりと、一人ひとりの顔を、見回した。


「だったら——いま、わたしたちにできることを、考えましょう」


 ざわめきが、少しずつ、引いていく。

 泣いていた者が、顔を上げる。

 扉を叩いていた手が、止まる。

 通る声と、落ち着いた物腰が、波立った水面を、なだめるように、ならしていった。


「知らない人ばかりで、こんなところに閉じ込められて。怖いのは、わたしも、同じよ」


 女性は、ふっと、口元をやわらげた。


「でも、ひとつだけ、たしかなことがある。……わたしたちは、十七人。誰も、ひとりじゃない」


 その言葉に、何人かが、小さく、頷いた。

 すがるような目が、いくつも、彼女に、集まる。


「だから、まずは——お互いを、知ることから始めましょう。名前も知らないままじゃ、相談ひとつ、できないもの」


 部屋の空気が、ようやく、ひと息、ついた。

 完全に鎮まったわけでは、ない。

 けれど、剝き出しの恐怖は、その声に、いったん、覆い隠された。


 クイナは、その一部始終を、静かに、見ていた。

 乱れきった場の流れを、一人の女性が、声ひとつで、たぐり寄せていく。

 ——あの人は、こういう場に、慣れている。

 人前に立ち、人を、まとめることに。

 クイナは、その姿を、頭の隅に、書き留めた。


 それから、視線を、もう一度、部屋の隅々へ、滑らせる。


 誰もが、多かれ少なかれ、取り乱していた。

 叫んだ者。

 祈った者。

 座り込んだ者。

 扉を叩いた者。

 さっき「儀式、かもしれません」と言った眼鏡の女性も、いまは口をつぐみ、青い顔で、紋様を見つめている。

 無理もない、とクイナは思う。

 目の前で、魔法陣が立ち上がり、出口が、ひとりでに、塞がれたのだ。


 それなのに——ただ一人。


 壁際の、あの女性だけは、最初から、何ひとつ、変わっていなかった。

 落ち着いた色合いの服を着た、整った身なりの女性。

 魔法陣が、現れても。

 扉が、閉ざされても。

 悲鳴の渦の中で、ただ、静かに、立っている。

 戸惑いも、怯えも、その横顔には、見当たらない。


 クイナの胸の奥で、ことり、と何かが小さく鳴った。

 ——おかしい。

 誰もが、はじめて目にするはずの、得体の知れない魔法陣。

 誰もが、出られないと知って、青ざめた、この部屋。

 なのに、どうして、あの人だけが、あんなに静かで、いられる?

 まるで——何が起きるのかを、すでに知っていたかのように……

 そして——これから、何が起きるのかも、知っているかのように……


 考えすぎ、かもしれない。

 張りつめた場では、人の見え方も、歪む。

 そう打ち消しかけて、けれど、クイナは、打ち消さなかった。

 引っかかったものは、覚えておく。

 あとで、間違いだったと、わかれば、それで、いい。


 クイナは、その横顔を、しっかりと、記憶に刻んだ。


 ——あの人は、何かが、違う。


 閉じ込められた、十七人。

 その中の、たった一人。

 まだ、名前も、知らないけれど。

今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、

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