第04話 十七人目
「窓は、ひとつも、なかった。外の光が差し込む隙間は、どこにも、ない」
—— 封印室
「ことり、と乾いた音を残して、閉じた。誰の手も、触れては、いなかった」
—— 昼の鐘
建物の正面に、その扉は、あった。
石の壁に、嵌め込まれた、黒ずんだ木の扉。
鍵穴は、見当たらない——不用心な扉のように、見えた。
クイナはひとつ、息を整えた。
書面にあった刻限には、まだ、いくらか、間がある。
——なら、先に、中を検めておくほうが、いい。
そう決めて、冷たい把手に、手を、かけた。
重い扉だった。
ぐ、と力を込めて押すと、低く軋みながら、扉は内側へ、開いていった。
ひやりとした空気が、最初に、頬を、撫でた。
クイナは一歩、足を踏み入れる。
円い部屋だった。
石を積んで、造られていた。
見上げるほど高い天井まで、ぐるりと円く、囲われている。
窓は、ひとつも、なかった。
外の光が差し込む隙間は、どこにも、ない。
それなのに、室内は、奇妙なほど明るかった。
高い壁の上のほうに、淡い光を放つものが、いくつも、埋め込まれている。
揺らがず、煤も出さない、静かな明かりだった。
魔道具の灯りだろう、とクイナは、見当をつけた。
部屋には、ほとんど、何もなかった。
椅子も、机も、長椅子も。
腰を下ろすための設えは、ひとつも、ない。
壁には、織物が、間を置いて、掛かっている。
その図柄は、抽象的で、何を織り出したものか、判じがたかった。
柱が、等間隔に、天井を、支えている。
時を告げるものは、どこにも、見当たらない。
時計の一つもない部屋だ、とクイナは、思った。
簡素な部屋だった。
けれど、その簡素さが、かえって、ただならぬ気配を漂わせている。
飾り気のなさは、人が暮らすための場所の、ものではない。
祭祀の場——あるいは、何かの儀式のために、設えられた場所。
そんな想像が、ふと、頭をよぎった。
——そして、人がいた。
思っていたよりも、ずっと、多くの。
部屋のあちこちで、女性たちが、思い思いに立ち、あるいは床に、座っていた。
数えるまでもなく、十を、超えている。
その誰もが、入ってきたクイナのほうへ、いっせいに、視線を向けた。
クイナは足を止めたまま、視線だけを、巡らせた。
ひとり、ふたり、と、数えていく。
一度見た顔は、忘れない。
自分のほかに、十六人。
あわせて、十七人だった。
年の頃は、みな、自分と同じか、少し、上か下か。
それなのに、ほかには、共通するものが、何ひとつ、見当たらない。
白い装束をまとった、清らかな気配の、女性。
深い藍のローブに身を包んだ、近寄りがたい雰囲気の、女性。
旅装の、身軽そうな女性。
胸に本を抱えた、内気そうな女性。
身なりも、佇まいも、まるで、ばらばらだった。
まるで、別々の世界から、一人ずつ、連れてこられたかのように。
誰も、口を、開かなかった。
十六の視線が、クイナに集まり、そして、すぐに、逸れていく。
値踏みするような、それでいて、どこか怯えたような、目。
互いが、互いを、知らない。
その気配が、部屋じゅうに、薄く、張りつめていた。
みな、似た表情をしている、とクイナは思った。
なぜ自分がここにいるのか分からない——そういう、戸惑いの顔。
不安を持て余して、視線を、さまよわせて、いる。
ただ、一人だけ、違った。
壁際に、落ち着いた色合いの服を着た、整った身なりの女性が、立っていた。
その人だけが、ほかの誰とも、気配が、違う。
戸惑いも、怯えもない。
ただ静かに、場の全体を、見渡している。
立っている場所も、動かなかった。
まるで、そこが自分の定位置だと、決めているかのように。
ほかの誰もが、ここに集められたことへの答えを探すように、視線を動かしているのに。
その人だけは、何かを探すそぶりも、見せなかった。
クイナはその姿を、頭の隅に、留めた。
——なぜ、あの人だけが、あんなに落ち着いていられるのか。
しかし……沈黙を破ったのは、また別の女性だった。
華やかな衣装を纏った、背筋の伸びた、美しい女性。
豊かな髪を緩く波打たせ、その立ち姿だけで、場の中心にいるように見えた。
彼女がまっすぐに、クイナを見て、口を、開いた。
「——あなたが、最後なのね」
よく通る、澄んだ声だった。
最後、という言葉に、クイナは小さく、引っかかった。
まるで、来るべき人数が、はじめから決まっていたかのような、言い方だった。
「あなたも、手紙を受け取って、ここへ来たの?」
手紙。
クイナの懐にあるのは、商会の依頼書と、一枚の短い書面だ。
手紙、と呼べるものかどうか。
けれど、ここで違うと言えば、話がややこしくなる。
依頼で来た部外者だと明かせば、この張りつめた場で、十六人の警戒が、いっせいに自分へ、向きかねない。
まずは、合わせておくほうが、いい。
「……ええ」
クイナは短く、答えた。
「そうです」
女性はゆっくりと、頷いた。
「そう。……あなたも、なのね」
それから、まるで何度も繰り返してきた話を、もう一度なぞるように、続けた。
「みんな、同じ手紙で、ここに呼ばれたの。差出人の名前もない、おかしな手紙よ」
室内のそこここで、女性たちが、小さく身じろぎをした。
その話なら、もう何度も聞いた——そんな顔で、視線を交わす者もいる。
どうやら、この女性が、新しく来た者にこうして尋ねるのは、これが初めてではないらしかった。
「『大切なお話があります』。そう書いてあった。でも、何のお話かは、一言も」
女性は指を折るように、ひとつずつ、挙げていく。
「日付と、場所。それに、『十七人で集まっていただきます』——人数だけは、はっきりと。そして最後に、こう。『あなたを、待っている人がいます』」
彼女は軽く、肩をすくめた。
「それだけ。怪しいこと、この上ないでしょう? それなのに、気づいたら、ここまで来ていた。……みんな、そうなんですって」
クイナは表情を変えないまま、内心で、その言葉をなぞった。
『十七人で集まっていただきます』
『あなたを、待っている人がいます』
——私の書面には、どちらも、なかった。
懐の書面にあったのは、日付と、場所だけ。
何人で集まるとも、誰が待っているとも、書かれて、いなかった。
同じ差出人のはずなのに、文面が、違う。
いや——
そもそも、自分のものは、その「手紙」とは違う。
商会を通して届いた、依頼書に添えられた、一枚の書面にすぎない。
ここにいる女性たちは、「招かれて」来た。
自分は、「雇われて」来た。
その違いが、何を、意味するのか。
まだ、分からない。
ただ、ひとつだけ、はっきりしていることが、ある。
——自分は、この「十七人」の中の一人では、ないのかもしれない。
そのときだった。
頭上の、ずっと高いところから、音が、降ってきた。
鐘の音だった。
重く、長く尾を引いて、石の壁に、響き渡る。
建物のどこか上に、鐘楼が、あるのだろう。
その姿は、ここからは、見えない。
ただ、音だけが、天井を通して、部屋じゅうに、満ちていく。
昼を告げる鐘だ、とクイナは、思った。
正午。
書面に記された、刻限。
その鐘に紛れて、背後で、何かが低く、動いた。
振り返ったのは、クイナだけではなかった。
いくつもの顔が、いっせいに、扉のほうへ、向く。
開いていたはずの扉が、ひとりでに、閉じかけている。
厚い木の板が、軋みもなく、枠へ、吸い込まれていく。
そして、ことり、と乾いた音を残して、閉じた。
誰の手も、触れては、いなかった。
部屋のあちこちで、息を呑む音が、した。
けれど、皆の視線は、すぐに、別の一点へ吸い寄せられた。
部屋の、中央。
何もなかったはずの、石の床。
そこに、淡い光が、にじみ出していた。
光は、線になり、線は、円を、描いた。
円の内側に、見たこともない文様が、次々と、浮かび上がっていく。
幾重もの環。絡み合う、文字のようなもの。
古い、それでいて、ぞっとするほど精緻な、ひとつの巨大な紋様。
魔法陣だった。
石の床から滲み出した光が、紋様の隅々までを、ゆっくりと、満たして、いく。
誰かが、悲鳴のような声を、上げた。
誰かが、後ずさる。
床に座っていた者が、慌てて、立ち上がった。
張りつめていた沈黙が、一瞬で弾け、部屋が、ざわめきと足音に、呑まれて、いく。
クイナだけが、動かなかった。
いや、動けなかった、というほうが近い。
足の裏から、ぞわりと、冷たいものが、這い上がってくる。
——何かが、始まった。
そう、直感した。
この部屋へ、自分は、調査のために、来た。
その、調べるべき「集まり」が——こうして、目の前で、始まってしまった。
光を放つ紋様の中央で、空気が、かすかに、震えていた。
——いったい、何が、始まろうとしているのか。
まだ、誰も、知る由もなかった。
初日は4話連続掲載でしたが、これで本日の投稿は最後になります。
明日からは7月末まで毎日19時投稿の予定となっています。
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