第35話 私の報酬
「——あなたは、ルクスの、おさななじみ、ね」
その、ちいさな一言が。
ピッパのこれまでを、やさしく、解き放った。
ピッパの目から、涙が、とめどなく、あふれ出す。
こらえることも、忘れて。
ただ、ぼろぼろと。
「……っ、そう……そう、よ」
声が、震えて、言葉に、ならない。
「私は……あなたの、あなたの、おさななじみ。……ずっと、ずっと、あなたを、あなたを、迎えに、来たかった」
ピッパは、くずれるように、膝をついた。
そして、その両腕で、ちいさなルクスを、強く、抱きしめた。
「——おかえり、ルクス。……おかえり」
ルクスは、何が、起きているのか、分からない、というように、きょとんと、していた。
けれど、やがて、その温かさにつられるように……ふにゃ、と、笑った。
「……ただいま?」
その、無垢な一言に。
ピッパの涙が、また、あふれた。
たった一人で、抱えてきた、その重さが。
いま、腕の中の、ちいさな体温に、すこしずつ、すこしずつほどけていく。
ピッパは、何度も、何度も、その髪を撫でた。
ルクスがここにいる。
そのことを、強く、確かめるように。
——気づけば。
十五人が、ふたりを、囲んでいた。
「ごめんなさい……ずっと思い出してあげることができなくて」
コルテが、悔しさを振り払うように、笑顔で伝えた。
「あなたの、お名前……今度は、もう、忘れません。ぜったいに」
リノが、ルクスの手を、両手で、そっと、包んだ。
「ほんとうに……ここに、いるんだ、ねぇ……」
マイラが、のんびりした声を、涙で、詰まらせた。
「もう……どこにも、行かないで、ね」
ユーニアが、ルクスの、そばに、ぴたりと、寄り添った。
誰もが、涙ぐみ、笑い、ルクスへ、手を伸ばす。
ばらばらの土地で、ばらばらに、生きてきた、十六人が。
いま、ひとりの、ちいさな子を、まんなかに。
ひとつの、温かな輪に、なっていた。
クイナは、その輪を、すこし、外から、見ていた。
——よかった。
心の底から、そう思った。
自分は、この輪には入れない。
けれど、それでよかった。
この光景を、見届けられた。
——それだけで、十分だった。
ふしぎな、気分だった。
いちばん深く、この部屋で推理したのは、自分なのに。
その結末の、いちばん幸福な輪のなかに、自分だけがいない。
——けれど、それは、不思議と寂しくはなかった。
欠けていたひとりが、こうして満たされて。
ばらばらだった円が、ようやく、本当の意味で、閉じていく。
それを、外から、見届けること。
それは、たぶん——輪の外に立つ者にだけ、許された、役目であり、特権だった。
その時。
ルクスの、おおきな瞳が、ふと、輪の外にいるクイナを捉えた。
ルクスは、こてんと、首を、かしげる。
——知らない、おねえさん。
その顔は、そう、言っていた。
当然だった。クイナは、あの日、あの場所に、いなかったのだから。
それでも、ルクスは、にこ、と笑って、ちいさく手を振った。
クイナも——ほんの少しだけ口元をゆるめて、小さく振り返した。
そして、時間が経ち、皆が落ち着いた頃。
ピッパが、ルクスをそっとシエラたちに預けて、そして——クイナの、ほうへと向き直った。
その顔は、涙に、濡れていた。
けれど、そのまなざしは、どこまでも澄んでいた。
「クイナ」
ピッパが、名を呼ぶ。
「……本当に、ありがとう。私たちを、ここまで、導いてくれて」
クイナは、静かにピッパを見返した。
「あの時、あなたに言いましたね。——『あなたを、選んで、正解だった』と」
ずっと、宙に浮いたままだった、問い。
ピッパは、ゆっくりと答えはじめた。
「この儀式を、もう一度、なぞるには——十七人目が、必要だったの」
クイナは、その声に、深く耳を傾けた。
「そして、ルクスの存在を、みんなに、思い出してもらうための……先導役が、必要だった」
懺悔のような口調だった。
「でも、それは、私では、だめだった」
クイナは、ピッパの瞳を、深く見つめた。
「だって、私は——もう、ぜんぶ、思い出して、しまっている。何も覚えていない、みんなにとって、そんな私は、ただの……異物でしか、ないの」
ピッパも、クイナの瞳から、目を逸らさなかった。
「私が、どれだけ『ルクスがいた』と、訴えても、きっと、純粋には、受け入れて、もらえない。……心の底からは、信じて、もらえない」
クイナは、ただ、黙って、聞いていた。
「だから——あなたに、来てもらったの、クイナ」
ピッパの声に、確かな、熱が、こもる。
「何の、先入観もない、部外者。なのに、誰よりも、鋭い目を、持つ人。……あなたの、その記憶力と、推理に、私は、賭けた」
あぁ、そうだったのか、とクイナの心の水面が震えた。
「そして——その賭けに、私は、勝った」
ピッパは、もう一度、深く、頭を、下げた。
「本当に、本当に、ありがとう、クイナ」
この人と私は同じだ。
「だから、私は……あなたなら、必ず、見つけてくれると、信じられたの」
頭を、上げて。
ピッパは、もう一度、クイナの目を見た。
「……あなたも、ずっと、一人で、その目で、世界を、見てきたのね」
それは、問いでは、なかった。
——たった一人、世界の中で、ひとりの少女を、覚えていた。
——たった一人、この部屋で、ひとりの少女を、探していた。
その人にだけ分かる、静かな共感だった。
クイナは、すぐには、言葉を、返さなかった。
ただ、その感謝を、静かに胸の奥で受け止めた。
——淡々と。
けれど、確かな手応えが、そこにあった。
「……いいえ」
ようやく、クイナは、口を、開いた。
「私は、依頼を、受けて、それを、果たした。それだけ、です」
けれど、その声は。
いつもより、ほんの少しだけ、やわらかかった。
ピッパは、その不器用な答えに。ただ、やさしく、微笑んだ。
その微笑みが、何よりの、ねぎらいだった。
再会の輪が、ふたたび、笑い声に、包まれていく。
その光景を、見つめながら。
クイナは、心の中で、すべてを、ひとつずつ、整理していった。
——二十年前に誰の記憶からも、消されていた、ひとりの子。
その子のことを、たった一人、思い出した人がいた。
あきらめずに、何年も、何年も、準備を続けた人がいた。
……あきらめなかった人がいた。
ただ消えてしまった幼なじみひとりのために、世界の理不尽そのものへ抗い続けるなど、ほんとうに、気の遠くなるような道のりだったはずだ。
——そして、十五人。
忘れることを強いられ、遠い土地へ引き裂かれてもなお、それぞれの胸の底に消えずに残っていた小さなぬくもり。
そのぬくもりに眠っていた、ばらばらの記憶のかけらを、ひとつずつ、ひとつずつ、手繰り寄せて。
そして、ここまで、辿り着いた。
——私は。
誰の記憶にも、いなかった。
ほんとうの、部外者だった。
けれど。
——部外者だったからこそ。
みんなが、見落としていた『もう一人』を。
外から、冷たく、見つめることで、推理で、論理で、証明することができた。
消された存在を。
言葉と、筋道だけで、手繰り寄せる。
その手伝いが——できた。
ずっと、疎ましいと思っていた、この記憶力。
——誰かを、取り戻すために、使われた。
それは、たぶん。
クイナが、ずっと、知らないまま、探していた、答えだった。
ひとつも、忘れられない、この記憶力が、いったい、何のためにあるのか。
——誰かが、忘れ去られて、しまわないように。
誰かが、消されたまま、終わって、しまわないように。
そのために、あったのだ。
そう、いま、はじめて思えた。
クイナは、そっと懐の依頼書に触れた。
——私にとって、これは。
依頼、だった。
そして、その依頼は。
——いま、確かに、果たされた。
ちいさなルクスが、きゃっきゃと、笑っている。
その声を、聞きながら。
——もう、この子を、誰も、忘れない。
二十年前に断ち切られた糸が、いま確かに結び直されたのを見届けられたことが、クイナには、何より誇らしかった。
クイナは、胸の内で、そっと、結んだ。
——冒険者は、あきらめなかった、と。
これにて第三部の終了となり、クイナの物語も終演となります。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
次はエピローグになりますので、できればお付き合い、よろしくお願い致します。
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