第34話 あの子の思い出を
「ひとつの名前が、一斉に、戻ってきた」
—— 名前の復活
ピッパの告白が、終わっても。
部屋には、まだ、あの祈りのような声の余韻が、漂っていた。
——彼女を、取り戻すために。
その願いが、ひとつ、またひとつと、十五人の胸の奥で眠っていた、記憶の扉を、叩いていく。
ピッパが、長い年月をかけて守り抜いた想いが呼び水になって、忘却の枷の下で凍りついていた記憶が、いま静かに、溶けはじめていた。
最初に、口を開いたのは。
祈るような佇まいの、コルテ、だった。
「……思い出しました」
その声は、小さく。けれど、確かだった。
「こわくて、みんなで、手を繋いで、祈った時。私の、となりで。あの子も、ちいさな手を、合わせて。……一緒に、祈って、くれた」
その、瞬間。
部屋の中央——古い魔法陣の、そのまんなかに。
ちいさな、光のかけらが、ひとつ、灯った。
クイナは。
その光景を、輪の、すこし外から、見ていた。
——自分は、あの日の記憶を、持っていない。
だから、この輪には、入れない。
けれど、その目は、まっすぐに、魔法陣のまんなかに灯った光を、見つめていた。
この奇跡をたぐり寄せたのは、ほかでもない、自分の積み上げた推理だった。
なのに、その輪の中に、自分の居場所だけが、ない。
——それでも、クイナは、目を逸らさなかった。
「私も」
本を抱えた、ミュリエルが、続く。
「私の、お話を。いちばん前で、目を輝かせて、聞いてくれた。『つづきも、ききたい』って。……あんなに、うれしそうに」
ふわ、と。
光のかけらが、もうひとつ、増えた。
「私、タロットカードを、引いてあげたの」
黒髪のシエラが、目を、細める。
「出たのは——『太陽』。あの子、ぱあっと、顔を輝かせて。何度も、何度も、笑ってた」
「私の、種を、見て」
モアが、訥々と。
「『ちいさいのに、おおきくなるんだね』って。……ほんとうに、うれしそうに」
ひとつ、またひとつ。
語られるたびに。
まんなかの光は、すこしずつ、数を増し、明るさを、増していく。
「私の、舞を、見たあと」
ナリアが、そっと。
「そう。あの子、自分から、名前を、教えてくれたの。高い、はずむような声で。『また、踊ってね』って。くるくる、回る真似を、して」
「口笛を、教えたら」
サリーシアが、おっとりと、笑う。
「一生懸命、真似して。……音が、出なくて。二人で、笑ったわ」
「私の、指人形のお話に」
アイリーンが、やわらかく。
「いちばん、夢中に、なって。一緒に、物語の続きを、作ってくれた」
「私が、魔法陣の模様を、なぞってたら」
マイラが、のんびりと、けれど、その目に、涙を浮かべて。
「隣で、いっしょに、おなじ模様を、なぞってた、なぁ」
「私のミサンガ、綺麗だねって、言ってくれた」
ユーニアが、指先を、見つめる。
「『どうやって編むの?』って。……私が、こうだよって、教えてあげると、一生懸命に、編み方を覚えようとしていて」
「こわがってた、あの子の、頭を」
リオナが、ゆったりと。
「私、撫でてあげたの。『だいじょうぶ』って。……そしたら、ふにゃって、笑って」
「あたしの、お守りを、見せたら」
シキータが、唇を、噛んで、笑った。
「『ふわふわ?』って。動物の話で、盛り上がったんだ。……ちっちゃい子、なのに。目が、きらきら、しててさ」
光は、もう。
まんなかで、はっきりとした、かたまりに、なっていた。
やわらかく、脈打つように、ゆれている。
「私の、歌に」
エルシェが、胸に、手を当てる。
「『うた、きれい』って。一緒に、サビを、口ずさんだ」
「『光』の字を、書いて見せたら」
リノが、静かに。
「『もじ、おどってる!』って。……あんなに、無邪気に、感心してくれた子は、いなかった」
「私の、リズムに」
フィオラが、指で、とん、と膝を打った。
「もうひとつの、メロディを、口ずさんで。合わせて、くれた。……指先が、合った、あの瞬間」
そして。
最後に。
「私が、碑文を、読んでいたら」
アネッサが、眼鏡の奥の目を、潤ませた。
「隣に、来て。一緒に、ずっと、眺めてた。……自分の『好き』を、共有してくれた子。それが、私の、——あの子の、記憶」
その言葉が、落ちた、瞬間。
まんなかの光が——ぐっと、強さを、増した。
ばらばらだった、かけらが。ひとつに、寄り集まって。
——人の、輪郭を、描きはじめる。
けれど、まだ。
その姿は、ぼんやりと、揺らいでいた。
最後の、ひとかけらが。足りなかった。
——その時。
ずっと、黙って、立っていた、ピッパが。
静かに、前へ、進み出た。
「……最後は、私ね」
ピッパは、まんなかの光を、見つめた。
その目に、長い年月の想いが、にじむ。
「私は、ひとりぼっち、だった。裏庭の、隅っこで。いつも、ひとりで、遊んでた」
まんなかの光に、語りかけるように、伝えていた。
「そんな私に。あの子は、ある日。『なにしてるの?』って、話しかけてきたの。……なんの、理由も、なく」
それは、記憶の中の、あの子に語りかけるように。
「それから、私たちは。いつも、二人で、いた。くだらないことで、笑って。……あの子は、私の、たった一人の、幼なじみに、なった」
ピッパの声が、震える。
「あの日。祭壇で。代償に、選ばれたのは——私、だった」
振り絞るように。
「こわくて、動けない、私を。あの子は——庇って、前に、出た」
心の奥からの声で。
「その瞬間。あの子は、私の代わりに。世界から……消えた」
ピッパの頬を、涙が、つたう。
「あの子を、覚えているのは、世界で、私、ひとり、だけ、だった。……だから、決めたの。何年、かかっても。絶対に、取り戻すって」
その想いの、ありったけを、込めて。
ピッパは、まんなかの光へ、両手を、差し伸べた。
今日までの彼女は、たったこの一言を、言うためだけに、生きてきたのかもしれなかった。
「——おかえり」
その、瞬間。
最後の、ひとかけらの光が。
ピッパの手から、こぼれるように、まんなかへ、加わった。
光が——人の、形に、なる。
ちいさな。幼い、女の子の、姿に。
その姿を、十六人が、見た、瞬間。
——かちり、と。
何か、最後の鍵が、外れる音が、した。
名前だけは、ずっと、思い出せないままだった。
顔も、声も、思い出しても……その名前だけは、誰の口にも、のぼらなかった。
それは、世界から、消されたかのようだった。
名前を奪われた、顔のない『あの子』。
それが——いま。
光の姿を、見つめる、十六人の胸の奥に。
ひとつの名前が、一斉に、戻ってきた。
どこか遠くで、鐘の音が——鳴った。
誰が、言い出すでも、なかった。
ただ、戻ってきたその名前が、十六の唇から、自然に、こぼれ落ちた。
そして。
十六の声が、ひとつに、重なった。
「「「「「「「「「「「「「「「「ルクス」」」」」」」」」」」」」」」」
その名が、呼ばれた、瞬間。
まんなかの光が、はじけた。
不意の閃光に、閉じてしまった瞼をあげると、そこには——ちいさな、女の子が、立っていた。
きょとんと、した顔で。
何が、起きたのか、分からない、というように。
きょろきょろと、まわりを、見回している。
ちいさな手が。
ちいさな足が。
とくとくと脈打つ、いのちが。
たしかに、そこに、あった。
二十年前、世界からまるごと消し去られたはずのその子が、いま、誰の目にも見える姿で立って、息をしている。
ありえない、はずのことだった。
——けれど、それは、確かに、起きていた。
誰も、声を、出せなかった。
夢を、見ているような。
その奇跡に、十六人は。ただ、見入っていた。
——クイナも。
輪の、外で。息を、するのも、忘れて、立ち尽くしていた。
消されたはずの、ひとりが、いま、確かに、そこにいる。
やがて、その子の、大きな大きな瞳が、ひとりの女性に——ぴたりと、止まった。
ピッパ、だった。
こてんと、首を、かしげて。
それから、にこっと、笑って、言った。
「——あなたは、ルクスの、おさななじみ、ね」
ピッパの、目から。
涙が、あふれ、こぼれ落ちた。
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