第29話 もうひとり
クイナは、ゆっくりと顔を上げた。
十六人の視線が、いまも、自分ひとりに突き刺さっている。
——「私は首謀者ではない」。
そう叫んだところで、無駄だ。
部外者である自分が、いくら言葉を重ねても、それを裏づける手立てはない。
ないものを「ない」と示すのは、どこまでいっても、相手の気分次第だからだ。
だったら。
クイナは、ひとつ、息を整えた。
——守ってばかりでは、いられない。
「……ひとつ。皆さんに、聞きたいことが、あります」
その声は、さきほどまでの、追い詰められた響きとは、別のものになっていた。
「私を疑うのは、あとにしてください。その前に——皆さんの記憶は、本当に、辻褄が合っていますか?」
その問いに、十六人が、いっせいに、訝しんだ。
「私が首謀者かどうかより……それよりも、もっと、おかしなことが、あるんです」
クイナは、まっすぐに、シエラへ目を向けた。
「シエラさん。あなたは、さっき、言いましたね」
シエラが、びくりと、肩を揺らす。
「昔、この場所で、誰かに、あのタロットカードを引いてあげた。……でも、その相手が、どうしても、思い出せない、と」
「……ええ」
シエラが、戸惑いながら、頷いた。
「確かに、そう言ったわ」
「では、聞かせてください。シエラさん、この中に、そのタロットカードを引いてあげた相手は、いますか?」
クイナは、輪の全員を、ゆっくりと見渡した。
「もしくは……この中に。シエラさんに、カードを引いてもらった人は、いますか?」
沈黙が、落ちた。
シエラも、誰も、答えない。
「占いを、見ていた。その覚えのある人は、何人もいるはずです。……でも、私が聞いているのは、そうじゃない。引いて『もらった』、その当人です」
誰の手も、挙がらなかった。
顔を見合わせ、ためらい、けれど、名乗り出る者は、ひとりも、いない。
「もう、ひとつ」
クイナは、今度は、フィオラへ向き直った。
「フィオラさん。あなたも、言いました。自分のリズムに、鼻歌を合わせてくれた子の、ほかに。もう一人、別の、綺麗なメロディを口ずさんでいた、誰かがいた、と」
「……言った、わ」
フィオラの声が、かすれる。
「鼻歌の子は、エルシェだと、分かった。でも——その、もう一人は」
クイナは、もう一度、輪の全員を、ゆっくりと見渡したあと、再びフィオラへと向き直った。
「その、もう一人は、いま、この中に、いますか?」
フィオラが、必死に、記憶をたぐる。
けれど、その表情は、すぐに、行き場をなくした。
「……分から、ない。顔も、名前も……出てこない」
クイナは、小さく、頷いた。
「シエラさんの『引いてあげた相手』。フィオラさんの『もう一人の声』。——別々の記憶のはずなのに。どちらも、おなじことを、指している。この中にいない、誰か、を」
ざわめきが、波のように、ひろがった。
「皆さんの思い出は、繋がりがありました」
クイナは、その動揺を、静かに受け止めながら、続けた。
「誰かの記憶が、別の誰かの記憶と、噛み合って。そう、それは鍵と鍵穴のように。そうやって、ひとつずつ、記憶の扉が開いてきた。……でも」
そして、告げた。
「シエラさんの鍵にも、フィオラさんの鍵にも。合う鍵穴が、この部屋には、ありません」
けれど——綻びは、それだけでは、なかった。
クイナは、そっと、目を閉じた。
頭の奥に刻んだ、この部屋でのすべてを、もう一度、めくっていく。
「アネッサさんの、すぐ隣で、おなじものを覗き込んでいた、誰か」
クイナは指を折る。
「アイリーンさんと、いっしょに物語を作っていた子」
ひとつ、ふたつ。
「サリーシアさんの、口笛を、おなじように真似ようとした子」
みっつ。
「ナリアさんに、自分の名を教えてくれた、もうひとり」
よっつ。
「モアさんの、種を見て『おおきくなるね』と笑った子」
いつつ。
「ミュリエルさんの、お話を、いちばん前で聞いていた子」
クイナは、目を、開けた。
「皆さんは、おたがいを、見つけ合いました。……それなのに、その結びつきから、ひとりずつ、こぼれ落ちていく影が、ある」
そして、全員を見渡す。
「どの記憶にも。みんなを結び終えた、そのあとに。まだ、立ちつくしている、もう一人が」
クイナは、確信を持って、伝えた。
「そして——その影は、いつも、おなじ輪郭を、しているんです」
今度こそ、部屋が、大きく、揺れた。
「……言われてみれば」
「私の、『その子』も。……ここにいる、誰でもない、気がする」
「あたしの、覚えてる、あの子も……」
ひとり、また、ひとりと。
自分の記憶の奥を、覗き込むような、顔になっていく。
誰の胸にも、ひとり分の、空白があった。
ばらばらだったはずのその空白が、いま、いっせいに、ひとつの像へと、重なりはじめている。
「思い出して、ください」
クイナの声が、その、ざわめきを、まっすぐに貫いた。
「皆さんが受け取った、あの手紙。あそこには、なんと、書いてありましたか」
エルシェが、はっと、息を呑んだ。
「……『十七人で、集まっていただきます』」
「そう、十七人です」
クイナは、ふたたび、輪を見渡す。
「でも——手紙を受け取って、ここに集まったのは。皆さん、十六人。私は、手紙ではなく、依頼で来た。この十七人には、数えられません」
それは、自らを、輪の外へ、置く言葉だった。
けれど、いまは、それでいい。
「では——手紙が告げた、十七人目は?」
誰も、答えられない。
「皆さんの記憶の中の、その子。もしも、その子が、もし、ぜんぶ、おなじ、ひとりだとしたら」
クイナは、ひと呼吸、置いた。
「あの日。この部屋には、十六人の輪の、外に。——もう一人。十七人目が、いたのでは、ないですか?」
しん、と。
部屋が、静まりかえった。
「……でも」
ためらいがちに、声を上げたのは、サリーシアだった。
「私たちみんなの、ただの、覚え違いかも、しれない。……思い出したばかりの記憶で、しかも、二十年も、前のことなのよ」
もっともな、ためらいだった。
何人かが、すがるように、頷く。
——覚え違いで、あってほしい。
その顔は、そう言っていた。
クイナは、静かに、首を横に振った。
「ひとりの覚え違いなら、私もそう思います。……でも、覚え違いは、ひとりじゃない」
「シエラさん、フィオラさん、アイリーンさんに、サリーシアさん。……何人もの、別々の記憶に、あの日の記憶に、ここにいないひとりがいる。そんな覚え違いが……こんなにも、きれいに、重なりますか?」
サリーシアが、そっと、口をつぐんだ。
その沈黙が、答えの代わりだった。
その言葉が、落ちた瞬間。
部屋じゅうの空気が、ひとつの方向へ、ぐっと、傾いた。
——もし、十七人目が、いたのなら。
クイナの胸の奥で、声にならない問いが、ひとつ灯った。
——その十七人目は、私かもしれない。
もしかしたら、私だけで、あの日の記憶を取り戻せていないのかもしれない。
私は、ただの部外者じゃないのかもしれない。
ほんとうは、皆と同じ、そう、あの日、あの場所にいた、ひとりなのかもしれない。
それは、確かめようのない、ただの願いだった。
依頼書を握って来た自分には、本当は、似合わない望みだ。
——けれど。
その願いが、冷えきっていたクイナの背を、まっすぐに、起こした。
「だから。——私に、整理させて、ください」
クイナは、もう、追い詰められた部外者の顔を、していなかった。
「その十七人目が、誰なのか。それさえ分かれば、皆さんの記憶の食い違いも、ぜんぶ、答えがみつかるはずです」
いつのまにか、クイナひとりへ向いていた疑いの矢が、その向きを変えはじめていた。
十六人の関心は、もう、「この部外者は誰か」ではなく。
「思い出せない、もう一人は、誰か」へと、移っている。
「……教えて。あなたは、何から、整理したいの」
エルシェの答えに、何人かが、頷いた。
さっきまで、クイナを責めていた、その同じ口が。
いまは、答えを、求めていた。
不思議な、ことだった。
部外者だと、責められていたはずの自分に、いま、十六人が、頼ろうとしている。
——輪に入れない場所からしか、見えないものがある。
クイナは、胸の内で、そっと、そう繰り返した。
しかし、その輪の中で、ただひとり、ピッパだけが、何も言わず、静かにクイナを見つめていた。
その瞳に、ほんの一瞬。
——感心とも、用心とも、つかない、何かが、よぎる。
けれど、それは、誰にも気づかれないまま、すぐに、おだやかな表情の下へ、沈んでいった。
十七人目とは、誰なのか。
そして——それは、本当に、クイナ、なのか。
答えを求めて。
クイナの推理が、いま、静かに、動きはじめた。
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