第28話 あなたは、誰?
「あなただけが、誰の記憶にも、いない」
—— 首謀者の疑い
「——あなたは、誰?」
その問いは、宙に留まったまま、誰の手にも、拾われなかった。
けれど、答えのない問いほど、人の心を、ざわつかせるものはない。
十六人の輪と、その外に立つ、ただひとり。
その隔たりを、見つめるうちに。
皆の戸惑いは、少しずつ、別の色へと、変わっていった。
最初に、それを口にしたのは、エルシェだった。
「……ねえ。あなた、もしかして」
エルシェの声に、ためらいと、押し殺した警戒が、にじむ。
「今回の、これを……私たちを、ここに集めた——その、張本人なんじゃ、ないの?」
その言葉が、引き金になった。
「そう……言われてみれば」
「私たちは、みんな。ここにいた、記憶がある」
「でも、あなただけは。何も、思い出さない」
ついさっきまで。
皆で、手を繋いで、笑い合っていた。
その温かさが、ほんの一瞬で。
ひとりの「外の人」への、疑いへと、裏返っていく。
ざわめきが、波のように、広がっていく。
「あなただけが、誰の記憶にも、いない」
「だったら——あなたが、私たちを、閉じ込めた。そういう、ことなんじゃ?」
クイナへ向けられる視線が、ひとつ、またひとつと、鋭さを増していく。
シエラが、静かに、目を細めた。
「……たしかに。あなたからは、私たちとは、ちがう。そんな、気配がする」
「あたしも、感じてた」
日焼けしたシキータが、続ける。
「なんだか……ひとりだけ、別の場所から来た、みたいな」
——ピッパは。
クイナは、ちらりと、その姿を、視界に入れた。
輪の中で、ピッパは、ただ静かに、成り行きを見守っている。
何も、言わない。
クイナは、ゆっくりと、息を吸った。
「……違います」
懐に手を入れ、一枚の紙を、取り出す。
「私は、依頼を受けて、ここに来ただけです」
それは、一枚の、依頼書だった。
「私は、冒険者です。商会からの指名依頼で、この場所の調査を請け負った。それだけです」
皆の視線が、その紙へ、集まる。
けれど、空気は、ゆるまなかった。
——それに。
口にしながら、クイナ自身、分かっていた。
この依頼が、ふつうでは、ないことを。
依頼人とは、一度も、顔を合わせていない。
依頼の中身も、ここへ来るまで、伏せられていた。
そんな一枚の紙が、どれほどの証明に、なるだろう。
「……でも、おかしいわ」
エルシェが、眉を、ひそめた。
「最初に、私が、聞いたでしょう。『あなたも、手紙を受け取って、ここに来たの?』って。あの時。あなたは、『ええ』と頷いた」
その指摘に、クイナの息が、一瞬、止まった。
——封印室に、初めて足を踏み入れた、あの時のことだ。
「依頼書で、来たのなら。どうして、あの時。手紙だと、嘘を、ついたの?」
クイナは、言葉を、探した。
「それは……話を、合わせた方が、いいと。そう、思って……」
「話を、合わせた?」
エルシェの声が、硬くなる。
「どうして、そんな、必要が、あるの。やましいことが、あるから、じゃないの?」
——本当は。部外者だと、知られたくなかった。
ただひとり、依頼で呼ばれた、よそ者。
そう見られた瞬間に、輪から、弾かれる。
あの時、確かに、そんな予感が、あった。
——そして、その予感は、いま。最悪のかたちで、現実になっている。
「……そういえば」
別の声が、上がった。
「あなた、ずっと、黙っていた、よね」
皆が、その言葉に、頷く。
「あたしたちが、思い出していく、そのあいだ……あなたは、ただ、じっと、見ていた」
シキータの、まっすぐな目が、クイナを、とらえる。
「まるで……あたしたちが、どう動くかを、最初から、知っていた、みたいに」
その一言が、場の空気を、決定づけた。
クイナは、何か、言おうとした。
けれど。
どんな言葉も、いまは、言い訳にしか聞こえないだろう。
その確信が、喉もとで、声をせき止めた。
「依頼書、なんて……どうにでも、用意できる」
「あなたが、私たちを、ここに集めて……私たちの記憶を、もてあそんでいるんじゃないの?」
疑いが、疑いを、呼ぶ。
十六人の目が、すべて。
自分ひとりに、突き刺さっている。
味方は、いない。
この部屋で、クイナの言葉を、信じてくれる者は。
ただの、ひとりも、いなかった。
クイナは、唇を、引き結んだ。
——まずい。
このままでは、何を言っても、信じてはもらえない。
冷たい汗が、背を、伝う。
けれど、その一方で。
追い詰められた思考が、奇妙なほど、研ぎ澄まされていくのを、クイナは感じていた。
——落ち着け。
——いま、私に、できることは、ひとつ、しかない。
クイナは、ふっと。
自分を取り巻く、疑いの声から、意識を、切り離した。
そして、静かに、目を、閉じる。
その、唐突な仕草に。
いきり立っていた何人かが、不審げに、口をつぐんだ。
頭の奥に、刻みつけた、この部屋でのすべてが、そこにあった。
各人の、言葉、表情。
記憶がよみがえったその瞬間の、空気。
自分の中の記憶を、一枚、また一枚と、めくっていく。
壁の碑文に、触れた、アネッサ。
指で、床を、叩いた、フィオラ。
古いひと文字を、なぞった、リノ。
お守りを、握りしめた、シキータ。
切れたミサンガ。
小さな種。
タロットカード。
絵本の物語。
そして、手を繋いで、祈った、輪。
ひとりひとりが、握っていた、記憶の、かけら。
それが、たがいに、噛み合って。
鍵と、鍵穴のように。ひとつ、またひとつと、扉を開いていった。
クイナは、その、すべてを。
ひとつも、こぼさず、覚えている。
紙には、書いていない。
その必要は、なかった。
見たものは、忘れない。
聞いたことも、忘れない。
それが、クイナの、ただひとつの、武器だった。
疑いの声が、すこしずつ、遠ざかる。
クイナの意識は、いま、この部屋ではなく、積み上げてきた記憶の、その奥へと潜っていった。
——どこかに。
——何か、引っかかるものが、あったはずだ。
めくり続ける、記憶の中で。
ふと、一枚が、ほかと、噛み合わずに、浮き上がった。
——シエラの、タロットカード。
あの時。
シエラは、言った。
『昔、このタロットカードを、ここで、引いてあげた』と。
明るい光を、放つ、円い、意匠……『太陽』の、カードを。
けれど。
それに応えた者たちは、皆、占いを「見ていた」と、言っただけだった。
——あの時も、クイナは、かすかな引っかかりを覚えた。
ほかの連鎖は、どれも。誰かの記憶と、誰かの記憶が、ぴたりと、対になっていた。
なのに、シエラの、タロットカードだけは。
差し出された鍵に、合う鍵穴が、どこにも、なかった。
シエラに、カードを「引いてもらった」その相手は。
——この部屋の、どこにも、いなかった。
クイナは、目を、開けた。
ざわめく十六人の顔を、ひとりずつ、見渡していく。
その、誰の顔とも。
あの時の「相手」は、重ならない。
何度見比べても、結果はおなじだった。
追い詰められた末に、たどり着いた、ひとつの問い。
それは、皮肉にも。
自分を疑う、この十六人の、誰ひとり気づいていないものだった。
窮地のなかで、初めて。
クイナの目は、皆が見落としていた、ひとつの違和感に、焦点を結んでいた。
——守ってばかりでは、いられない。
この違和感を、手繰っていけば。
あるいは、この状況を、ひっくり返す糸口に、なるかもしれない。
恐れは、まだ、胸の底にある。
けれど、それ以上に。
冒険者としての、冷たい好奇心が、静かに、頭をもたげていた。
そして、それは、恐れを押しのけるように、クイナの思考を、ただ一点へと導いていった。
——シエラが、カードを、引いてあげた、その相手。
——それは、いったい、誰、だったのか。
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