第27話 輪
「手と手の、途切れることのない、ひとつの輪」
—— 十六人の輪
「——あなたは、誰?」
—— あなたは誰?
祈りの輪の、温かな記憶が。
まだ、部屋いっぱいに、満ちていた。
手を繋いで、たがいの無事を祈った、遠い一日。
それを思い出した皆は、口々に、あの輪の並びを、手繰りはじめていた。
自分の右には誰がいて、左には誰がいたのか。
二十年前の、あの日の、並びを。
——その、ざわめきのなかで。
穏やかな声が、すっと通った。
「あの輪の中で。私の、となりにいたのは……誰だったかしら」
ピッパだった。
その言葉に、皆の視線が、自然と、彼女へ集まる。
「また……」
ピッパが、ゆっくりと両手を広げた。
「……また、あの日みたいに、もう一度。輪になってみない?」
その提案に、皆の表情が、ぱっと明るくなる。
あの温かな輪を、もう一度。
誰の胸にも、その心地よい予感が、広がったようだった。
「私の右手は……サリーシアさん。あなただったわよね」
ピッパが、右隣に立つサリーシアへ、手を差し出す。
サリーシアが、ふっと口元をゆるめた。
「ええ。私だった。よく、覚えてるわ」
しなやかな手が、ピッパの右手を握り返す。
「そして、左手は……」
ピッパが、左へ向き直る。
その視線が、隣の女性をとらえた。
「リオナさん。あなただったわよね」
品のある装いのリオナが、きょとんと目をしばたたいた。
「……あ。そう、だったかも」
ゆったりとした声で、リオナが頷く。
「うん。なんだか、そんな気がするよ。ピッパさんの、となり」
その手が、おずおずと、ピッパの左手を握った。
クイナは、その光景を、輪の外から見つめていた。
——記憶を、ひとつずつ、確かめるように。
誰が、誰の隣にいたのか。
その糸が、いま、目の前で、結ばれていく。
リオナが、今度は、自分の左へ手を伸ばす。
「私の左は……ユーニアちゃん、だね」
「うん、私! ナーねえねの、となり」
ユーニアが、明るくその手を取った。
迷いのない、繋ぎ方だった。
「で、私の左は、ナリア」
「はい。私です」
ナリアが、こくりと頷いて、姉の手をそっと握りしめる。
「ナーねえねと、ユナと。また、こうして、手を繋げた」
ナリアが、はにかむように、笑う。
リオナとユーニアも、やわらかく、笑い返した。
「私の左は、シキータさん」
「うん! あたしの左は、モア!」
シキータが、勢いよく隣の手を取る。
モアが、訥々と、けれど確かに、その手を握り返した。
「……あったかい」
モアが、ぽつりと、こぼした。
「二十年も、経ったのに。この手の、ぬくもりだけは。ちゃんと、覚えてる」
その声に、繋がった手が、あちこちで、こくりと頷いた。
「……私の左は、コルテちゃん」
「はい。私の左は……アネッサさん」
コルテが、祈るように、そっと隣の手を包んだ。
「ええ。私の左は、ミュリエル」
「……私の、左は。フィオラさん」
「私の左は、エルシェ」
フィオラが、妹分の手を、迷いなく取った。
「ねえ……これ」
ふと、誰かが、声をあげた。
「あの日と、おなじ並びじゃ、ない?」
「……ほんとだ」
「おなじ。手の、繋ぎ方まで、おなじ」
ざわめきが、ゆっくりと、喜びへ、変わっていく。
「ふふ。私の左は……シエラさん、ね」
「私の左は……マイ」
「はぁい。私の左は、リノ、だねぇ」
「私の左は、アイリ」
——ひとり、また、ひとり。
名前を呼びながら、手と手が、繋がっていく。
ばらばらの土地で育った者たちが。
いま、ひとつの輪を、その手で、編み直していく。
ついさっき思い出したばかりの絆を、たしかめるように。
クイナは、その流れを、じっと追っていた。
ひとつ、またひとつと、名前が、呼ばれていく。
けれど。
——まだ、私の名前は、呼ばれない。
誰の口からも、「クイナ」の二文字は、こぼれてこなかった。
胸の奥で、小さな、冷たい予感が、ことりと動いた。
これまで、自分の内側にだけ、抱えてきたもの。
その輪郭が、いま、皆の手によって、目に見える形に、なろうとしていた。
そして、最後に。
残ったのは、ふたつの、空いた手だけ。
アイリーンと、サリーシアの、手だった。
「私の左は……サリーシアさん」
アイリーンが、やわらかく微笑んで。
輪の向こうの、サリーシアの、空いた左手を、取った。
最後の、指先と指先が、ふれあう。
「これで……全員、繋がったわ」
サリーシアが、繋いだ両の手を、そっと持ち上げた。
輪が、閉じる。
手と手の、途切れることのない、ひとつの輪。
「……ああ、これだ」
誰かが、繋いだ手を、そっと握りしめる。
「この、感じ。あの日も、こうして。みんなで、ひとつに、なってた」
「みんな……ちゃんと、ここに、いる」
誰かの声が、かすかに、震えた。
「ひとりも、欠けずに。みんな、揃って……」
ほころぶ顔。潤む目。
あの日の輪が、いま、たしかに、よみがえっていた。
温かな空気が、部屋いっぱいに、満ちていく。
——その、瞬間。
コルテが、ふと、顔を上げた。
何かに、耳を澄ますように。
その目が、誰もいない宙の一点を、見つめる。
けれど、コルテは、何も言わなかった。
ただ、組んだ指先が、かすかに震えただけだった。
クイナは、その連環の、すべてを、見ていた。
誰が、誰の名を呼び。誰の手が、誰の手を、取ったのか。
その並びを、ひとつ残らず、頭の奥へ、刻みつけていく。
紙には、書かない。
——いつか、この記憶が、意味を持つ、その時のために。
誰かが、繋がった輪を、ぐるりと見渡した。
「……あれ?」
その声が、ふと、止まる。
「ねえ。私たち、いま……何人?」
ひとり、ふたり、と、数える声が、重なる。
輪に並んだ手を、順に、たどって。
「……十六人」
誰かが、つぶやいた。
その数が、もう一度、小声で、数え直される。
けれど、答えは、変わらなかった。
繋がった手の輪は、どう数えても、十六人だった。
「でも。私たち、この部屋に、十七人、いたよね?」
ひとつ、足りない。
その事実が、さざ波のように、皆のあいだへ、広がっていく。
場の空気が、ゆっくりと、変わっていく。
皆の視線が、輪をたどり、そして——
ひとつの場所で、止まった。
輪の、外。
ただ、ひとり。
手を繋がれることなく、立っている者。
——クイナだった。
十六人が、輪を保ったまま、クイナへ顔を向ける。
温かかった空気が、すっと、引いていく。
あとに残ったのは、戸惑いと、かすかな怯えの、混じった沈黙だった。
「クイナ……さん」
エルシェが、ためらいがちに、口を開いた。
「あなたの、名前。さっきの連環で。一度も、出てこなかった」
「私たちは、あの日に、この輪をいっしょに作った」
サリーシアの、静かな声が、続く。
「でも、あなたは、あの日の輪の、どこにも、いない」
誰かが、ぽつりと言った。
「あなたは……あの日の記憶に、いないの」
その言葉が、部屋に、落ちる。
誰の顔にも、悪意は、なかった。
ただ、説明のつかないものに触れた、純粋な戸惑いだけが。
十六人の目に、宿っていた。
その目が、まっすぐに、クイナへ注がれた。
クイナは、姿勢を正した。
——やはり、私は。あの一日に、この部屋に、いなかった。
けれど、いまは、何も言わなかった。
ここで急いで弁明すれば、疑いを、深めるだけだ。
ふと、視線の端に、ピッパの顔が、映った。
その表情に、一瞬。
名づけようのない、複雑な色が、よぎったように見えた。
——気のせい、だろうか。
クイナは、その小さな引っかかりも、静かに記憶へ刻んだ。
十六人の輪と、その外に立つ、ただひとり。
その隔たりだけが、もう、誰の目にも、はっきりと見えていた。
「——あなたは、誰?」
たったひとり分の、声だった。
けれど、十六人ぶんの視線が、おなじ問いを、無言のまま、繰り返していた。
これにて第二部は終了となります。
第二部もお付き合いいただき、ありがとうございます。
クイナと十六人の間の違いが明確になりました。
ここからクイナはどうしていくのか?
クイナが記憶したことが鍵になっていきます。
どのように対応していくのか……その流れは第三部で確認してみてください。
そして、明日からは、その第三部となります。
引き続き、第三部もよろしくお願いします。
今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、
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