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十七人目の冒険者 ― 私への道  作者: 智信
第二部

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第26話 祈りの思い出

「手を、繋いで。ぐるりと、輪に、なって」

—— 祈りの輪

 ミュリエルが、絵本の、表紙を、そっと、開いた。


「『——あるところに、ちいさな、たびびとが、いました』」


 さきほどの、澄んだ声が、ふたたび、部屋に、ひろがっていく。

 控えめなはずの、その声は、物語を、紡ぐあいだだけ、不思議な、張りを、帯びていた。


 皆が、口を、つぐみ、耳を、傾ける。

 ページが、めくれる、たびに。

 部屋の空気が、すこしずつ、やわらかく、ほどけていった。


 絵本の、物語は。

 遠い町を目指す、小さな旅人。

 その旅人が、心細い夜をいくつも越えて、やがて、あたたかな灯りにたどりつく——そんな、ささやかな、お話だった。


 クイナも、その輪の、すこし外で、ミュリエルの声に、耳を澄ませていた。

 ——観察を、続けながら。

 それでも、その物語の優しさが、胸のどこか奥深くに、静かにしみこんでくる。


 やがて、ミュリエルが、最後のページを閉じた。


「『——そうして、たびびとは。もう、ひとりではなく、なりました』」


 ほう、と、誰かが息をついた。

 名残を、惜しむような、温かい静けさが、しばらく部屋に漂っていた。


 ——その、静けさの中で。


 ひとりの女性が、ふと、目を、伏せた。

 簡素な装いの、祈るような、雰囲気の女性——コルテだった。


「……あの時の、私は」


 その声は、とても小さく、ひとりごとのように、こぼれ落ちた。


 皆の視線が、そっと、コルテに、集まる。

 けれど、コルテは。それに、気づいていないようだった。

 ただ、何かに、導かれるように、両手を胸の前で組み、静かに、目を閉じた。


 ——祈りのかたち、だった。


 その唇が、小さく、動く。

 聞き慣れた、祈りの言葉が、ひそやかに流れはじめる。

 その、途中で。

 コルテの、肩が、ぴくりと、震えた。


「……そうでした」


 目を閉じたまま、コルテがつぶやく。


「絵本の、お話を、聞いて。私たち、楽しい、ひと時を、過ごしました。……でも」


 その声が、だんだん、確かさを、増していく。


「それでも。あの時の、私たちは。まだ、こわくて、たまらなかった」


 コルテの記憶が、二十年前の、あの部屋へと、ひらいていく。


「だから……誰かが、言ったんです。『みんなで、祈ろう』って」


 コルテの、組んだ手に、力が、こもる。


「私たち……ひとつの、輪に、なりました」


 その声が、震えた。


「手を、繋いで。ぐるりと、輪に、なって。となりの子の、手の、ぬくもり。反対がわの子の、指の、つめたさ。……それが、今でも、ここに、残っているんです」


 コルテが、組んだ手を、そっと、胸に、当てた。


「こわいのが、すこしでも、遠くへ、いきますように。みんなが、無事で、いられますように。……そう、一生懸命に、祈ったんです」


 孤独だったこころが、その記憶の輪のなかで、そっと、溶け合っていく。

 コルテの声が、すこしだけ、明るくなった。


「ひとりひとりは、こわかった。……でも、手を、繋いだら。となりの子の、ふるえまで、つたわってきて。ああ、この子も、おなじなんだって。そう思えたら、すこしだけ、こわくなくなったんです」


 その言葉が、部屋に、落ちた、瞬間。


「……ああ」


 声を上げたのは、アネッサだった。


「思い出しました。……たしかに、私たち。あの時、輪に、なっていた」


「手を、繋いだ……よねぇ」


 素朴な声で、リオナが、自分の手のひらを見つめる。


「となりの子の、手が。あったかかったの。……なんだか、今でも、おぼえてる」


「あたしも!」


 シキータが、勢いよく頷いた。


「みんなで、輪になって。ぎゅっと、手を握った。……あの感じ、覚えてる」


「私も……祈りました」


 モアが、訥々と、言葉を、継ぐ。


「むずかしい言葉は、知らなかったけど。ただ、みんなが、無事でありますようにって。それだけを、ずっと」


「私も、よ」


 エルシェが、胸に手を当てる。


「あの輪の中で。私、となりの子と、手を、握り合って。みんなで、声を、合わせて、祈った」


「……私も、覚えている」


 サリーシアが、静かに目を閉じた。


「みんなの、祈りの声が。ひとつに、重なって。広い部屋に、ひろがっていった。……あの響きを、私、忘れていない」


「私も……あの時」


 アイリーンが、やわらかく、口を、開いた。


「輪の中で。誰かの、手を、握りしめて。いっしょに、祈っていた。……あの、繋がっていた、感じが。今、はっきりと、蘇ってきた」


 ひとり、また、ひとり。

 部屋の、あちらこちらで。

 「私も、輪にいた」「私も、手を繋いだ」と。

 おなじ、記憶が、いっせいに、蘇っていく。


 あの祈りの記憶が、それぞれの胸の奥から……ひとつ、またひとつと、あふれ出していた。

 誰の声にも、誰の横顔にも、おなじ、あたたかな確かさが、宿っていた。

 二十年の、あの日の思いが、いま、おなじ部屋で、ひとつになり、響き合っていた。


 それは、これまでで、いちばん、大きな、連なりだった。

 ばらばらの土地で、ばらばらの孤児院で育ったはずの者たちが。

 あの一日、ただ、ひとつの輪になって。

 おなじ祈りを、捧げていたのだ。


 その、温かな輪の記憶の中に。

 ピッパも……いた。


「私も……あの輪の中で。となりの子と、手を、繋いでいたわ」


 その言葉も、皆の記憶と、ぴたりと、重なった。

 誰の目にも、ピッパは、あの輪をつくった、そのうちのひとりに見えた。


 ——けれど。


 クイナは、その輪の中ではない。

 ずっと外だ。

 ただ、ひとり、立ち尽くしていた。


 みんなが、口々に語る。

 手を繋いで、輪になった、と。

 となりの子の、ぬくもりを。

 となりの子の、つめたさを。

 その、すべてを、皆が、はっきりと覚えている。


 ——なのに。


 クイナの中には。

 その、輪の記憶が、ひとかけらもなかった。


 これまでは、誰かと誰かの思い出だった。

 自分がその場にいなくても、まだ、どこかで、説明がついた。

 ——けれど……今度は、ちがう。


 いちばん大きくて、いちばん温かい、輪の記憶。

 その輪の記憶の中に——自分だけが、いない。

 それらが、いま、ひとつの冷たい確信に姿を変えて、クイナの、胸の奥に、すとんと、落ちた。


 ——私は。

 ほんとうに、あの一日に、この部屋に、いたのだろうか?


 その問いは。これまでの、どの違和感よりも、深く、静かに、クイナを射抜いた。


 ——もう、ひとりではなく、なりました。

 さきほど、ミュリエルが、読んだ絵本の結びが、ふいに、クイナの耳の奥で蘇った。


 けれど。

 その動揺を、クイナは、また、表には出さなかった。

 皆は、蘇った、輪の記憶に、夢中で。

 ——その輪に、ただひとり、加われない者が、いることに。

 まだ、誰も、気づいて、いなかった。


 クイナは、その、すべてを、記憶に、刻む。

 紙にも、書かず。

 ただ、頭の、奥深くに。

 ——みんなが、覚えている、ひとつの、輪。

 ——その輪に、いない、自分。

 二つを、並べて。

 そっと、刻みつけた。


 ——いつか、この問いに、答えを出す。

 そのために、自分は、ここにいる、そんな確信がある。

 みんなの輪に、入れない者。

 その部外者の自分にしか、見えないものが、きっとあるはずだ。

 クイナは、ざわつく胸を、そっと、おさえた。


 部屋には、まだ、手を繋ぎ合った、あの日のぬくもりが、温かさを失わずに、満ちていた。


 その時。

 誰かが、ふと、つぶやいた。


「ねえ……あの輪の中で。私の、となりにいたのは。誰、だったかしら」


 その問いに。

 皆が、はっと、顔を、見合わせる。

 ——あの輪の中で。自分の両隣にいたのは、誰だったか。

 ひとり、また、ひとり、記憶をたぐりはじめる。


 その、何気ない、ひとことが。

 次の、扉に、そっと、手を、かけたことに。

 まだ、誰も——クイナでさえも。

 気づいては、いなかった。

今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、

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