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十七人目の冒険者 ― 私への道  作者: 智信
第二部

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第25話 絵本

 シエラの『太陽』のカードが、投げかけた問い。

 ——あの一日に、もう、ひとり、いたのではないか。

 その小さな、ざわめきは。

 まだ、部屋の宙に、漂ったまま、消えずに、いた。


 誰も、答えを持たない。

 けれど、誰も、それを忘れることもできない。


 ——その、静けさの中で。


 ひとりの女性が、そっと口を開いた。


「……私も」


 本を抱えた、控えめな女性——ミュリエルだった。

 その声は、いつものように、小さく、ためらいがちで。


「私も、ずっと、大事に持っているものが、あるんです」


 ミュリエルが、ずっと下ろさずにいた、肩掛けカバンの中から、一冊の本を取り出した。

 古びてはいる……けれど、ぼろぼろではない、一冊の絵本。


「これ……大人に、なってから。暮らした町で、見つけたものなんです」


 その指が、すり切れた表紙をなぞる。


「どこで読んだかは、覚えていないのに、ずっと忘れられなかった物語と、同じ物語の絵本」


 ミュリエルの、小さな声が、ぽつり、ぽつりと続く。


「そう……思い出しました。あの絵本は、孤児院の、ものだったから。あの日、ここに、連れて来られた時には。持ってくることが、できなかった。……でも、すごく大好きで、だから……お話だけは、覚えていて」


 その瞳が、絵本の表紙に落ちる。


「おなじ物語の、絵本を、見かけた時。……気づいたら、手に、取っていました」


 ミュリエルが、その絵本を、両手で、そっと包む。


「なぜか、とても、大事な気がして。それから、ずっと。宝物にしているんです」


 ——その時。

 絵本を、見つめていたミュリエルの、表情が。

 ふと、止まった。


「……あ」


 その声が、小さく揺れる。


「あの時、私……」


 ミュリエルの、目が、過去のどこかへと向けられた。


「絵本は……なかった。……でも」


 その声が、だんだん、確かさを、増していく。


「覚えている、お話を。私、一生懸命、みんなにお話したんです。この、絵本の、物語を」


 ミュリエルの記憶が、二十年前の、あの部屋へとひらいていく。


 そして——

 語りはじめた、その口調が。

 ふいに、別人のように、なめらかになった。


「『——あるところに、ちいさな、たびびとが、いました』」


 控えめな女性の、どこに、こんな声がひそんでいたのか。

 澄んだ、語りの声が、部屋にひろがっていく。


「不安で、たまらない、みんなのために。私、必死で、物語をお話したんです。……そうしたら」


 ミュリエルの、頬が、ほんのり染まった。


「みんなが……『すごい、すごい』って。聞き入ってくれて。控えめな、私のお話に。あんなに、たくさんの目が向けられたのは……はじめて、でした」


 ふだんは、本のうしろに、隠れているような、ひと。

 その、ミュリエルが。あの一日だけは、みんなのまんなかにいた。


 その言葉が、部屋に落ちた瞬間。


「……あ。私も思い出した」


 声を上げたのは、フィオラだった。


「あなたの、お話。聞いた覚えが、ある。……知らない世界に、つれて行ってもらったみたいで」


「私も」


 エルシェが、胸に手を当てる。


「あなたの、お話に。私、すっかり聞き入っていた」


「あたしも、『すごいすごい!』って、褒めた、気がする!」


 シキータが、勢いよく頷いた。


「あなたの、お話……とても、素敵、だった」


 アイリーンが、やわらかく微笑む。


「私も……聞いていた、そんな気がするよ」


 リオナが、ふんわりと、目を細めた。


「あなたの、お話のあいだだけ。こわいの、忘れていられたよねえ」


「私も、です」


 ナリアが、こくりと頷く。


「あの時間は、とても、幸せでした」


 ——ひとり、また、ひとり。

 部屋の、あちこちで。

 「私も、聞いた」「私も、覚えている」と。

 おなじ、記憶が、いっせいに芽を出していく。


 誰の顔にも、おなじ温かさが、ともっていた。

 ばらばらの場所で、育ったはずの人たちが。

 あの一日には、おなじ、ひとつの、お話に。心をひとつにしていたのだ。


 その、温かなざわめきの輪の中に。

 ピッパも、いた。


「私も……あなたの、お話。聞き入っていたわ」


 その言葉も、皆の記憶と、ぴたりと重なった。


 ——けれど。


 クイナは、その輪の外で、ただ、ひとり、立ち尽くしていた。


 みんなが、口々に語る。

 ミュリエルの、お話を聞いた、と。

 おなじ部屋で。

 おなじ時に。

 おなじ物語に。

 そう、聞き入った、と。


 ——なのに。


 クイナの中には。

 その記憶が、ひとかけらも、なかった。


 これまでの、連鎖は。

 誰かと、誰かの、一対一の、繋がりだった。

 だから、自分が入れなくても、まだどこかで、納得ができた。

 ——けれど、今度は、ちがう。


 これは、この部屋の、多くの人が、いっせいに分かち合っている、記憶。

 みんなが、ひとつの、物語に、聞き入っていた。

 その輪に——自分だけが、いない。


 見たものは、忘れない。

 聞いたことも、忘れない。

 そのはずの、自分の頭の中を。

 クイナは、必死で探した。

 ミュリエルの、声。

 澄んだ、語り。

 みんなの、『すごいすごい』。

 ——どこにも、なかった。


 『私……何も、思い出せない』


 その事実が、これまでで、いちばん、冷たく。

 クイナの胸を、刺した。


 ひとりだけ、ちがう世界からまぎれこんだような。

 そんな、心細さが、胸の底から、じわりとひろがってくる。


 けれど。

 その動揺を、クイナは、表には出さなかった。

 幸い、誰も、クイナを見てはいない。

 皆、それぞれの、よみがえった記憶に、夢中で。

 ——「思い出せない」者が、ひとり、まじっていることに。

 まだ、誰も、気づいて、いなかった。


 その時。

 ミュリエルが、ふと、首をかしげた。


「……ひとり。特に、熱心に、聞いてくれた子が、いた気がします」


 その声に、また、あの、ざわめきが戻ってくる。


「いちばん、前で。目を輝かせて。『つづきも、ききたい』って。……いちばん、楽しそうに聞いていた子が」


 ミュリエルが、こめかみに、指を当てた。


「でも……その子の、顔が。どうしても……どうしても、出てこないんです」


 ——まただ。

 クイナの内で、おなじ違和感が、また、ひとつ、冷たく、重なった。


 シエラが、カードを引いてあげた相手。

 そして、ミュリエルのお話を、いちばん熱心に聞いていた子。

 ——どちらも、この部屋の、誰でも、ない。


 「もう、ひとり、いた」。

 その感覚が、二つ続けて、浮かび上がってくる。


 クイナは、その二つを、頭の中で、そっと重ねてみる。

 ぴたりと、形が合った。

 まるで、おなじ、ひとりの、影のように。


 ——けれど、まだ。

 「みんなで、集まって、聞いた」という、ひとつの絵は。

 誰の中にも、結ばれていない。

 皆は、てんでに、「私も、覚えている」と、感じているだけ。

 その記憶を、ひとつに束ねる糸は、まだ、見えなかった。


 クイナは、そのすべてを、記憶に刻む。

 紙にも書かず。ただ、頭の奥深くに。

 一枚、また、一枚と、刻みつけていく。

 ——いつか、この記憶だけを、頼りに。

 この謎を、解く、その時のために。

 それが、いまの自分にできる、ただひとつのことだった。


 いまは、まだ、違和感のかけらにすぎない。

 けれど、いつか、このちいさなかけらたちが、ひとつの答えへと繋がる時が、くる。

 クイナには、なぜか、そんな予感があった。


 部屋には、懐かしく、温かな空気が、ゆっくりと満ちていた。


 誰かが、ふと、ミュリエルに声をかける。


「ねぇ、ミュリエルさん。その絵本の、物語。……もう一度、聞かせて、くれない?」


 ミュリエルが、はにかむように微笑んだ。


「ええ。……喜んで」


 その手が、そっと絵本の表紙にかかる。


 ——その、ひと時が。

 次の、扉を開けることに、まだ誰も、気づいていなかった。

今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、

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