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十七人目の冒険者 ― 私への道  作者: 智信
第二部

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第20話 口笛

 アイリーンの指が紡いだ物語の余韻は、まだ、部屋のなかに、漂っていた。


「ここに、みんな、いたの?」


 その問いが、あちこちで、小さく、繰り返されている。

 誰もが、自分の知らなかった過去の手触りを、確かめているようだった。


 育った場所の壁を越えて、おなじ物語を、聞いていた者たち。

 フィオラも、シキータも、まだ、その熱を、頬に残していた。

 別々の土地から来たはずの誰かと、ひとつの記憶を、分け合っていた——その不思議が、ざわめきとなって、部屋を満たしている。


 クイナは、いつものように、その輪の外から、十六人を、見ていた。

 ひとり、また、ひとりと、糸が結ばれていくのを、目で、追いながら。


 ——その時。


 華やかな衣装の女性——エルシェが、ふと、何かに引っかかったように、顔を上げた。


「……あの口笛」


 誰にともなく、エルシェが、つぶやく。


「さっきから、ずっと、引っかかっていたの。前に、一度、聞いた気がして」


 エルシェの視線が、ひとりの女性へと、向けられた。

 装飾の多い衣装の、しなやかな女性——サリーシアだった。


「サリーシアさん。あなた、さっき……ううん、もっと前に、口笛を、吹いていなかった?」


 サリーシアが、軽く、目を見開く。

 それから、思い当たったように、肩をすくめた。


「ああ、吹いていたかもしれないわね。癖なの。気持ちが昂ると、つい」


「もう一度、聞かせてもらえないかしら」


 エルシェの声は、自分でも、なぜそう頼むのか、わからない——そんな響きをしていた。


「私の口笛で良ければ、いくらでも」


 サリーシアが、おっとりと、笑う。

 そして、唇を、すぼめた。


 ふぃ、ふぃ——

 しなやかな旋律が、ひとふし、部屋に、こぼれる。

 石の壁に、柔らかく、反響して。

 どこか、懐かしさを、誘うような、節まわしだった。


 その音が、ほどけていくにつれ。

 サリーシアの表情が、ゆっくりと、変わっていった。


「……あれ」


 口笛が、途切れる。


「このやり取り……知っている」


 サリーシアが、自分の唇に、指を、当てた。


「昔、誰かに、おなじように、頼まれたことが、ある。『あなたの口笛、もう一度』って」


 言葉が、ひとつずつ、こぼれ落ちていく。


「そう……私、ここで、口笛を、吹いたの。この、広い部屋で。冷たい、石の床の、上で」


 その目が、どこか遠いところを、見ていた。


「みんな、不安そうで。だから、せめて、気を、紛らわせたくて。私、口笛を、吹いたの」


 サリーシアの声が、だんだん、確かさを、増していく。


「隣に、小さな子たちが、いた。膝を抱えて、ふるえている子も。……その子たちに、聞かせるみたいに。私、ずっと、吹いていた」


 その指先が、見えない旋律を、たどるように、宙を、撫でた。


 サリーシアの記憶の扉が、口笛の旋律に解かれて、ひらいていく。


 その時だった。


「……私だわ」


 エルシェの声が、震えた。


「あなたに、頼んだの……私。『もう一度、聞かせて』って。たった今と、おなじ言葉で」


 エルシェが、胸に、手を当てる。


「そして、私……あなたの口笛に、合わせて、歌ったの」


 言うが早いか、エルシェの唇から、澄んだ歌声が、こぼれ出た。

 言葉のない、旋律だけの歌。

 よく通る、伸びやかな声が、サリーシアの口笛に、重なっていく。

 ふたつの音は、まるで、ずっと一緒に鳴っていたかのように、自然に、絡み合った。


 長い歳月を、飛び越えて。

 ひとつの音楽が、現在の部屋に、よみがえる。


 その調べに、誘われるように——

 白い装束の女性が、すっと、立ち上がった。

 長い髪を結った、清浄な雰囲気の女性——ナリアだった。


「私……」


 ナリアの足が、ひとりでに、半歩、前へ、出る。


「この、口笛と、歌に、誘われて……舞を、踊った。あの時。ここで」


 その瞳が、潤んでいた。


「踊っている間だけ……私、不安を、忘れていられたの」


 ナリアの腕が、しなやかに、持ち上がる。

 白い袖が、宙に、弧を描いた。

 口笛と、歌に、合わせて。

 その身体が、ゆっくりと、舞いはじめる。

 その所作に、迷いは、なかった。

 よみがえったのは、幼い日の振りだったのだろう。

 けれど、いま舞う姿は、二十年の研鑽を経て、見違えるほど美しく、磨き上げられていた。


 ——口笛。

 ——歌。

 ——舞。


 三つの才能が、ひとつに、編まれていく。

 二十年前、この部屋にあったはずの、ひとつの情景が。

 いま、ふたたび、組み上がっていく。


 部屋の空気が、変わった。

 冷たかったはずの石の床に、温かな、神聖な何かが、満ちていく。

 三人の誰も、示し合わせては、いなかった。

 ただ、身体に、刻まれた拍子を、なぞっただけ。

 それでも、口笛と歌と舞は、まるで、はじめから、ひとつであったかのように、寸分も、ずれなかった。


 いつのまにか、ざわめきは、やんでいた。

 高く澄んだ口笛に、伸びやかな歌声が、寄り添い。

 舞う白い袖が、その響きを、目に見える形へと、変えていく。


 見ている者たちから、感嘆の、息が、漏れた。


「ここで……即興の、演奏や、舞を、していたのね」


「私たち、それぞれの得意なことを、見せ合って……励まし合っていたんだ」


 誰かが、つぶやく。

 その声には、驚きと、温もりが、入り混じっていた。


 その輪の中に、ピッパも、いた。

 誰かの感嘆に、そっと、相づちを、重ねて。

 驚いている誰かと、おなじ顔をして。

 クイナは、その光景を、静かに、頭の中で、なぞっていた。


 アイリーンは、物語で、人を繋いだ。

 サリーシアは、口笛で、人を繋いだ。

 ばらばらの場所から来た者たちが、それぞれの得意なことを、持ち寄って、不安だった一日を、互いに、支え合っていた。

 連鎖は、もう、おなじ場所で育った者どうし、という枠を、完全に、越えていた。


 ——あの一日。

 別々の土地から、別々の得意を持った幼子が、この部屋に、集められた。

 そして、たがいの得意なことで、不安を、和らげ合った。


 ——けれど。

 サリーシアの口笛が、ふと、ためらうように、揺れた。


「……もうひとり、いた気がするの」


 サリーシアが、宙を、見つめる。


「私の口笛を、真似ようとした子。おなじように、口を、すぼめて……でも、音が、出なくて。ふたりで、笑ったの」


 その口元が、ふっと、ほころぶ。

 けれど、すぐに、その笑みは、戸惑いに、変わった。


「……でも。その子の、顔が。どうしても、出てこない」


 応えた誰の顔とも、それは、重ならないようだった。

 また「もうひとり」。

 名前も、顔も、ない、誰か。

 クイナは、その空白を、そっと、これまでの空白の隣に、並べた。


 ——いったい、何人ぶんの「誰か」が、この部屋から、消えているのだろう。


 そして、壁ぎわには、まだ、二人がいた。

 まだ、誰の名も、呼べずにいる、二人。

 その視線が、三人の姿に、吸い寄せられて、離れない。


 クイナは、息を、ひそめた。


 ——次は、あの二人かもしれない。


 温かな音楽の、満ちる部屋で。

 その輪に、まだ、加われずにいる者が、三人。

 壁ぎわの、二人と。

 そして、クイナ、自身。


 あの二人には、まだ、糸の端が、見えていないだけ。

 けれど、自分には——その端すら、どこにも、ない。

 クイナは、胸の奥で、そっと、線を、引いた。

 自分と、この十六人とを、隔てている、見えない一本を。


 それでも、と、クイナは、思う。

 この部屋で、ほどけていく記憶の連なりは、いつか、ひとつの絵に、なるはずだ。

 その絵が、結ばれたとき。

 奪われた一日が、なぜ奪われたのか——その答えも、きっと、見えてくる。


 ナリアの舞は、ゆっくりと、その二人のほうへ、近づいていった。

 白い袖が、招くように、宙を、滑る。

 壁ぎわの二人の指先が、かすかに、動いたように、見えた。

今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、

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