第19話 指の物語
クイナの視線の先で、壁ぎわの二人は、まだ、輪の外に立っていた。
けれど、部屋の中央では、温かなざわめきが、まだ続いていた。
再会を果たした四人——シエラ、マイラ、リノ、そしてアイリーンは、やっと思い出すことのできた子供の頃の話を、楽しそうに、続けていた。
「マーちゃんったら、いつも、『こういうの、こういうの』って、無茶ばかり言って」
アイリーンが、口元に手を当てて、くすくすと笑う。
「それを、リノが、ちゃんと、魔法陣にしてくれて。シーちゃんが、横で、見ていてくれて」
「私は、ただ、マーちゃんに言われた通りに描いていただけです」
リノが、照れたように、目を伏せた。
「ううん。マーちゃんの、めちゃくちゃな注文を、形にできたの、リノだけだったよ」
マイラが、のんびりと、言い添える。
「……それで、いつも、最後に、アイリが、お話を、つけてくれたんだよねぇ」
その言葉に、アイリーンの瞳が、きらりと、輝いた。
「そう。そこからが、私の、出番」
ふいに、アイリーンが、立ち上がる。
優雅な所作のまま、両手を、胸の前へ、持ち上げた。
「ねえ、覚えてる? 私、こうやって、お話を、披露していたの」
細い指を、ひらひらと、動かす。
まるで、その指先に、見えない人形が、宿っているかのように。
「『——むかしむかし、ちいさな魔法使いが、いました』」
アイリーンの声が、すっと、変わった。
ひとさし指が、ぴょこんと、おじぎをする。
中指が、それに、応える。
「『魔法使いは、言いました。さあ、いっしょに、冒険に、でかけましょう』」
指と指が、語り合う。
高い声と、低い声を、自在に、使い分けて。
養い親のもとで磨かれた表現力が、いまは、幼い日の遊びの中へ、まっすぐ戻っていた。
見ている者たちから、ふっと、笑みがこぼれる。
この部屋の重さが、つかのま、遠ざかった。
——その時だった。
物語を踊らせていた、アイリーンの指が、ふと、止まった。
「……あれ」
その声が、小さく、震えた。
「私……これを、ここで、やった、ことが、ある」
アイリーンが、自分の指を、見つめる。
「ここで……この、広い部屋で。冷たい、石の床に、座って。私、お話を、語ったの」
言葉が、ひとつずつ、こぼれ落ちていく。
「みんな、不安で、たまらなくて。……だから、せめて、みんなの気を、紛らわせたくて。今と同じように、指を使いながら、お話を、語ったの」
アイリーンの目に、みるみる、涙が、盛り上がった。
「こわくないよ、って。これから、すごい冒険に、出るんだよ、って」
アイリーンの指が、宙で、小さく、見えない人形を、動かす。
「私の、お話が、すすむたびに。みんなの、目が、輝いて。……こわばっていた顔が、ひとつ、またひとつ、ほどけて、いったの」
その頬を、涙が、伝った。
けれど、口元は、笑っていた。
その記憶は、もう、四人だけの輪には、収まっていなかった。
「……聞いて、くれた子が、いた。たくさん」
アイリーンが、顔を上げる。
部屋を、ぐるりと、見渡した。
「シーちゃんたちだけ、じゃ、ない。もっと、たくさんの子が……私のお話を、聞いて、くれていた」
その言葉が、部屋に、落ちた瞬間。
「——あ」
声が、上がった。
楽器を背負った、旅装の女性——フィオラだった。
「その物語……私、聞いた、覚えが、ある」
フィオラが、ゆっくりと、目を、見開く。
「知らない世界に、連れて行って、もらったみたいだった。……こわかったのに、お話の間だけは、別の場所に、いるみたいで」
「私も」
フィオラの隣で、華やかな衣装の女性——エルシェが、胸に手を当てた。
「フィー姉ちゃんの、隣で。私も、あなたのお話を、聞いていた。……胸が、高鳴って。こわいはずなのに、感動で、震えていたの」
「あたしも!」
日焼けした活発な女性——シキータが、勢いよく、身を乗り出す。
「思い出した! あんたが、指の人形で、お話、作ってたんだ。あたし、それ見て、なんだか、元気が、湧いてきて。勇気、もらったんだよ!」
「……私も、です」
本を抱えた、控えめな女性——ミュリエルが、小さな声で、続いた。
「いちばん、後ろで、聞いて、いました。……あの時、わくわくして。不安が、すうっと、消えて、いったんです」
四つの声が、別々の場所から、アイリーンへと、伸びていく。
アイリーンは、しばらく、言葉を、失っていた。
その四人を、ひとり、ひとり、見つめる。
「……みんな。私の、お話を、聞いて、くれていたのね」
声が、潤んでいた。
「おなじ、お部屋に、いたけど。別々の、場所から、来たのに。……それでも、おなじ、お話で、いっしょに、わくわく、してくれていた」
四人と、アイリーンの間に、新しい糸が、結ばれていく。
今度の糸は——これまでとは、形が、違っていた。
その光景に、部屋の空気が、ざわめいた。
「ほんとうに……ここに、みんな、いたの?」
「あの時、私たち……ここで、もう、互いを、知って、いたのかも、しれない」
誰かが、つぶやく。
驚きと、期待の、入り混じった声だった。
その輪の中に、ピッパも、いた。
「……すごいわね。私たちも、この場所に、いたことがあるだなんて」
誰かの感嘆の、すぐ後ろへ、そっと、声を、重ねて。
クイナは、いつものように、輪の外から、その一部始終を、見つめていた。
——連鎖の形が、変わった。
これまでの再会は、すべて、おなじ場所で育った者どうしだった。
子供の頃を、ひとつ屋根の下で過ごした、ひと組の仲間だった。
けれど、いま、アイリーンに応えた四人は——違う。
別々の場所で、別々の屋根の下で育ち、ここへ、連れて来られた者たちだ。
その四人が、ひとつの思い出を通じて、繋がっていた。
——あの一日、ここにいた子供たちは。
育った場所の、壁を、越えて。
互いに、知り合って、いたのだ。
ひとりの少女の紡ぐ物語が、その壁を、静かに、溶かしていた。
——だとすれば。
この子たちを、ここへ集めた者は。
わざわざ、ばらばらの土地から、幼い子供を、選んで、連れてきたことになる。
そして、その全員から、おなじ一日の記憶を、まるごと、奪った。
いったい、どうして?
答えの出ない問いが、また、ひとつ、クイナの中に、積み上がっていく。
ふと、クイナは、もうひとつのことに、引っかかった。
アイリーンは、さっき、こう言った。
「聞いてくれた子が、たくさん」と。
クイナは、応えた四人の顔を、頭の中に、並べてみる。
フィオラ。エルシェ。シキータ。ミュリエル。
四人。
——けれど。
「……もうひとり、いた、気が、するの」
アイリーンが、ぽつりと、言った。
まるで、クイナの内心を、なぞるように。
「私の、お話に、いちばん、夢中に、なってくれた子。いっしょに、お話を、作った子が……いた、はずなの。でも」
アイリーンが、こめかみに、指を、当てる。
「……その子の、顔が。どうしても、思い出せない」
応えた四人の、誰の顔とも、それは、重ならなかった。
また、ひとり。
名前も、顔も、ない、誰か。
クイナは、その空白を、そっと、記憶に、刻んだ。
——それでも、たしかなことが、ひとつ、増えた。
この十七人は、ばらばらに、生きてきたのではない。
子供の頃、おなじ部屋で。
育った場所さえ、越えて。
互いに、笑い合って、いた。
その温もりの輪は、また、ひとつ、大きくなった。
けれど、その輪に、まだ、加われない者が、いる。
壁ぎわに立つ、二人。
そして、クイナ自身。
歓声の高まる部屋の中で、その三人だけが、奇妙に、静かだった。
呼ぶ名前も、呼ばれる名も、持たないまま。
クイナは、その静けさの中で、次の声を、待った。
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