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十七人目の冒険者 ― 私への道  作者: 智信
第二部

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第18話 魔法陣

「……シーちゃん」


 黒髪の、神秘的な女性——シエラが、ゆっくりと、自分を呼んだその呼び名を、口の中で、繰り返す。

 いつもの、含みのある神秘の気配が、いまは、どこかへ、消えていた。


「シーちゃん……。知っている、この呼び方。私、そう、呼ばれていた」


 気品ある装いの、優雅な女性——アイリーンも、胸に、手を当てた。


「アイリ……私も。ずっと、昔に、誰かが、私を、そう呼んで……」


 その声は、かすかに、震えていた。

 名を呼ばれた、ただそれだけのことに——二人は、戸惑い、けれど、どこか、泣きそうな顔を、していた。


 その言葉に、押されるように。

 マイラが、もう一度、足元の、魔法陣へ、目を落とした。

 淡く光る、複雑な文様。

 その線を、指で、そっと、なぞる。

 なぞって——その手が、止まった。


「……思い出した」


 マイラの、のんびりとした声に、確かな熱が、こもる。


「私たち、子供の頃。こういう模様を、四人で、描いて、遊んでた」


 言葉が、堰を切ったように、あふれ出す。


「あの日も、不安で、たまらなかった。なにがなんだかわからなくて。……でも、四人で、いたから。冷たい床に、大きな模様が、もう、描いてあって。みんなで、その線を、ぐるぐる、なぞって。『これ、ほんものの魔法陣だね』って、強がって。帰ったら、また庭で、描いて遊ぼうねって。……そうやって、こわいの、誤魔化していたんだ」


 マイラの指が、魔法陣の線を、ゆっくりと、たどっていく。

 その動きは、もう、初めて見るものを、なぞる手つきでは、なかった。

 何度も、何度も、なぞった線を、確かめるような——慣れた、手の動き。


「この、形。この、渦の、巻き方。ぜんぶ、覚えてる。……指が、覚えてた。記憶より、ずっと」


 その目から、ぽろりと、涙が、こぼれた。


「あの日も、私が強がって、真ん中に座って……泣きそうだった、みんなを、呼んでた。『シーちゃん、リノ、アイリ、こっちこっち!』って」


 その瞬間。

 シエラの、張りつめていた頬が、ふいに、ゆるんだ。


「マイ……」


 その呼び名は、自分でも、驚いたように、自然に、口を、ついて出た。


「マイ。あなた、思い出したのね」


「シーちゃん……!」


 マイラの顔が、くしゃりと、歪む。


 清潔な身なりの、生真面目な女性——リノも、震える声で、続いた。


「マーちゃん……あの魔法陣。私、覚えています」


「マーちゃん!」


 アイリーンも、こらえきれずに、その名を、呼んだ。

 大人びた、貴族の作法も、いまは、どこかへ、消えていた。

 ただ、幼い日に戻ったように、まっすぐな声で。


 ばらばらだった、四つの記憶が。

 名を呼び合うたびに、ひとつ、またひとつと、噛み合っていく。

 ひとりが思い出すと、その記憶が、隣の誰かの記憶を、呼び覚ます。

 まるで、四本の糸が、互いを手繰り寄せて、もとの一本に、編み直されていくように。


「私は、ずっと隣で見ていた」


 シエラが、目を、細める。


「そう、ここではない、あの庭で……カードで、遊びながら。あなたたちが、夢中で、魔法陣を描いているのを。……いちばん年上だったから。見守るのが、私の、役目だった」


「私は、描く係でした」


 リノが、懐かしそうに、笑う。


「マーちゃんが、『こういうの、こういうの』って、無茶を言って。私が、それを、線にして。……いま思えば、あの頃から、私、書くのが、好きだったんですね」


「そして、私が、お話をつけたの」


 アイリーンが、優雅に、両手を、広げる。


「『これは、魔法使いの、魔法陣。私たちは、これから、すごい冒険に、出るのよ』——そんなふうに。みんな、目を、輝かせて、聞いてくれた」


「そうだ、私……」


 マイラが、ふと、魔法陣の、中心を、見つめた。


「私は、ここに、座ってたんだ。みんなを、呼んで。『こっちこっち』って。……四人で、ぎゅうって、くっついて、いつもの遊びの、続きみたいに。手を、動かしてるあいだだけは、こわいことを、考えずに、すんだ」


 その声に、三人が、深く、頷く。

 それぞれの中で、おなじ一日が、おなじ温度で、よみがえっているようだった。


 四人の記憶が、ぴたりと、重なった。

 この部屋の、冷たい床の上で、四人は、ふたたび、ひとつの、輪に、なっていた。


 どちらからともなく、四人は、手を、伸ばした。


「シーちゃん!」


「マイ! ……マーちゃん!」


「リノ!」


「アイリ!」


 幾重にも、重なる呼び名。

 四人は、笑いながら、泣きながら、固く、抱き合った。


 やがて、どちらからともなく、あの頃の合言葉が、こぼれ出た。


「……これから、すごい冒険に、出るのよ」


 アイリーンが、涙の滲んだ声で、あの日の台詞を、口にする。

 残る三人が、顔を、くしゃりとさせて、笑った。

 四人はもう、おなじ物語の、続きの中に、いた。


 その光景に、見ている者たちの胸も、満たされていく。

 部屋の、あちこちから、温かなため息が、漏れた。


「四組目……これで、十三人が繋がったわね」


 エルシェが、目元を、そっと、押さえる。


「すごいなぁ。名前を、呼び合うだけで、こんなに、思い出せるなんて」


 シキータが、感心したように、つぶやいた。

 立て続けの再会に、部屋の空気は、すっかり、ほどけている。

 出口のない、この場所の、重苦しさを、いっとき、忘れさせるほどに。


 その輪の中に、ピッパも、いた。


「……よかった。ほんとうに、よかったわね」


 誰かの喜びに、後から、そっと、寄り添うように、頷いて。


 クイナは、いつもの場所——輪の外から、その一部始終を、見つめていた。


 ——十三人。

 第一の二人。

 第三の四人。

 第四の三人。

 そして、いま、第二の四人。

 四つの、小さな輪が、すべて、繋がった。

 十七人のうち、十三人までが、互いの呼び名を、取り戻した。


 クイナは、これまでに見た、すべての再会を、頭の中で、並べてみる。

 壁の文字。リズム。古い一文字。お守り。背中。仕草。切れた紐。そして、魔法陣。

 きっかけは、てんでばらばらだった。

 声で。手で。品物で。仕草で。

 ある者は、文字の形から。ある者は、指に残った、動きから。

 誰ひとり、おなじ入り口を、通っていない。

 けれど——どの鍵も、最後には、おなじ、ひとつの扉を、開けた。

 あの、広い部屋。

 あの、冷たい床。

 あの、不安な、一日。

 みな、そこへ、帰っていく。

 別々の道から、たったひとつの、おなじ場所へ。


 ——やはり、間違いない。

 この十七人は、ばらばらに生きてきたように見える。

 でも、いつか、どこかで、その一日だけは、たしかに、共にしていた。

 しかも、その一日が、まるごと、みんなの記憶から、消されている。


 そして、いつものことだった。

 十三人が、名を呼び合い、涙を流す、その輪の、どこにも。

 クイナの席は、なかった。

 呼ぶ名前も、呼ばれる名前も、持たないまま。


 私は——その一日のことを、思い出すことができない。

 見たもの、聞いたことは、忘れない——そんな自分の記憶の中に、その一日は存在しなかった。


 クイナは、ひとつ、小さく息を吐いて、視線を、巡らせた。

 歓喜の輪から、少し離れた場所。

 そこに、まだ繋がる相手の、いない者たちのうちの二人がいた。

 壁ぎわに立つ、その二人——

 芯のある雰囲気の女性、モア。

 祈るような佇まいの女性、コルテ。

 次々と生まれる再会を、二人は、どんな思いで、見ていたのだろう。

 まぶしいものを見るように。

 けれど、その奥に、隠しきれない、寂しさを、にじませて。

 誰かに名を呼ばれ、誰かの名を呼ぶ——その輪は、もう、すぐそこにあるのに。

 二人だけが、その輪に、加われずにいる。

 ひとりは、胸の前で、そっと、手を、握り合わせ。

 もうひとりは、何かを探すように、自分の手のひらを、じっと、見つめていた。


 その横顔を、クイナは、しばらく、見つめていた。

 名を呼び合う輪の、すぐ外側にしか、立つ場所を持たない者たち。

 ——あの二人も、私と、おなじなのだろうか。

今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、

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