第17話 なぞる指
リオナと、ユナと、ナル——三人の、抱き合う姿が、ゆっくりと、ほどけていく。
感動の余韻が、淡い魔法陣の光の中に、静かに、溶けていった。
立て続けに起きた再会の熱が、ようやく、ひと息、落ち着いていく。
誰からともなく、ひとり、またひとりと、言葉が、こぼれ始めた。
「……ねえ。私たち、結局、なぜ、ここに集められたのかしら」
エルシェが、宙を見上げて、つぶやく。
その声には、再会の喜びとは、別の、戸惑いが、滲んでいた。
「思い出したのは、子供の頃に、ここにいた、ということ。同じ場所で、育った仲間が、いた、ということ。……でも、それだけ」
アネッサが、腕を組み、低く、続けた。
「……考えてみれば、最初から、おかしいんです。私たちは、住んでいた土地も、暮らしも、てんでばらばら。なのに、こうして、ひとつの部屋に、集められた。たった一通の、手紙で。それも——子供の頃に、同じ場所にいた者ばかりが」
その指が、こつ、と、自分の腕を、叩く。
「偶然で、片づけられる数では、ありません。誰かが、私たちを、選んだんです。ばらばらの土地から、わざわざ、探し出して、ここへ、集めた。……そうとしか、思えない」
すでに皆がうっすらと感じていたことを、はっきりと言葉にされて、何人かが、息を、呑んだ。
「だとしたら……なぜ。なぜ、この場所なのか。私たちが、過去の何かに、関わっていたとして……なぜ、その肝心なところを、みんな、揃って、忘れているのか」
「思い出せたのは、いいことだと、思うんです」
ナリアが、おずおずと、口を開いた。
「でも……思い出すほどに、こわく、なります。私たちは、何かの、大きなことに、巻き込まれていた。それだけは、わかるのに……その、いちばん大事なところが、ぽっかりと、抜けていて」
「思い出せること、と。思い出せないこと。その境目が、不自然なのよね」
シエラが、ゆっくりと、間を取って、続けた。
「まるで——思い出してもいいことと、思い出してはいけないことが、はじめから、分けられていたみたいに」
その言葉に、何人かが、ぞくりと、肩を震わせた。
しかし、その問いに、誰も、答えられなかった。
わかったことよりも、わからないことのほうが、ずっと、多い。
部屋の扉は、固く、閉ざされたまま。
ここから、出る方法も、まだ、見つかっていない。
重くなりかけた、その空気の中で。
ひとり、まったく別のところに、目を向けている者がいた。
旅装の、活発な女性——マイラだった。
「……こういうの、気になっちゃうんだよねぇ」
のんびりとした声で、そう言いながら。
マイラの視線は、足元の、淡く光る魔法陣に、注がれていた。
「ねえ。この床の、模様。さっきから、ずっと、気になってて」
マイラは、しゃがみ込むと、魔法陣の縁を、指で、そっと、なぞった。
「アネッサさんは、『解くのは難しい』って、言ってたけど。……なんだろう。私、これ、嫌いじゃ、ないなぁ」
「気になるんですか? こんな時に」
近くにいた誰かが、半ば呆れたように、尋ねた。
「うん。気になっちゃうんだよねぇ。こういう、謎、見ると。……旅をしてるとさ、よく、出会うんだ。古い遺跡とか、誰も読めない、石碑とか。そういうの、放っておけない性分でね」
マイラは、悪びれもせず、にこ、と笑う。
不安に押し潰されそうな部屋の中で、その笑顔だけが、妙に、いつも通りだった。
「それに……じっと、待ってるだけじゃ、何も、変わらないでしょ。だったら、手を、動かしてみる。それが、私の、旅のやり方なんだ」
旅で、いくつもの遺跡や、神殿を、見てきた者の目だった。
マイラは、魔法陣の周りを、ぐるりと、回り始める。
文様の、ひとつひとつ。
線の、走り方。
円の、重なり。
その目に、好奇心の、灯がともる。
「こっちの線と、こっちが、繋がってて……ここで、一回、折り返してる。へえ、面白いなぁ」
その様子を見て、清潔な身なりの、生真面目な女性——リノが、近づいてきた。
「……でしたら、私も、お手伝いします」
文官らしい、きびきびとした声だった。
「こういうものは、ひとりで見るより、二人で、確かめ合ったほうが、確かです。私が、気づいたことを、書き留めます。マイラさんは、どんどん、見てください」
「お、頼もしいねぇ。じゃあ、リノさん、お願いしようかな」
二人は、魔法陣を挟んで、調べ始めた。
マイラが、直感で、文様の流れを、追い。
リノが、その気づきを、ひとつずつ、整理していく。
「マイラさん、その線、どこから、始まっていますか」
「えっとね……たぶん、この、いちばん外側の円から。で、中心に向かって、渦みたいに、巻いてる」
「なるほど。では、外周から、内側へ。順番に、見ていきましょう」
リノが、床に膝をつき、文様の連なりを、ひとつずつ、目で追っていく。
マイラが、その先を、指でなぞり、気づいたことを、口にする。
二人の声が、低く、交わされる。
「この記号、さっきも、見たよ。反対側にも、おなじのが、あった」
「ということは……左右で、対になっている、のかもしれません。ほら、ここと、ここ。鏡を、合わせたみたいに」
「ほんとだ。リノさん、目、いいねぇ」
活発な旅人と、几帳面な文官。
ちぐはぐなようで、不思議と、息の合った、二人だった。
手を動かしているうちに、張りつめていた空気が、少しずつ、ほぐれていく。
答えは出なくても、何かをしている、というだけで、人は、すこし、強くなれる。
その様子を、ほかの者たちも、いつのまにか、囲むように、見守っていた。
「ここ、見て。この形、何かに、似てる気がするんだ」
マイラが、魔法陣の、中心に近い文様を、指で、なぞる。
その指の動きが——ふと、止まった。
「……あれ?」
マイラの、のんびりとした表情が、わずかに、変わる。
「なんだろう。私、こんなふうに……描いたこと、ある気がする」
声が、戸惑いに、揺れた。
「ずっと、昔。地面に、模様を、描いて……遊んでた。ひとりじゃ、なくて」
マイラの視線が、ゆっくりと、隣のリノへ、向いた。
「……リノさん……ううん、リノ。私、あなたと、一緒に、描いてた、気がする」
リノが、息を、呑んだ。
その目が、宙の一点で、止まる。
言われてみれば、と、何かを、たぐり寄せようとするように。
「私も……指で、字を、描くのが、好きでした。あの日も、広い、部屋で。隣に、誰かが、いて……」
二人の記憶が、淡く、触れ合おうとしている。
けれど、まだ、像を結びきらない。
マイラは、両手で、自分のこめかみを、押さえた。
「待って。もう少しで、思い出せそう。……あの時、私の周りには、確か」
その指が、宙で、誰かを、数えるように、動く。
「リノと……あと、二人。私を、見てくれてた、年上の子。それから、いちばん、ちっちゃかった、子」
マイラの目が、何かを見定めるように、細められた。
止めていた息を、ゆっくりと、吐き出す。
そして——その唇から、ぽつりと、こぼれ落ちた。
「……シーちゃん。リノ。アイリ……」
本人も、気づいていないようだった。
子供の頃の呼び方が、口を、ついて出たことに。
「あれ……シーちゃん? リノ? アイリ?」
その呼びかけが、四人の間に、宙づりのまま、留まった。
黒髪の、神秘的な女性——シエラが、ふと、顔を上げる。
気品ある装いの、優雅な女性——アイリーンも。
そして、リノも。
三人とも、何も、言えなかった。
ただ、その呼び名を、聞いた瞬間に——胸の奥の、深いところを、そっと、撫でられたように。
戸惑いの色を、浮かべたまま、じっと、マイラを、見つめ返している。
何かが、いままさに、ほどけかけていた。
まだ、言葉には、ならない。
けれど、確かな、予感だけが——四人を、静かに、包んでいた。
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